□Again□



「緋勇さん……」

比良坂紗夜はある少年の名を呟いた。

その少年の顔が浮かぶと共に、様々な記憶がよみがえってくる。

はじめて出会ったときのぶつかった記憶、公園で不良から助けてもらった記憶、二人で水族館へ行ったときの記憶。

そのどれも紗夜は忘れられなかった。

「今でもわたし、あなたと出会えたこと感謝してます……」

再び紗夜は呟く。

緋勇龍麻と出会ったことで紗夜は変わることができた。

兄の言う通り龍麻を監視し続けることは、自分の意志で龍麻を見つめ続けることに変わっていた。

龍麻の気を引こうとしながら、実は龍麻に惹かれていることに気付いていた。

その強さ、優しさを見る度に龍麻への想うようになっていた。

気を引くために龍麻と会うことが楽しみになっていた。

紗夜の中で会うことが目的になり、気を引くことは会うための理由に変わった。

龍麻の顔を見ると、紗夜は穏やかな気持ちになれた。それだけで満たされた気持ちになった。

それだけでなく、紗夜に会うと龍麻もまた笑顔を見せた。その笑顔が紗夜には何よりも輝いて見えた。

「あなたがいたから、わたしは今ここにいられるんです」

だから、紗夜はあの時龍麻にかばってもらったことが嬉しかった。

かばおうとした自分をかばい返してくれたことが紗夜は嬉しくてたまらなかった。

かばい返してくれなくても良かったとは思っていた。

兄に言われていたとは言え、龍麻をだましていたことに変わりはなかったからだった。

あのままであったとしても、龍麻を恨もうと思うはずがない。

紗夜はむしろ龍麻を助けられたことに満足しているだろうと思う。

「……でも、やっぱり嬉しかったです」

龍麻をかばおうと抱きついた時、龍麻はなかば反射的に身体を半回転させて紗夜をかばった。

それは龍麻にとって当然の行動だった。しかしそれが紗夜には嬉しかった。

自分のために身を挺してくれたことは、いくら感謝しても足りないように思われた。

「今度はわたしがあなたを助ける番……」

紗夜は決意を確かめるように口に出した。

龍麻を助けたい。それが紗夜の気持ちだった。

「わたしにも…… あなたのために使える《力》があったの……」

紗夜はこの想いを無駄にしたくなかった。

兄の言いなりでなく、自分の意志で選んだ道を無駄にはしたくなかった。

紗夜をそうさせたのは龍麻だった。龍麻のためにこの道を選んでいた。

「あなたの役に立ちたいです」

紗夜は祈るように手を組み、眼を閉じた。

「わたしを変えてくれたのはあなただから」

まぶたの裏に微笑んでいる龍麻の顔が浮かぶ。

「あなたのために、この《力》を使いたい……」

龍麻の助けとなることが今の紗夜の望みだった。龍麻への想いが《力》を目覚めさせたから。

「あなたの進む道がつらく苦しい闇の道でも…… わたしが照らしてあげる。きっと照らしてあげるから。きっと……」

少しでも龍麻の手助けができたら。紗夜はそう思う。

龍麻の行く道が平坦でないことは紗夜にも感じ取れていた。

「龍麻さん…… だからわたしも連れて行って」

騙していた分まで、紗夜は龍麻の助けになるつもりでいた。

想うことが紗夜の《力》となるのだから、紗夜は想い続けるつもりだった。

 

         *

 

「紗夜……」

忘れ得ない声が紗夜の耳に届いた。紗夜はその声のした方を驚いて見る。

紗夜の予測は当たっていた。

「兄さん……」

紗夜の視線の先には死蝋影司が静かに立っていた。

「どうしてそんなに驚いた顔をするんだい? 僕に会うのがそんなに意外だったのか?」

死蝋の言葉通り、紗夜は驚きを隠せないでいた。

研究所と共に死蝋は炎に包まれたと紗夜は思っていたし、そのはずだった。

「やはり僕が死んだと思っていたようだね。ククク、紗夜…… たった一人の妹のお前を置いて逝くわけがないじゃないか」

紗夜はどんな顔をすればよいのか分からなかった。心の中には喜びと期待と不安が入り交じっている。

そんな紗夜を見て、死蝋は笑みを浮かべる。

「紗夜、お前は僕のものだ。愚かな奴らへ復讐したいだろう? 一緒に来るんだ」

死蝋の言葉を聴いて、紗夜の表情が戸惑いから悲しみに変わった。

「やめて、兄さん…… 復讐なんて、そんなことしても何にもならないのに……」

死蝋の表情は変わらなかった。

紗夜には死蝋の気持ちも分かっていた。それでも、紗夜は賛成できなかった。

「どうしてなんだ……? お前は父さんや母さんを見殺しにした奴らのようなクズに復讐したいとは思わないのか?」

それは確かに悔しいし悲しかったけれど、紗夜はそのために罪を犯して欲しくなかった。

そんなことをしても両親は帰ってこない。

「そうか…… やっぱりあいつのせいか」

死蝋が龍麻のことを言っていることは紗夜にもすぐに分かった。紗夜の顔にわずかな変化が現れる。

「何故なんだ、紗夜? お前は僕のものだ。お前は僕のそばにいればいいんだ」

「……わたしは兄さんの人形じゃない。自分で考えて、自分で動けるの……!」

訴えかけるように紗夜は言った。心中に龍麻が浮かぶ。

龍麻と出会えたから、紗夜は変われた。

今までただ死蝋に従うのみだった紗夜を出会う度に龍麻は変えていた。

「緋勇龍麻…… あいつがいたから紗夜は……」

死蝋の呟きが紗夜にも届いた。紗夜はその語気に不安を感じ取る。

「やっぱりあいつがいなくなれば、紗夜は帰ってくる……」

一瞬だけ沈黙がその場を支配した。

「やめて!」

死蝋の言葉の指す意味を理解した時、紗夜は思わず叫んでいた。

それだけはさせられない。龍麻を助けると決めたから。

今のようになれたお礼や護ってもらったお礼をしなくてはならなかったから。

その紗夜の様子にも死蝋の表情は変わらなかった。

「兄さん、もうそんなことはやめて……」

さっきとは打って変わった小さな、だがしっかりとした声で紗夜は言った。両眼はかたく閉じられている。

「龍麻さんに助けてもらったから…… 今度はわたしが龍麻さんを助ける番……」

その時の感覚が紗夜の中によみがえる。そして、それに報いたいという気持ちが再び芽生える。

「だから、今の兄さんと一緒には行けない……」

その言葉は紗夜が変わった証だった。

兄の言いなりにならず、自分の選択をした証だった。

死蝋は黙って紗夜の言葉を聴いている。最後の言葉にもまったく驚いた様子を見せないでいた。

やがて死蝋は紗夜の見つめる中、ため息を一つつく。

「……自分の道をもう見つけたようだね」

「えッ?」

死蝋は自分が死んだ身であることに気付いていた。

もう紗夜を自分の手元に置いておくことができないと気付いてもいた。

それに気付いたことで、紗夜だけでも幸せになって欲しいと考えることができた。

それを確かめるために戻って来ていた。

自分の選んだ道を進ませるしか死蝋にはできなかった。

しかし紗夜が自分自身で道を選んでいたのなら、紗夜が自分のものでなくなろうと今満足することはできた。

「紗夜を一人にしておけなかったが、そこまで信じていられるなら心配はいらない……」

そうとだけ言い残して死蝋の身体は消えて行く。

兄が現れたのが自分のためだったと紗夜が理解する頃には、死蝋の身体はもう完全に消え去っていた。

「兄さん…… さようなら……」

紗夜はさっきまで兄のいた空間を見つめていた。

ふと、兄のために歌おうと思った。

 

         *

 

「龍麻さん……」

紗夜は眼の前の少年に向かって小さく語りかけた。

その視線の先には龍麻が眠っている。

三日ほど前にこの桜ヶ丘に運ばれてきた時から意識が戻っていない。

一緒に運ばれてきた髪の長い少女もまだ眼を覚ましていなかった。

運ばれてきた龍麻を見た時、その原因は間をおかず直感的に理解できた。

「やっぱり、あなたの道はつらいものなんですね」

龍麻を見て、紗夜はそう思った。

龍麻の役に立ちたい。助けとなりたい。その想いは決して変わらなかった。

ベッドの脇の丸椅子に座って、紗夜は龍麻の眼が覚めるのを待っている。

龍麻の意識が戻った時にこの想いを伝え、少しでも龍麻の役に立つため。

「わたし、あの人たちのようになりたいです」

ぽつりぽつりと紗夜は言った。

真神の四人と紗夜はここ三日いつも顔を合わせている。四人は毎日桜ヶ丘へ龍麻の見舞いに来ていた。

四人が龍麻を心から心配していることもうかがい知れたし、龍麻が四人を心から信頼していることも知っていた。

自分も信頼されるようになりたいと思う。

だから、龍麻の手助けがしたい。それがかばってもらったお返しにもなるから。

「だから…… 早く元気になって……」

紗夜もまた、龍麻が心配だった。

三日間眠ったままの龍麻を見ていて、その道の障害の多さばかりが気になってしまう。

わずかにそれを考えたが、すぐに紗夜は頭を左右に振った。

障害が多いからこそ助けになりたいと思ったのだから、そんなことは気にすることではなかった。

「わたしがあなたを助けるから」

決心を紗夜は確かめ、腕時計に視線を移した。

いつの間にか二時をまわっている。まだ龍麻が眼を覚ます様子はない。

何だかもどかしかった。龍麻の力となることを誓っても、今何もできないでいる自分が歯がゆかった。

この三日間、紗夜は龍麻を見ていることしかできていない。

龍麻を目覚めの手助けができないことが心に影を落としていた。

自分にはそれしかできないと分かっていても、悔しさは残った。

早く目覚めて、自分だけじゃなくみんなを安心させて欲しい。

紗夜は再び龍麻を見る。

「あッ……」

龍麻の長い前髪の隙間から覗くまぶたがかすかに動いた。

「龍麻さん…… 龍麻さんッ」

思わず紗夜は龍麻の名を呼ぶ。それに反応して龍麻は顔を紗夜の方へ向ける。

龍麻の表情が驚きを含んだ。

「紗夜…… ちゃん……?」

「よかった…… 眼が覚めたのね? ……三日も眠ったままだったから、すごく心配した……」

紗夜はようやく安心できた。笑いながら話しかけることができるようになっていた。

それに反して龍麻は困惑を隠し切れていなかった。紗夜はそれをいぶかしむ。 

「龍麻さん…… どうしたの? まるで、幽霊にでも会ったみたい」

あの時の記憶がまた思い出される。何度も何度も考えた、忘れられない記憶だった。

炎の中の紗夜を助けられなかったことは、ずっと龍麻の心に引っかかっていた。

その紗夜がさっきまでいた幻想の世界だけでなく眼前にいる。今の状況をにわかには信じられなかった。

「きっと、あれは夢だったんだ……」

研究所での記憶を否定するように龍麻は言った。

「その話、聴かせてもらえます……?」

紗夜が龍麻の言葉を不思議に思ったのも事実だが、今はそれよりも龍麻と話をしたいという気持ちの方が強かった。

首を縦に振り、龍麻は上半身を起こす。紗夜は手を貸そうとするが、龍麻は心配させまいと微笑んで礼を言った。

「……あの研究所で、俺は紗夜ちゃんを助けられなかったと思ってた」

自分にも聴かせるように龍麻は話し始めた。

「今考えると、何でそう思ってたのか分からない。紗夜ちゃんは今こうして俺の眼の前にいるのに」

龍麻は確かめるように紗夜を見た。視線が宙でぶつかった。

間違いなく紗夜は龍麻の眼の前にいる。それは龍麻にもよく分かった。

「だけど、そのことはずっと後悔していたんだ。何であの時紗夜ちゃんをかばい返せなかったのかって」

自らを責めるように龍麻は語る。

「寝ていても、かばってあげられない夢を何回も見た」

その夢を見る度に、やりきれない気持ちになっていた。

悔やんでもどうしようもないと分かっていても、悔やむことしか龍麻にはできなかった。

「けどさっき見た夢は違ったんだ。初めて紗夜ちゃんを助けられた。やっと、助けられたんだ」

もちろんそれだけでは何の解決にもならない。

しかし、紗夜が生きていたと分かったことで、今までの後悔も忘れられた。

龍麻の顔が安らいだものになる。

「変なことを言うようだけど…… 生きててくれて嬉しいよ」

どうしてこうなったのかまだ把握できていなくても、本当に龍麻はそう思っていた。ニッコリと紗夜に笑いかける。

「龍麻さん、わたし…… そんなに気にしてくれていたなんて、すごく嬉しいです」

紗夜も満面の笑みを龍麻に見せた。たとえ龍麻が違う認識をしていても紗夜は嬉しかった。

重要なのは気にしてくれていたことであって、誤解していたことではない。

不意に龍麻は時間を訊いた。その紗夜の答えを聴いて龍麻は心配顔になる。

「わたしならこれくらい大丈夫です。龍麻さんのお手伝いがしたいんですから。龍麻さんこそ、しっかり休んで下さいね」

紗夜は気丈に笑って答えた。龍麻もそれに微笑み返す。

「紗夜ちゃん…… 本当にありがとう」

それは龍麻の承諾も示していた。紗夜はまた微笑む。

「お礼なんてイイですッ。 ……じゃわたしもう行くから、しっかり休んでね」

紗夜は立ち上がって病室のドアを開ける。

龍麻は見送るようにベッドの上から紗夜を見ていた。

「龍麻さん…… ありがとう……」

それは龍麻の耳にも届いているはずだった。

龍麻の力となれることが紗夜は嬉しかった。龍麻の手助けができることがどうしようもなく嬉しかった。

どんなことがあっても、紗夜の決意は変わらないだろう。

龍麻への想いを《力》に変えて、紗夜は精一杯頑張ろうと思った。

それが紗夜の選んだ道だった。自分で選んだ道を進みたかった。

そして、龍麻を想い続けていたかった。




 
▼たまきさんのコメント▼

かわりゅさんよりいただきました!
実はわたし、比良坂の復活は何だか突然のような気がしてて
意味がわかんなかったので(・・・ひどい)
これをいただいて、なるほどー!とか思っちゃいました。
繊細な描写がステキですー・・・わたしにはムリッスー・・・。
ありがとうございました!もう次回作も予約入れときます!




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