□水曜日□


 
「あれ、京一お前新宿で乗り換えだったっけ?終電何時?」

「あー、ちょっとやばいかもしんねえなあ。ぎりぎりかもな。」

ちぇッ、どうして電車は24時間動いてないんだまったく、京一は本気で思う。

こんなチャンスめったにないんだぜ?!?!おいおい、まじかよ?!

「まだ飲み足りねーよなあ、なあ、ひーちゃん?」

「ああ、そうだなあ。」

邪魔者の如月は途中で帰った。渋谷のとあるラブホテルの受付のバイトをするためだ。

モノ好きなやつだなァと京一はからかったが、研究室に朝から晩まで拘束されていて

バイトできる時間といったら深夜しかないんだから仕方がないだろうと怒られてしまった。

あーコワ。でもそのほうが俺としてはだいぶ好都合だったりするんだけど。

 

龍麻と如月は、理学部生物系の同じ研究室に所属している学生である。

龍麻の説明によると、理系の学生は一般的に4年生の春からそれぞれの研究室に分属され

科学者の卵として日々キビしい修行を積むものらしい。くる日もくる日も実験実験・・・。

生き物相手だから休めないのは仕方がないんだよと龍麻はいうが、毎日毎日

へたしたら日曜祝日を返上してまで学校に行くなんてキチガイじみてる!!!

俺だったら三日で嫌になるね、と京一はあきれたものだ。

去年の春、ちょうど三年生になる少し前から龍麻と如月は大学の近くの2DKに二人で棲みはじめた。

無口な二人はなんだかんだいって気が合ったし、安い上によい条件の物件に住めるというメリットは

合理性重視の二人に拒否する理由を与えなかったのだ。

京一がバイト先で龍麻と出会ったのが去年の秋だから、そのときには二人はすでに一緒に

暮らしていた計算になる。ちぇッ、俺が三年ちょっと前に入るガッコと学部さえ間違えてなければ、

ひーちゃんの相手はゼッタイにこの俺様だったはずなのにっ!!

ひーちゃんとひとつ屋根の上でいちねん・・・むう、ジェラるぜえ。

・・・いや、むしろジェラるどころの話ではない。ぶっちゃけたはなし、あの二人は

四六時中一緒に居るということだ。しかも京一も馬鹿ではないから、如月が龍麻に

ただならぬ好意を抱いていることくらい薄々感づいている。

まさに八方塞がり!里見八方陣?!?!・・・もとい、そうさ、俺にゃァ

ちょっかいだす隙さえなかったってことなのよ。如月が週イチで今のバイトをはじめた、そう、

少なくとも三ヶ月前までは。

 

 

いつからだろう、水曜の深夜、どちらともなく電話するようになったのは。

そんなときを選んで電話をくれるのは。アイツには内緒にしとこうなっていうのは。

京一は考える。如月はああ見えて結構嫉妬深いところがあってメンドーだから

ひーちゃんはただケーカイしてるだけだ。そう思い込んで、嬉しくて甘い希望的観測には

気づかない振りをしている。

三人でよく遊ぶようになってからずいぶん経つが、最近なんとなく龍麻との距離が

近くなっているような気がする。歩くときとか、座るとき。京一は如月の目を盗んで、

できるだけくっついてちょっかいをだした。如月がいないとき。

スリルを楽しむように二人はじゃれ合うようになった。はじめはそんな数分間で十分だったんだけど。

三人でいるとき、ふと龍麻と如月の二人のあうんの呼吸にきづいて我に返るときの空しさ。

じゃあなッって二人の下宿からひとりぽっちで一人で帰るときの切なさ。

家で一人、如月と一緒にいる龍麻を想うときの寂しさ。

会ってもつらいし、会わなくてもつらい。いったいどうしろってんだ?!

もう三人で会うのなんて嫌なんだよ!!おれはひーちゃんだけとあいたいの!!!

 

電車は代々木を通過した。あと一駅・・・電車、止まるな。むう、もしくは、事故れ!!

今日は週にたった一回、ほんとにふたりっきりになれるチャンスなんだぜ?

無意識に爪を噛んで京一は龍麻を見上げた。ドアの脇にもたれかかるようにして

ぼんやりと窓の外を眺めているきれいな横顔を盗み見る。しかもこうやってひーちゃんはここにいる。

長めに切られた前髪からすっと続く上品な鼻筋、すっきりとしたほほ、桜色の薄い唇。

アルコールのせいでうっすらと色づいためもとや潤んだひとみはいつもより龍麻を艶っぽく映し出す。

こんな風に龍麻が酔っ払ったのを見たのははじめてだった。酒は結構強いはずなんだけどなあ。

・・・介抱したいなあ。水とか飲ませちゃったりして。しかも口移しなんかで・・・

「つぎはあ、新宿・・・」車内アナウンスの声ではっと我に返る。「もう新宿かァ・・・」

龍麻はゆっくりと京一のほうに向き直って顔を覗き込んだ。黒髪の奥でうつろにゆれるトロンとした

色っぽい瞳にぶつかって京一はすこしあせった。「ん?どうした?」「なッ、なんでもねえ」

さっきまでの妄想が見透かされているような気がしてまともに目を合わせられない。

落ち着け、落ち着くんだ。新宿で俺は降りなきゃ帰れない。でも帰りたくない。そうだろう?

如月は・・・バイトが朝までだからきっと俺が始発で帰ればばれねえだろう。ほうら、完璧ジャン!!

さァ、京一、なんかいえ!!いうんだ!!・・・バカ、言えってどういうんだよっ?!

なにぐずぐずしてんだ、もう駅についちまうぞ?!でっ、・・・でもお・・・

・・・京一がもごもごと脳内会話を続けているうちに、電車はホームへと滑り込んだ。

「あッ・・・う、うん・・・じゃ、またこんど・・・」

俺のバカやロー!!!サイテーだ。無情にもドアは勢いよく開く。乗客がぞろぞろ降りていく。

・・・さらば、俺の邪念よ。

 

「!?」仕方なく背を向けて降りようとした京一の手首は不意につかまって車内に引き戻された。

「なんだよッ?!」京一はとっさに状況を理解できずすっかり混乱して必死に手を振り解こうとするが、

龍麻は固く握って放さない。「ちょっと放せよッ、ドアしまっちゃうよお!」

京一は困惑して今にも泣きそうな顔をしている。いったいなにがおこったんだ?!

「降りんなよ。」「?!」信じられない言葉に京一は思わず息を呑んだ。

龍麻の真剣な瞳に射抜かれ動けない。

ほ、ほんきか?ひーちゃん?!にわかにどんな態度をとっていいものかわからずただただパニくる京一。

極限状態にある京一を、懇願するような美しい瞳がじっとみつめている。

手を握り見詰め合う二人・・・。

 

 

 

 

プシュー、ガシャン。

二人を乗せた電車はゆっくりと動き出した。・・・。と同時に京一をまっすぐ見つめていた瞳が一変、

意地悪そうな光を帯びて笑った。「・・・降りなくてよかったの?帰れなくなっちゃうんじゃないの?」

「えッ・・・?」おっ、降りんなっつったのはどこのドイツだよッ?!

あんなにきつく手ェ握ってたの誰だよ?!

おいおいコイツなにいってんだ?!・・・か、からかわれたのか???もしかして、じょ、冗談?!

状況をようやく理解した京一は、悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にして憤慨した。

「畜生、だ・・・だってッ・・・」しかし言い訳の仕様もない。全部見透かされていたんだ。

俺の気持ち全部知ってて、こんなこと・・・酷い、ひどすぎるう・・・!!!

「泣くなよ」「泣くもんかッ!!!」とはいったもののぼろぼろこぼれる大粒の涙は隠せるわけもなく。

情けねーぜ、自分!!!っていうかひーちゃんの鬼鬼鬼!!!

龍麻の長い指が京一の涙をぬぐおうとする。

「・・・めろよッ」「わるかったよ、だってあんまりお前が可愛かったから・・・」

龍麻が済まなそうに顔を覗き込んでくる。「二人で帰ろう。」

・・・そ、そんなこといったってゆるさねー!!!

「うるせいっていってんだよっ!!ばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかば・・・」

わめきちらしていたはずなのにいつのまにか龍麻に唇をふさがれていて、

それでも悔しくて抵抗して暴れて振りほどこうとしたけれど、

しばらくキスされてたらどうでもよくなって何にそんなに怒っていたのかすらよくわからなくなって、

目の前にいる人がとっても好きな人だということを思い出して嬉しくてこのまま電車が

地球を5周くらいすればいいのになあと漠然とかんがえているうちに龍麻の駅に着いた。

 

おわり



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