■Falling Rain■ |
「それで?」
俺の言葉にみんなが一斉にこちらに振り向く。 「た、龍麻?」 「どうしたんだよ、ひーちゃん……」 みんなが何を言いたいのかはわかる。だけど、俺は……
ここは龍山老師の庵。 秋月君の話を聞いた翌日、俺達は老師の話を聞く為にやって来ていた。 老師の話……俺の両親と17年前の事件。 話を聞き終えた俺が老師に返したのが、さっきの言葉。
「正直に言えば俺にとってそんな話はどうでもいい事です。俺の両親が何者だったか、何をしたのか、……それが今の俺に何の関係があるっていうんですか? 俺は自分の意志で、ここまで進んで来た。運命とか宿星とか天命とか……、そんなものの為に生きてきたわけじゃない」 ---重苦しい沈黙が流れる。 だけど、これは俺の本当の気持ちだから。 みんなにどう思われようと、これだけは譲れない。 「俺は、そんなものは信じない」
信じたくない。
フゥ、と誰かが吐いた溜め息が聞こえた。 「そうか…。それもまた、ひとつの生き方よの。流されることなく、しっかりと己自身を見極めることじゃ」 「……はい」 龍山老師の言葉が、俺の胸に重々しく伸し掛かった。
庵を辞して、繁華街へと出る。 ざわめきと人の波。こんなにもこの街の雰囲気が、心地いいと感じたことは今までなかっただろう。 「もうこんな時間か。早く帰らねェと、美里と小蒔はやべェだろ」 駅前まで来た時、時計を見上げながら京一がふと呟く。 「えェ、でも……。もう少し、歩いていたい気もするの…」 「うん。ボクも…、そんなカンジだな…」 ちらちらと俺の方を盗みみる様に視線を送りながら二人が返す。 ここへ来るまでもみんなそうだった。 じっと黙ったまま、時折俺の方を見てなにか考え込む。 みんなが何を考えているのか、何を言いたいのかは検討がついていた。 だけど…… 俺は、みんなが思ってる様な人間じゃない。 それがわかってもらえない方が、俺にとっては辛いのに…… 「そうか…。……龍麻---。お前はどうしたいんだ?」 みんなの視線が、俺へと注がれる。 「俺は-----」 一人になりたかった。 これ以上あんな視線に晒されたくはなかった。 憐れむ様な視線に。 ……みんなは気付いていないんだろう。 自分達が今どんな表情を俺に見せているのかを。 ……みんなは思っているんだろう。 俺が逃げたのだと。 重過ぎる運命を認めたくなくてあんな事を言い出したんだと。 俺を見つめるみんなの------
違う。
みんな、じゃなかった。 たった一人だけ、俺を見ていない。 「俺は、京一と一緒に帰るよ」 驚き、振り向くその姿。 「そうか…」 どこかホッとした様な複雑な表情の醍醐。 「それじゃあ、私たちは行くわね。さようなら、龍麻」 どこか未練と不満を残した様な表情の葵。 「また…明日ね」 どこか寂しげな表情の小蒔。 「さよなら。みんな気をつけて」 「あ、あァ、じゃあな」 雑踏の中消えて行く3人の姿。 残ったのは俺と、……京一。 「さて…と、……ちょっと歩こうぜ、ひーちゃん」 促され、俺達は家路へと足を向けた。
黙って並んで歩く俺達。 なんで俺は京一を選んだんだろう…… 早くも俺は後悔し始めていた。 誰よりもこんな俺の姿を見せたくなかった筈なのに。 ちらっと横目で京一を盗み見る。 やや俯き加減で、何かをじっと考え込んでいる様な。 ---こんな表情の京一の顔、初めて見た気がする…… その表情は今俺が隣に居ることを戸惑っている様にも見える。 なんとなく気になって、ちらちらと何度も盗み見ていると、突然京一は俺の方を向くもんだから、慌てて視線をそらす。 「な、なァ、ひーちゃん……。さっきの、じいさんの話------、なんか、突然すぎて全然、ピンとこなかったな」 「そ、そう……?」 正直俺は、そんなところだろうな、くらいは思っていた。 今まで何度か老師も匂わせる様な事を言っていたし、俺自身にも鮮明にではないけど、前世の記憶みたいなものがあったから。 だからショックで突然俺があんな事を言い出したんだろうって、多分みんなは思ったんだと思うけど、結構前からああいう事は考えていた。 でも、俺はそうでも京一やみんなはそうじゃないのは当り前なんだよな。 だけど、そう考えていた俺へと、京一が続けたセリフは、俺を酷く驚かせた。 「ああ。……俺さ、お前があんな風に考えてるなんて思ってなかったからよ、…なんかちょっとショックでさ……って、べ、別にそれでお前の事キライになっちまったってワケじゃねェぞ!? た、ただ……わかってやれて無かったんだなって思って……」 「えっ!?」 そ、それってどういう……? 「俺は今まで、運命とか宿命とか…、そんなもんはくだらねェと思って来た。だけどお前も含めた他のヤツにとってはそうじゃないんだろうって思ってもいた。特に美里や醍醐なんか、そういうカンジだろ? けど、さ。お前は俺とおんなじだったんだなって思ったら……ちょっと嬉しかった。あそこでそんなこと言いだしたりしたら、他のヤツらに怒られるんで言わなかったし、…なんかお前の顔見てたら言っちまいそうなんで、顔見れなかったんだケドよ…」 だからショックって言っても、悪い意味じゃねェからなッ。 どこか照れ臭さを押し隠した様に笑いながら、そう続けた京一を、俺は呆然と見上げていた。 どうして京一だけは、俺を見てなかったんだろうって思ったら…… なんか…嬉しくって涙が出そうだ。 ここで泣いたりしたら、今度こそ本当に勘違いされるだろうから、必死で我慢するけど。 「ははッ、なんで俺そんな風に思っちまってるんだろうな」 いつもの京一の、ちょっとふざけた感じのその笑い。 今の俺にはそれがどれ程救いになってることか。 「……とはいえ、お前が…その運命ってヤツの真っ直中にいる事は確かなんだよな」 「………」 そう、確かにあんな風に老師には言ったけど、既にこの街の暗雲が俺を中心にして動き出している事は事実だ。 でもね、俺はみんなが……お前がすぐ側に居てくれたらなんだって出来るんだよ? 「……俺は…、多分、他のヤツらもだけどよ、ガラにもなく、つまらねェ心配しちまってるんだ。お前が…どっか遠くへ行っちまうんじゃねェか、ッてな」 「!?」 「ひーちゃん…、そんなことあるわけねェよな?」 今度は怖いくらいに真剣な眼差し。 そんな……そんな事ある筈ないのに。 お前が俺から離れる事はあっても、俺がお前から離れる事なんかないのに。 ……離れられないのに。 京一の言葉が俺の胸の奥の水面に、大きく波紋を投げかける。 それが嬉しくて、でもどこか哀しくて、つい俺は泣きそうな顔で京一を見上げてしまった。 「ば、バカッ。な、なんて顔してんだよッ。ホントにわかってんだろうな?」 「あ、ご、ゴメン……っ」 何故か妙に焦った様な京一に、怒鳴られてしまった。 「……と、ともかく、勝手にどっかへ行ったりすんなよな。まッ、どこへ行こうと、俺が必ず探し出して、引きずり戻してやるけどなッ」 「えぇ!?」 ひ、引きずり戻してって……!? ど、どうしよう……なんかすごく嬉しくって…… さっき駅前に出て来るまでの沈鬱な気分が嘘みたいだ。 京一はずるい。 たった一言で、俺の気分を180度変える事が出来る。 まあ、それは京一の所為じゃないけど。 だけど、京一のその何気ない一言は、俺に至上の喜びを与えてくれる同時に、深く突き落としもした。 京一はかけがえのない親友として、俺を大切だと思ってくれていると思う。 でも--- 決して『唯一人の人』として見てくれてる訳じゃない。 俺の想い。 俺のお前を想う気持ちは、お前の思いを曲解してしまう。 俺は最後の一歩が踏み出せずに、うろうろとしている臆病者に過ぎないのに。
ぽつり
複雑な想いに沈んでいた時、ふと肩に落ちて来るものの気配に気付く。 「雨……?」 「おッ---、雨か------。濡れるのは構わねェが、また風邪ひくのはゴメンだぜ。こりゃ本降りにならねェうちに走って帰るしかねェな。ひーちゃんも、急いだ方がいいぜ」 いつもの笑顔で、俺を促す。 京一……京一…… 今の俺にとって、お前の存在が胸に痛い。 どんなに想っても手の届かない、そう---まるで雲を掴もうとしている気分だ。 雲を…… 「な、何だァ? 何かまだ話したい事でもあんのか、ひーちゃん?」 手の中の硬い布の感触。 俺の手は、思わず駆け出した京一の制服を思わず掴んでしまった。 雲ではなく、京一自身を…… 「え? あ、い、いや、その…お、俺……」 ---どうしちゃったんだよ、俺は……っ どもる俺に、何を思ったのか京一が一つ、深い溜め息を吐く。 ……呆れてるんだろうな…… 「……。そうだな、それじゃあ、どこかでちょいと、雨宿りでもしていくか」 「え? あ、きょ、京一っ!?」 きょろきょろと京一が当りを見回した後、急に俺の手を取って走り出す。 触れられた所から昇る熱。 ずっとこのままどこまでも走っていけたら------ 叶わぬ夢を胸の中でそっと呟いた。
中央公園------ 石造りのアーチで形造られた休憩所の下へと二人走り込む。 「はぁ…はぁ……」 吐いた荒い息が、真っ白な水蒸気になってうっすらと立ち上り、消えていく。 濡れた髪が、首筋に張り付いて、ちょっと気持ち悪い。 「ちッ…。雨のせいで、冷え込んできやがったな。俺たちの春も、まだまだ先…だな」 ぼそりと真っ黒な空を見上げながら京一が呟く。 春……か。 俺はその京一のセリフに、京一と再会したあの日の事を思い出していた。 桜の下で京一にもう一度出逢えたあの日。俺にとって、自分の誕生日よりも大切な記念日。 京一も同じ日の事を思い出していた様で、あの日の佐久間との一件の事を語り出した。 お前は知らないんだろうな。 樹の上から颯爽と現れて、俺の背中を護ってくれた。 俺があの時、どれ程嬉しかったか。 あの日以来、俺の背中はずっとお前に護られてた。あの、お前が消えていた数日を除けば。 そんな事を京一の話を聞きながら、ぼんやりと考えていた俺を襲ったのは、学校の屋上で雄矢に拳武館からの手紙を見せられた時と同じくらいの衝撃だった。 「……なァ、ひーちゃん。俺、来年真神を卒業したら…、ちょいと旅に出ようかとおもうんだ。行く先もなんにもまだ決めちゃいねェけど、そうだな、中国とかも悪くねェよな。あそこは気孔、発剄の発祥地だし、俺の師匠が剣の修行を積んだ地でもあるからな」 ちゅ、中国……!? 慌てて京一の顔を見れば、京一はどこか遠くを見つめる様な表情で、空を見上げていた。 離れてしまう…… 京一が俺から離れて行ってしまう。 やっと出逢えたのに。 やっと…やっと俺の名前を呼んで、微笑みかけてくれる様になったのに…… 俺の内心の葛藤は凄まじかった。 離したくない、側に居たいという想いと、邪魔をしたくない、重荷になりたくないという想い。 二つがせめぎ合い、俺の心を狂わせていく。 だけど、俺の心を狂わせるのが京一なら、俺の心を救うのも京一。 「…で、さ。……もしも…、もしも全てが終わって、無事卒業できたらよ、ひーちゃん…。お前も一緒にいかねェか?」 不安げな眼差しに、射貫かれる。京一の言葉が俺の胸を突き抜ける。 「い、一緒に!?」 「あ、ああ……。い、イヤ……なの、か?」 イヤじゃない。イヤな筈がない。 大慌てで、目眩いがする程首を振る。 「ううん、そんなコトないっ!!…で、でもホントに…ホントに俺が一緒に行っていいのか?」 恐る恐る、という表現が一番ぴったりだろう。そっと上目づかいで見上げると、京一はフッと、柔らかな笑みを浮かべて俺を見つめていた。 どくん、と心臓が跳ね上がる。 心が切なさに悲鳴をあげる。 「当たり前じゃねェかッ。お前となら…、ふたりも悪くねェとおもうんだ。ははッ、ガラにもねェこといってるけどよッ。まッ、まだまだ先の話だ」 「そ、そうだね。それよりも…京一には無事に卒業出来るかどうかの方が大事だもんね」 「何ィ? お、お前も言うねェ……」 クスッと二人笑い合う。 ほんの少しだけ心が軽くなる。 少なくとも俺は京一に置いて行かれるワケじゃないんだ。 掴もうと思うことすら出来ない様な遠い所へと行ってしまうワケじゃないんだ。 この想いは今の俺にとっては辛いけれど、それは真神に転校して来た時から、……いや、初めてこの想いに気付いた時から覚悟していた事。 たとえ叶わなくてもこの想いを抱いて行きたいと、そう決めたのは自分だから。 「おッ、ちょっと小降りになってきたぜ。帰るのは今のうちだな。…行こうぜ、ひーちゃんッ」 「あ、きょ、京一、待ってくれよっ」
ずっと秘めたままでいよう。 そう決めていた筈のセリフを、思いがけずたった数日後に口にしてしまうとは、今の俺には知る由もなかった。 そして、京一の気持ちの事も---
|
|