□Together□


 

「キミのコト…… 好きなんだ……」

 桜井小蒔は想いを告げた。

「どうしようもないくらい、好きになっちゃったんだッ」

 今まで心にため込んでいたものを一気に伝える。そうしなければならないと自分に言い聞かせて。

「だから聴かせて…… キミの気持ちを……」

 小蒔は不安げに眼の前の少年を見つめた。その少年もまた同様に、小蒔から眼を離さない。

 少年は何も言わず、真剣な顔で立っている。

「ボクのコト…… 好き?」

 緋勇龍麻が答えるまでのわずかな時間が小蒔にはとても長く感じられた。意を決していたつもりでも、その答えを直に聴くまでは不安と恐怖でやりきれなかった。

 本当の心を知りたい。そのことで胸がいっぱいになっていた。

「……俺は、小蒔を好きなままでいたい」

 龍麻はそうとだけ言った。

 桜が春風に吹かれて揺れる。花びらが二人を包むように降り注ぐ。

「ホント?」

 龍麻は小さく、だがしっかりと頷いた。それを見た小蒔の中の不安が氷解していく。

「……えへへッ、良かった。勇気出して……」

 小蒔の眼は潤みを帯びていた。やがてその瞳から涙が零れ落ちる。

「変なの…… なんか、涙がでてきた……」

 制服の袖で涙をぬぐい、小蒔は恥ずかしそうに笑った。

「ひーちゃん…… ボク、キミに会えて良かった。ありがと…… ひーちゃん……」

 二人の視線が再び合わさる。

 龍麻が微笑み返すと、小蒔の笑顔は満面のものとなる。

「行こッ、どこでもイイから…… 二人でさッ」

 そう言って小蒔は龍麻の手を握った。そして龍麻の腕を引いて歩き出す。

 龍麻はそれに従って歩き出す。その顔に曇りはなかった。

「……良かった」

 ぽつりと龍麻が呟いた。それは小蒔の耳にも届く。

「えッ?」

 訊き返す小蒔に龍麻は言葉を続ける。

「小蒔を好きになって、良かった。こうして小蒔も応えてくれて、俺のことを好きになってくれた。それが嬉しかったんだよ」

 手を握ったまま小蒔は龍麻を見つめていた。龍麻の強い眼差しに翳りはない。

「でも、小蒔が応えてくれなくても俺はこのままだったと思うんだ。このまま、小蒔を好きでいる気がする……」

「……けど、ボクはひーちゃんのコトが好きになった。それはひーちゃんがボクをずっと好きでいてくれたからなんだッ」

 二人は互いの言葉をかみしめた。いまこの時を脳裏に焼き付けておいて、忘れてしまわないように。一瞬一瞬が何よりも大切に思えた。

「……それじゃ、どこか行こうか」

「うんッ!」

 二人ともこの関係が続いて欲しかった。

 “永遠”があり得ないことは二人とも分かっている。けれど“永遠”に近付けることはできるはずだった。

 

         *

 

 卒業式が終わってまださほど経っていない。

 塔が沈んで以来何の変化もない新宿の街を二人は歩いていた。歩幅を合わせ、互いの気持ちも等しくあり続けることを願いながら。

 そう願いながらも、話の中身は授業の合間のようなとりとめもないものだった。しかし、それが楽しかった。

 他愛のないことを笑いながら話していられるのは憂うことではない。日常の大切さを二人は知っていた。

「今朝ね、うれしいコトがあったんだッ。弟と妹が『卒業おめでとう』って言ってくれたんだよッ」

「へェ、いいなぁ、そういうの。俺は兄弟いないから小蒔が羨ましいな」

 龍麻は笑みを浮かべながら本当に嬉しそうな小蒔の話を聴いている。

「へへへッ、たまにケンカもするけど、こういう時ってイイよね」

 龍麻には小蒔のようなたくさんの家族はいない。ましてや今は一人暮らしだ。

「じゃ、ご飯の時なんかも楽しそうだな」

 それを聴くと小蒔は笑って頷いた。

「まッ、騒がしいだけって気もするけどねッ。 ……そうだッ、ひーちゃんってちゃんとご飯食べてる?」

 小蒔は龍麻の微妙な表情の変化を見逃さなかった。

「どうせインスタントばっかりなんでしょ? ダメだよ、ちゃんとしたもの食べないとッ。今度、作りに行ってあげようか?」

「えっ? ……そっか、小蒔が作ってくれるのか。楽しみだな」

 心の底からの笑顔で龍麻は喜び、お礼を言う。

「お礼なんてイイよ。ボクはひーちゃんが喜んでくれたらうれしいからさッ」

 それに、小蒔が受け取ったものはずっとずっと大きかった。言葉では言い表しきれない、素晴らしいものが。

 歩を進めると、想い出の一つが見えてくる。クリスマスの時にも来た、あのオープンカフェだ。

 二人は顔を見合わせると頷き合い、そこに入る。

 向かい合わせで座ると、龍麻は小さく伸びをして天を仰いだ。

「今日は暖かいし、いい天気だなぁ」

「うん、ポカポカしてて気持ちイイやッ」

 春の柔らかな光が人々の心を穏やかに変えていく。この光の中では何も心配することなどないように思える。

 その光は小蒔に一年ほど前を思い出させた。

「あッ、ひーちゃんに初めて会ったのもこんな日だったよねッ」

 龍麻もその一言で記憶をたどる。そしてそれは間をあけずに鮮明によみがえった。

「そう言えばそうだね。こんな風に晴れた日に小蒔と会えたんだ」

「えへへッ、ひーちゃんもおぼえてたんだ。なんかうれしいな」

 小蒔は前髪を手で梳いた。

「あの日、マリア先生と一緒に教室に入ってきたキミと…… いまこういう風に話してるなんてさ、思わなかったな……」

 小蒔には今が夢の続きにも思えていた。願いが叶ったのが半分信じられずにいた。

 龍麻もコーヒーカップを置き、その時の自分を話し出す。

「……あの日の晩、寝る前にまず思い出したのは小蒔の顔だった。不思議だったけど、あの時から俺は小蒔のことが気になってたんだ。それに気付いた時には、気になって仕方なくなってた。もう小蒔のことしか考えてなかった」

 嘘偽りなく龍麻は話し、それは小蒔にも伝わっていた。その龍麻の言葉もその態度も、小蒔には嬉しかった。

「ねェ、みんなでお花見に行ったの、おぼえてるよね?」

 不意に確認口調で小蒔が問いかけた。

「あの頃まではひーちゃんが特別なんて思ってなかった。いい友達だって思ってた。でも、あのキミの悲しそうな顔見たら、それだけじゃないような気がして来たんだ」

 想いを伝えたい。今までできなかった分、この気持ちを聴いて欲しい。小蒔はそう思っていた。

「それから日を追えば追うほど、ボクもキミのことが気になった。いつもひーちゃんはボクに優しくしてくれた。だから余計に意識するようになってたんだ……」

 まだ心の中に解決できてないことはある。それでも、自分にウソをつかないと小蒔は決めていた。眼の前の少年を好きな気持ちは抑えられない。

「ボクも…… いつでもキミのコト考えるようになってた。これからもそうしてて…… イイよね?」

「……小蒔がいいなら、そうしてて欲しい」

「じゃ、問題ないねッ」

 いつでも相手のコトで束縛される。それでもいいと思える。それなら大丈夫だった。

 

         *

 

 もう日は暮れていた。二人は真神学園に戻ってきている。校庭の桜の樹にもたれかかり、肩を並べる。

 ここからは3−Cの窓が見える。屋上が見える。旧校舎が見える。どれも想い出だった。

 この学校に通うことはもうない。そう思うと寂しくもあった。だから、二人は想い出を確かめに戻ってきていた。

「寒い?」

 龍麻は学生服を脱いで小蒔にかけた。三月とは言え、日が暮れれば気温は下がる。

「あッ、ありがと…… やっぱりひーちゃんは優しいね……」

 龍麻は心配になった。学校に来てから小蒔の様子がおかしい。黙って学校を見ている。

「小蒔……?」

 龍麻は小蒔の名を呼ぶ。それに対して小蒔は何か物憂げな顔をして立っていた。

「……ゴメンね、心配させて。ちょっと、ね……」

「話して、くれないかな……?」

 その言葉に小蒔は迷いの色を見せる。その悲しそうな瞳に龍麻の心が痛んだ。

 しかし数瞬の後に、小蒔は決心して口を開いた。

「……今日もとっても楽しかった。ひーちゃんといる時が一番楽しいよ……」

 小蒔はぎゅっと眼をつぶった。

「それなのに、学校を見てて気付いたんだッ。みんなといても楽しかった。葵も、京一も、醍醐クンも、誰といても楽しかった…… でも、あの頃みたいなのはもう帰ってこないんじゃないかってッ」

「…………」

 一言一言を逃さないように龍麻は聴く。

「みんなで楽しい時間を過ごすコトはもうないんじゃないかって、そう思うんだッ」

 見ていられなかった。しかし、龍麻は眼をそらさなかった。

 眼をそらしたら、小蒔を見捨てることになってしまう気がした。

「みんなを失ってしまうような気がしたんだ。大切なみんなが離れて行く気がしたんだ」

 胸中を次々と吐露していく小蒔をただ龍麻は見つめ、その悲痛な言葉を聴いていた。どうすればいいか考えていた。

「ひーちゃんに不満があるんじゃない。ひーちゃんにはずっとずっとボクのコト好きでいて欲しい。ひーちゃんまで失ったらボク、もうどうなるか分からないよ……」

 一人にはできなかった。こんなにまで弱々しい小蒔は初めて見る。

 小蒔を護ってやれるのは自分しかいない。龍麻はそう言い聞かせた。

「今のボク、とっても幸せだよ…… キミを好きなままでいられて、キミもボクのこと好きでいてくれて…… だけどこの幸せは何かを犠牲にして手に入れたものなんだッ」

 その言葉からは悲哀ばかりが感じられる。幸せなんて、みじんも感じられない。

「葵もひーちゃんが好きだったのに、ひーちゃんがボクのコト好きなの知ってあきらめたんだ。きっと、ホントは葵はすごく悔しかったんだよ。でも、ボクもキミのコト好きだった。それだけは抑えられなかったんだ」

 龍麻は葵の気持ちに気付いていた。それでも、龍麻には小蒔しか選べなかった。その気持ちこそ抑えられなかった。

 小蒔は今にも泣き出しそうな顔をしている。

「ボクは、葵を裏切ってたんだ…… 京一も醍醐クンもそれを知ってる。それに、ボクだって裏切ってるコト分かってたんだ……」

 龍麻は手を握りしめた。爪が手の平に喰い込む。拳が小刻みに震えた。

「ボク…… わがままだよね…… 何もかも失ってでもひーちゃんの心が欲しいって思ってたのに…… 今になって失ったものに、今のために犠牲にしたものにもう一度戻ってきて欲しいって思うなんて……」

 消え入ってしまいそうな声で小蒔は言った。だがその声は龍麻の中に痛みをともなって大きく響き続ける。

 どちらにとってももう辛すぎた。

「ボク、こわいよ…… ひーちゃんだけじゃない。みんなに忘れられていくのが、みんなに責められて離れて行かれるのが、たまらなくこわいんだッ」

 思わず龍麻は小蒔を抱きしめていた。小さな身体からは嗚咽が漏れ出していた。

「小蒔…… 小蒔は何も失ってなんかいない。俺も、葵も、京一も、醍醐も、誰も小蒔のこと忘れたりなんかしない」

 精一杯龍麻は否定した。そうすることしか今はできなかった。

「誰も小蒔を責めたりなんかしない」

 腕の中の小蒔を落ち着かせるように龍麻は話した。

 突然、小蒔の顔が上がった。互いの視線が宙でぶつかる。

「けどッ……! 本心なんて分かんないんだッ。みんなボクのコト嫌いになってるかも知れないんだッ」

「小蒔!」

 それを聴いて、龍麻は小蒔の名を叫んでいた。小蒔の身体がびくっと震える。

「そんなこと言っちゃダメだ。友達を疑ったら、絶対に後悔する」

 龍麻は涙の浮かぶ小蒔の瞳を見つめながら言った。小蒔も龍麻の強い瞳から眼をはずさない。

「確かに人の心は分からない。俺は小蒔の心だって分かってないのかも知れない」

「そんなコト……!」

 小蒔が否定しようとして口を開きかける。しかし、それはできなくなっていた。

「けど、俺は小蒔を信じてる」

 その一言が耳に届いたとき、一瞬だけ他の音が全て消え去った。

 小蒔はその一言を頭の中で何回も繰り返した。

「俺のことを好きでいてくれるって信じてる」

 腕を解き、龍麻は穏やかな口調で小蒔に自分の想いを伝える。

「ひーちゃん……」

「小蒔は俺のこと、信じてくれるだろ?」

 迷いなく小蒔は首を縦に振った。それを見た龍麻は微笑み、同様に頷く。

「みんなだって同じだ。俺はみんなを信じてる。みんなは絶対そんなことしない。そう信じてる」

 龍麻の言葉が届くごとに小蒔の心が変わっていく。大切な何かが戻ってきたような、そんな感覚だった。

「……醍醐だって、小蒔のこと好きだったんだ。俺はあいつを裏切ってでも小蒔が欲しいって思った。俺だって、醍醐に嫌われるのは怖い」

 真剣な顔で龍麻は話した。そうしなければならなかった。龍麻もまた、裏切っていたのだから。

「だけど一年も付き合ってれば、醍醐はそれで俺を嫌うような奴じゃないことは分かる。あいつの本心は分からないけど、俺はあいつを信じてるよ」

 小蒔は葵を思い浮かべた。小蒔は葵と友達のままでいたかった。決して失いたくはなかった。

 京一もそのことには気付いていたはずなのに龍麻を責めなかった。それに五人が今まで上手く行っていたのも京一のお陰があった。京一の存在があったからこそ、関係は壊れずに済んでいた。

「だから、小蒔も信じるんだ。今まで一緒に過ごしてきた仲間だろ? なら信じるんだ。信じてあげられなきゃ、仲間じゃない。小蒔が信じてなきゃ、葵も小蒔を信じられない。京一も醍醐も小蒔を信じられなくなる」

 あんなに不安定だった小蒔の心が徐々に落ち着きを取り戻してきていた。すさんでいた心が癒されていた。

「信じていれば、きっと相手も信じてくれるんだ」

 その言葉は都合がいいと言ってしまえばその通りのものなのかも知れない。

 ただ単にみんなを信じていたいという安っぽい願望なのかも知れない。

 しかし、それが龍麻の結論だった。考え続けて出した結論だった。

「……うん。ボク、みんなを信じるよ。後悔はしたくない。だから信じるよッ」

 小蒔の顔に笑顔が戻った。龍麻の一番見たかった輝く笑顔だ。

「もう、大丈夫みたいだね」

 龍麻は安心した。やっぱり小蒔には笑顔が似合う。

 小蒔は笑顔を再び龍麻に向けた。

「でも、信じてるって言ってた時のひーちゃん、最高にカッコよかったよッ」

「いや、そんなことないよ…… ただ……」

 龍麻は沈んだ様子の小蒔を心配せずにはいられない。それだけだった。

「……小蒔を放っておけなかったんだ。小蒔を突き放して自分で考えさせることもできた。でも俺にはできない。小蒔を突き放すなんて、そんなこと俺にできるはずがないんだ」

 小蒔は静かに龍麻の言葉を聴いていた。嬉しくて仕方がなかった。

 ずっと見守っていてくれる。そう感じることができた。

「ボク…… ひーちゃんにすッごく感謝してるよ。ボク一人だったらどうなってたか分からない。ひーちゃんがそばにいてくれて、ホントに良かった……」

 小蒔を好きになっていた。小蒔の笑顔が見たかった。だから、龍麻は小蒔を一人にはできなかった。

 龍麻はじっと小蒔の顔を見つめる。

 すると不意に小蒔が腹部に手をやり、照れ笑いをしながら言った。

「……えへへッ、なんかおなか空いちゃったッ」

 その意味を理解して、龍麻はぷっと吹き出した。そして声を出さずに笑う。

「あーッ、笑ったなッ!?」

 小蒔は笑いながら言い、龍麻も笑いながら謝った。ひとしきり笑い声が校庭を駆ける。

 やがて龍麻が笑いをおさめて小蒔を誘った。

「それじゃ、ラーメン食べに行こう。おごるからさ」

「えッ、ホント!? やったぁッ、ひーちゃんありがとッ!」

 小蒔はまた心からの笑顔を龍麻に見せた。それを見る度、幸せな気分になれる。

 やっぱり、元気な小蒔が一番かわいい。龍麻は再確認していた。

「これ、返しとくね」

 小蒔は羽織っていた龍麻の学生服を差し出した。龍麻はいったんは学生服を受け取るが、また小蒔にかけ直した。

 わずかに驚いて小蒔は龍麻の方を向き、すぐにニッコリと笑った。

「……ひーちゃん、とってもあったかいよ……」

 最初にかけてもらった時はこんなに暖かくはなかった。だが今はまったく違っていた。

 校庭から出て二人並んでラーメン屋へ向かって歩き出す。何時間か前に学校を後にしたときのように微笑みを交わし合いながら。

 二人は信じ続ける。たとえ一緒にいることができなくても、五人の心はいつでも一緒にいられると。

 いつまでも友達でいられると信じる。この想いが伝わると信じる。

 杞憂ならそれでいい。思い過ごしだとしても信じ続けることはマイナスにはならないはずだから。

 昨日を振り返ることも明日を見ることももう拒まない。二人は決心していた。

 

 いつものように新宿は明るかった。


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