□fragrance□ |
「なァ〜、いい加減機嫌直してくれよォ〜」 学校が終った後、当たり前の様に龍麻の部屋へ転がり込んだ京一は、ふて腐れてそっぽを向きながら、制服から着替えている龍麻へと恐る恐る声を懸ける。 「…………」 「だって仕方ないだろ〜? あんなところで可愛い可愛い”俺の”ひーちゃんと二人っきりになっちまったらさァ〜、こうムラムラっと……」
バキッ
「バカッ!!」 京一の頬へと、奇麗な右ストレートを叩き込むと、龍麻はすっと、キッチンへと向かった。
「うぅ〜〜〜〜。なんでこう、アイツはいつもいつもいつもいつも………」 鬼気迫るオーラを立ち上らせながらぶつぶつと呟きつつも、コンロにヤカンをかける。 怒っている筈なのに、京一のためにお茶を用意するところは、龍麻らしいというかなんというか。 龍麻の機嫌が急降下したのは午後。 4時間目体育の授業で使った機材の片付けを、授業中にふざけていた京一が先生に命じられたのだ。 『なァ〜ひーちゃ〜ん……手伝って?』 わかってはいるのだ。 いつも醍醐に『お前は京一に甘過ぎるぞ』と言われている事は。 だけれど京一にそんな風に頼まれるとイヤとは言えなくなる。 惚れた弱み、と言うヤツなんだろうか……。 きっと心のどこかで頼られるのを、嬉しいと思っているからなのかもしれない。 だが、この場合はその甘やかしが失敗だった。 機材を運び込んだ、昼休み中の人気のない体育倉庫。 と、言えば……。 抱かれる事自体には、さほど抵抗があるわけではない。 もともと蓬莱寺京一という男に惚れ込んだのは自分の方なのだ。 恥ずかしいと思う事はあっても、イヤでは決してない。 ただ…… 『もうちょっと場所を考えろっていうんだっ!!』 今まででも校内でキスされた事は何度もあった。 だけどさすがに最後までいってしまったのは初めてで…… 恥ずかしくって恥ずかしくって仕方ないのに、身体はどんどん熱くなってしまって…… 思わず今日の情景が頭に蘇り、顔がカァッとなってしまう。 ぶんぶんと目眩いがする程頭を振って妄想を追い出し、お湯の沸いたヤカンの火を止める。 棚から出したのは、小さな紅茶の缶。 このところ龍麻はいろいろな紅茶を飲むのを楽しみとしていた。 まだ始めたばかりなのでブレンドとかはせず、ストレートティを一品ずつ試しているところだ。 だが手に取った時、その缶の軽さに気付く。 「しまった……。もうあんまりなかったんだっけ」 蓋を取り覗くと、あと1人分くらいはありそうだった。 京一は……どうしよう…… 京一にはコーヒーでもいいかな。……でも京一にも美味しい紅茶飲ませたいしなぁ。 怒っていた筈なのに、京一の事まで考えている自分に気付き、思わず苦笑する。 『ホント、重傷だな……』 小さくそう呟きながら。
「ど、どこへ行くんだよひーちゃん」 どうやらパンチから復活したらしい京一が、出かける支度をし始めた龍麻に、再び恐る恐る問いかける。 「ああ、紅茶の葉が切れてるんだ。買いに行こうと思ったんだけど……お前も来る?」 龍麻のその言葉に京一の顔は、まるで散歩の支度をする主人を待つ子犬の様な表情へと変わった。 「い、行く、行く! も〜ひーちゃんの行くトコならどこでもッ」 『まったく……』 ホント、俺って甘いよな。
紅茶の香りが店の中、身体を動かす度に鼻孔をくすぐる。 ダージリン、アッサム、アールグレイ、キーマン……、それからフレーバードティやフルーツティ、ハーブティ……。 店の中の紅茶のコーナーには、小さな缶がたくさん積まれ目移りしてしまう。 そんな中にいると、先程までのイライラした気分がすーっと消えていく。 香りの持つ、精神への鎮静作用が最近注目されているせいか、見に来ている客も多いようだ。 「なあ、京一。お前はどの紅茶がイイ?」 香りに包まれて、すっかり機嫌が戻った龍麻が京一に問いかける。 「ど、どれって……」 正直紅茶といえば、スーパーなどに置いてあるティーバックしか知らない京一にとって、どれと言われて、コレと言える筈もない。 「ああ、お前はどういう香りが好みなのかなって……」 京一が好きな香りのお茶なら、淹れるのももっと楽しくなるかも。 「見本が置いてあるからさ。どれかお前の好きなの選んでみてよ」 龍麻に言われ、京一は見本の茶葉に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。 なんだかその様子は、先程出かける時見せた子犬の様な表情と重なりあって、自然と笑みが浮かぶ。 『なんか可愛い……』 「ん〜。コレ…かな? ひーちゃん」 龍麻に可愛いなどと思われてる事には当然気付かない京一は、やがて一つを選び、龍麻に渡した。 「どれ?」 そのお茶の香りは、龍麻にとってかなり意外なものだった。 バニラフレーバーの紅茶。紅茶の茶葉にバニラの香りを付けた着香茶だ。 「コレ……なの?」 「へ? へ、変か?」 「いや、別に変じゃないよ。ちょっと意外だなって思っただけ」 京一が選ぶなら、もっとスパイシーなものになるかと想像していた龍麻は、不安げに聞いてくる京一に笑いかけながら、缶を持ってレジへと足を向けた。
家に戻り、改めてお湯を沸かす。 京一が選んだお茶…… なんだかちょっと嬉しい気がする。 ポットに葉をスプーン3杯入れ、沸いたお湯を注ぎ、蒸らす。 ポットの口から漂う香りは、葉だけの時とは比べものにならない甘い匂いで。 でも……、何でこの葉だったんだろう。 そんな事を考えながら、一緒に買ってきたお茶うけのスコーンとともにリビングへとポットを運んだ。
「お待たせ」 パラパラと置いてあった雑誌をめくっていた手を止め、京一が見上げる。 「おッ、サンキュー!」 「あ、ちょっと待って。ミルク入れるから」 「え? 俺はミルクは……」 「こいつはミルク入れた方が美味しいから」 京一を制しながらミルクを紅茶に注ぎ入れる。 龍麻はミルクティーを好んでいた。 透き通ったオレンジ色に、真っ白なミルクが混ざっていく瞬間が好きだったからだ。 「はい、どうぞ」 京一に手渡した後、自分の分を鼻先へと近づける。 良い香り…… フレーバーの甘い香りが、胸一杯に広がる。 ほとんどストレートしか飲んだ事なかったけど、こういう香りもいいかな? 京一の選んだ香りでもあるし…… 「でも、どうしてこのお茶選んだのさ?」 口元へとカップを運びながら、受け取ったカップを手に持ったまま、葉を選んでいた時の様に鼻をひくひくとさせている京一へと問いかける。 「へ? あ、ああ……似てる、と思って」 「似てる?」 一体何に似てるというんだ? 「うん。ひーちゃんの匂いにさ」
「!!」
「だ、大丈夫か!? ひーちゃんッ?」 「はいひょーふひゃなひー(大丈夫じゃないー)」 京一の言葉に驚いて、思わず無防備にお茶を口へと運んでしまった為、舌先を火傷してしまったのだ。 「やへほひひゃひゃひゃひゃいひゃ〜(火傷しちゃったじゃないか〜)」 舌先を口からはみ出させたまま、聞き取りにくい言葉で、京一を非難する龍麻。 「どれどれ?」 側に寄り、顔を近づけさせた京一は次の瞬間、龍麻のその舌をぺろっと舐めあげた。 「ひゃうっ!」 「へへッ、消毒だッ」 「こ、こらっ、京一!!」 「あれ? ちゃんと喋れるじゃねェか」 あ、あれ? ホントだ?? まだ少しひりひりするけれど、どうやらびっくりした拍子に痛みが退いたようだ。 「お、お前が変な事言うから驚いちゃったじゃないかっ」 「変な事?」 「お、俺の匂いがどう……」 言葉が続けられない。 突然ぎゅっと抱きしめられたのだ。 「変なんかじゃねェよ。……この匂いだ……。ひーちゃんのこの匂い。俺の一番好きな匂いだ……」 うっとりと耳元で囁かれ、身体から力が抜ける。 「甘い、イイ匂い……」 間近な京一の顔。抱きしめられながら、その凛々しい顔に真剣な表情で見つめられると、未だに心臓がどきどきして身体が熱くなる。 知らず龍麻は目を閉じ京一を待つ。 重なる唇。 その力強い腕に抱きしめられながら、龍麻の意識は、今日二度目の快楽へと飲み込まれていった。
「匂い、かぁ……」 行為の後の気怠さを持て余しながら、ふと先程のやりとりを思い出す。 「ん? どした、ひーちゃん」 「ううん、何でもない」 京一の匂い。 京一の首筋に顔を埋め、思い切り息を吸い込む。 暖かくて、太陽の匂いがする……。 明日もう一度紅茶を買いに行こう。 今度は京一の匂いのするお茶を……。 京一が選んだ、龍麻の匂いがするというお茶と、龍麻が選んだ京一の匂いのするお茶。 二つをブレンドしたらどんな香りになるのかな。 柔らかく抱きしめる腕の心地よさに包まれながら、ぼんやりとその香りを想像する龍麻と、そんな龍麻を優しい目で見つめる京一を、すっかり冷めてしまったお茶だけが見ていた。 |
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