□ブルーグレイ□ |
何でもないその仕草に気が付いた女の子の動きが止まる。 視線を合わせた瞬間に頬が真っ赤になって俯いた。 まわりの女の子たちも口々に何かを囁いている。
何を言われているのやら……。
モテるのがうらやましいと言うヤツがいるが、モテる方にしてみれば嬉しくないことの方が多いと考えたことはあるのだろうか。 そりゃあ、男としてはモテれば嬉しい。気持ちもわかる。 だが、俺としてはモテる相手は一人でいい。 その思いはこの真神学園に転校してから強くなった。
無意識下で視界に姿を探している。 太陽の光を浴びて飴色に煌めく髪。 意思の強さ、潔さを秘めた輝きを持つ鳶色の瞳。 軽薄そうに見えて、その実誰よりも他人の事を心配している、要領の悪いヤツ。 相手を知る都度深みにはまっていく自分を感じる。 わかっているんだ。 そんなのが世間では『普通じゃない』『正気の沙汰じゃない』と言われるくらい、違う感情なのだと。 言われてもこの消せない炎はどうしたらいい? 鋭い痛みを伴う、けれどとてつもなく甘美な心に刺さった棘は、抜いたとしてもその傷を俺自身の手で広げてしまうだろう。 『普通と違う』と言って後ろ指を指すくらいなら。 俺を救ってくれ。 この、どうしようもない暗い沼にはまった俺を。 救って……
「ひーちゃんッ」 「うわっ!」 突然の大きな声に目が覚めた。 「大丈夫か? ひーちゃん……」 面白そうに目を細めて覗き込む顔。 ああ……やっぱ、俺変だな……。 見た瞬間心の傷がうずく。 ふっと相手を見返して柔らかく微笑んでみせる。 「お前の顔を見たら逆に元気がなえるよ……」 「ちェ、元気でやんの」 肩をすくめて視線を遠くにやった京一と同じ方向を見やる。 突然歓声が上がる。 強烈な大地にボールが叩きつけられる音。そう、今は体育の時間だった。夏に入るかと思われる位の熱い日々がやってきたが、普通の体育もあるわけで。何やら懐かしいドッヂボールをやってたりなんかする。まあ男子も女子も一緒にやれるスポーツとなると限られてくるのだが。実際一緒にされると、男どもは女子への点数稼ぎか球の勢いが甘くなる。そこの辺りがまたいい勝負となって現れてきているらしい。なかなかつかない勝負にはらはらさせられたりしている女子にとっては、久しぶりに面白い見せ物といったところか。 チームを作ってローテーションを組んでの試合なので、対戦のないチームは暇を持て余すことになる。それが今の俺の状態なんだが、今日は朝から日差しも雲で弱く待機している場所が芝生ということで思わず居眠りをしてしまったのだろう。 「珍しいよな」 「……何が?」 一進一退の試合展開に目が離せないのかこちらに視線を向けることはせずに、何とはなしに呟いた言葉。俺に対する言葉だってすぐわかったけど。他に人もいるのでためらいがちに返事を返す。 「ひーちゃんが居眠りなんかするの。授業中にさ」 「ひどいな……まるで俺が人じゃないみたいだ」 同じ様にコートを見つめる。 醍醐と小蒔が違うチームでの対戦だったが何やら口論している。見た目口論だが、一方的に醍醐が叱られてるのだろう。 「そうじゃなくてさ、いっつも真剣に人のこと色々考えて周りにいらないくらい気を配ってるから、さ。何だか気ィ抜いてねェなァとは思っていたんだ。今さっきの居眠り見てちッと安心した」 へへへッと照れたように笑ってちらっとこっちを見る雰囲気。 お前のせいだよ。 あやうく心の声がそのまま言葉となって形になりそうだった。 声を出さないよう唇を噛みしめて何の予備動作もなく立ち上がる。そのままの勢いで試合が少し中断されているコートに向けて歩き出す。 「ひーちゃん? 怒ったのか?」 びっくりしたような声。慌てて立ち上がって追いかけて来ているのは気配を読まなくてもわかる。 「別に、それッくらいで怒らなくても……」 少し拗ねたようにけれど自然に横に並ぶ。 それが当たり前だというかのように。 たった三カ月くらい。いや、それ以下かもしれない。 色々な事件のお陰で隣に立つのが普通になってしまった。側に居なければ、否。横に居なければ周りの目にはおかしいと思われるくらい。
そう、お前のせいだ。 俺はいつのまにかこんなにも心を許している。 以前の高校でもこんなことはなかったのに。 いや前の高校を引き合いに出すのは間違っているかも知れない。あのときの俺は何もかもが面倒になっていた。うるさいくらいに騒ぐ女どもが嫌で特徴的な瞳を隠しても、なお注目は密やかにあって。男友達は注目される俺のことが気にくわなくなり、友達であっても裏で噂をするようになった。 世間では普通のはずの黒い瞳。 興味本位や遊び感覚で付き合った女達の一人に言われた事がある。 『貴方の瞳は底知れない危うさがあるわ。優しい光をたたえてはいるのだけれども……女はそんな危険をわかっていなくても敏感に感じ取る……危険な蝋燭の火に近寄ってしまう蛾のように』 言われてもどう注意すればいいのか分からない。 そして、俺に惹き寄せられる女は相変わらず減らずに。 男どもですら遠巻きに見やるようになって。 心が荒んでいくのを止められずに。 言われ、転校してきた真神学園。 女の反応は相変わらずだったが、目の前に立った奴に目を見張る。 太陽の香りがした。 直感だった。 いつもとは違うと。 惹かれて寄ってくる女は変わらずだったが、あいつがいると何か雰囲気が変わっていた。何が、と問われても困るが……とにかく違ったのだ。 美里や小蒔が簡単に軽口をたたきあえるということが今までの女達とも違う。 ……あまりに阿呆な発言に気が紛れてしまうのかも知れないが。 俺にとってはそれでも良かった。 鬱陶しい位の口性ない噂と色付きの視線とから逃れていられるならば。 しかし気が付けば怪異な事件の中に思いきり足を突っ込んでいた。その力があったというだけで事件を解決していくことには異論は全くない。生命がかかっている戦いに疑問を持ち出してもはじまらない。時の経過によって知りうることだってあるのだから。 その戦いの全てに自然とあいつはいた。 隣に、なんでもないことのように。 そして笑い掛ける。 『俺達は最高の相棒だ』 何が哀しくて男が男に気を取られなくてはならないのか。 気が付けば目で行動を追っている。 何もかも捨てても、この信頼を失いたくないと怯える自分が居る。 どうしたら良い? どうしたら救われる? どうしたら……?
言ってしまえば楽になれるのだろう。 だがそれは、失うという結果にもつながる。 どうあっても救われることはないというのなら。 何も言わずにただ側に居るだけでいい。
全て、お前のせいなんだ。
言うことが出来ない言葉。 たった一つの言葉。
溜息をついて醍醐と小蒔の仲裁に入る。 理由は醍醐が小蒔にだけ目に見えて手加減をしたから、だというのは指摘しなくても分かり切ったことだった。あえてその真実をつかずに間をとりなす。 中断されていた試合はこの行動ひとつですぐさま再開された。 「流石ひーちゃんだ。俺にはとても真似できねェ」 相手があの男女と醍醐にしたってな。そう呟いて眩しそうにこちらに微笑む彼に苦笑いだけ返して顔を逸らす。 今の自分にはつらすぎる。
そして理解する。 自分の瞳に宿る妖かしの光よりも隣に存在する光の方が強いから。 ぼんやり思う。
再開されたドッヂボールの試合は雲の切れ間から覗いた太陽の光で、辺りは少し汗ばむ暑さになってきた。 柔らかく吹く風は萌える緑の香りを濃く含んで。 初夏の一日は過ぎていった。
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