カツン、と小さな音がして、龍麻は視線を床に落とした。
頼りなげに転がる自身のペンダントを認め、しまった、と顔をしかめる。着替えの途中なのもさておき、すぐに屈み込んでそれを拾い上げた。硬質な石と金属で出来たものだ、この高さから落ちたぐらいで傷がつくはずもない。
「あーあ……」
服に引っかけたかと思ったら、その時にはもう鎖は切れていた。どうやらあの金属工の言った事は正しかったらしい。遅かれ早かれこうなっていたのなら、街に滞在している間に切れたのは取り替えるのに良い機会だということか。
どうせ軍を避けて上陸しただけだ。すべき事も特にはない。散歩がてら再び訪れるのも悪くはないだろう。
さっさとそう決めてしまうと、龍麻は手早く身支度を整えて部屋を出た。他の四人に声をかけてみようかとも思ったが、ここからだと遠回りなのに気づいて止めておくことにした。彼らが――壬生を除いて――まだ午前中だというこの時間に起きているとは思えなかった。
宿の主人に軽く会釈をして、昨日辿った道を行く。笑い合いながら駆け抜けていく子ども達を、思わず立ち止まって見送った。
「――龍麻? 龍麻じゃねェか」
だから龍麻は、ひょい、と路地から顔を出した京一と真っ正面から向かい会う形になっていて。
龍麻がきょとんとしてしまっても、誰にも責められるものではないだろう。
「おい。まさか昨日の今日で忘れたなんてこたぁ――」
少々むっとしたらしい京一が言いかけた言葉は、龍麻の笑い声にかき消された。今度は京一の方がきょとんとしてしまう。
ひとしきり笑って、龍麻は腹を押さえたまま京一を見上げた。
「なんでそんなとこから出てくるんだよ」
「どっから出てこようがいいじゃねェか。普通に道通るより早いんだからよッ」
「それはそうだろうけどさ、軍人なんだろ一応」
今日も、京一は士官服を身に纏ってはいなかったけれど。
「だー! うるせェうるせェッ。で!? お前はこれからどこに行くつもりだったんだよ?」
「え……? あぁ。これの鎖を取り替えに行こうかと」
龍麻が答えるのと、京一が龍麻の腕を取って歩き出すのとは同時だった。目を丸くする龍麻に、京一は心配するなと笑いかけた。
「いい店知ってんだ。黙ってついてこいって」
腕を引かれながら、龍麻は小さく微笑んでいた。
昨日出会ったばかりだ。しかも、出会い方があれである。にも関わらずそれを全く気にした風もないのは京一の性格故か。少々馴れ馴れしすぎる気もしないではなかったが、龍麻は黙っていた。龍麻の嫌がる様な近づき方ではなかったのである。
「良い店って、ここ?」
「おう。ココの親父とその息子とは知り合いだからな。損はさせねェぜ」
「だ〜れが息子だって?」
京一が得意そうに言った直後、二人の背後から地を這う様な少女の声がした。聞き覚えのある声に龍麻はゆっくりと振り向き、京一は顔を引きつらせて飛び退いていた。
京一が立っていた空間を、少女の拳が突き抜ける。
「危ねェだろ小蒔! そーいうトコが男だってんだよッ」
「なんだとぉ〜! ――ってあれ? キミ、龍麻クン?」
いきなり始まった喧嘩を横で見ていた龍麻に気づき、小蒔は再び振り上げた拳を下ろした。照れた様にぺろりと舌を出す。
「ごめんね。びっくりしたでしょ?」
「いや。仲が良いなって思って。京一と知り合いなんだ?」
「そういう龍麻クンこそ、この馬鹿と知り合いだった訳?」
「なんだよなんだよ。お前ら知り合いなのか?」
互いに顔を見合わせ、三人は吹き出した。
「昨日、俺がこの店に来た時に小蒔と知り合って。その後、喧嘩に加勢して京一と知り合ったんだ」
「ちぇ。昨日来てたのかよ……」
京一と小蒔とはもう一人、昨日龍麻がちらりとだけ見た醍醐という男を介して知り合ったらしい。京一が軍に入隊してすぐの頃だったと言うから、もうかなり前になる。年が同じだと聞いて、一気に場は打ち解けた雰囲気になった。
「今日は何の御用?」
「昨日直してもらった鎖なんだけどさ、結局切れちゃって。取り替え頼もうと思うんだけど」
「そんなのお安い御用だよッ。入って」
ドアを開け、小蒔が先に立って店に入った。
「父さ〜ん! 昨日の龍麻クンが……って、いないのぉ?」
店内には人影はなかった。不用心だと文句を言いつつ、小蒔がカウンタを回り込む。手に持っていた包みを解いて棚にしまい、奥を覗き込んだ。
「あっちゃー。向こうに用事のあるお客さんみたい。少し待っててくれるかなぁ?」
「あぁ。先に選んでていいかな?」
申し訳なさそうな小蒔に頷き、龍麻はペンダント用の鎖の見本が並べられている棚に近づいた。いたってシンプルなものから見るからに貴族の装飾品用だと伺える様な細工物まで、様々な品がある。素材は勿論細工にしても、フォルセンの物だけでなく、余所の国から仕入れた物もあるらしい。そういった物は大抵が値の張るものであった。
「なぁ、どんなペンダントなんだ?」
後ろから覗き込んできた京一が、興味津々と言った顔で龍麻の持つ包みを見る。
苦笑しながら、龍麻は包みを広げて見せた。
「……キレーだな……。正直、俺は詳しくねェが……何かこう……あったけェ感じがする」
「俺も、これがどういったものなのかよく知らないから。でもすごい大事なものなんだ。……だから、そんな風に言ってもらえると嬉しい」
触っていいか、とまるで割れ物を扱う用に手を伸ばしてきた京一が取り易い様にと、龍麻は身体をずらした。
手のひらに載せてあちこちから覗き込んでいた京一は、ひとしきり満足して龍麻に玉を返した。
「よし! 俺がいいモノ見繕ってやるよ」
言うなり龍麻の肩を掴み、京一は見本棚と向かい合った。驚いたのは龍麻である。
「ちょ、ちょっと京一!?」
「遠慮すんなって。これも何かの縁だろ」
尚も抗議しかけた龍麻は、京一の真剣な表情に何も言えなくなった。
そんな素振りは全く見せないが、明日は出航なのだ。海に出れば無事に帰って来られる保証などどこにもない。それが任務だとは言え、海賊に勝てるとは限らないのである。軍として勝利を収めても、兵士個人となれば負けている事もあり得る。
だからこその、申し出なのだろう。
思うと、正体に口を噤んでいる自分に罪悪感が湧いてきて、龍麻は俯いた。
言えない。言える訳がない。
折角、友人と呼べる相手が出来たのに。
「コレなんかいいんじゃねェ?」
声をかけられ、龍麻ははっと顔を上げた。
す、と京一の指が示した鎖へ、龍麻の視線が吸い寄せられる。銀色をした、シンプルな鎖だ。
「他のも結構よさそうだけどよ。丈夫な方がいいんだろ?」
龍麻が答えを返す前に、奥から主人が戻ってきた。後ろに、大刀を携えた男を従えている。龍麻にも見覚えのある顔だった。
「なぁんだ、醍醐クンだったのか〜」
「あァ。刀の具合を見てもらっていたんだ。――待たせてしまって悪かったな」
前半は小蒔に柔らかな笑みと共に投げかけられ、京一に対しては軽く手を挙げたのみ。後半は龍麻に向けての言葉だった。かぶりを振る事で「気にしていない」との意を告げ、龍麻はカウンタに鎖の切れたペンダントを乗せた。
「やはり切れてしまいました。鎖の交換、お願いできますか?」
「お安い御用ですよ。こいつらの知り合いだってんなら尚更ね。そっから気に入った鎖を……ってなんだ京一、お前が選んでるのか」
先程「良い」と言った鎖の見本を持ってきた京一へ、主人は呆れた様に眉を跳ね上げた。
「俺が選んでもいいじゃんか。なァ、この鎖ってどのぐらいの強度なんだ?」
「ほぅ。なかなか良い目してるじゃないか。それは……そうだな、棚にあるこの素材の中じゃ一番、だ。そのくせ軽い。ま、その代わり値が張るんだがね」
主人が告げた値段は言葉通り決して安いと言えるものではなく、京一は眉を下げた。見繕ってやると言ったものの、あまり高い物を勧めるのも良くなさそうだと思ったのである。
だが、龍麻はあっさりとそれだけの硬貨を取り出していた。
「それでお願いできますか?」
「そりゃ構わないが……いいのかね?」
頷いた龍麻に目を剥いたのは、それを選んだ張本人であった。
「オイオイッ、別に無理してそれにしなくてもいいん――」
「俺が。お前が選んだのがいいって言ってんだけど?」
にっこりと微笑んで言い切られ、京一は言葉を封じ込められたかの様に口を閉じた。龍麻が本当にそう思っているのが分かったからだ。
「それじゃ少し待っててもらえますかね。付け替えぐらいならすぐに済む」
主人が作業に取りかかってしまうと、待つだけの彼らには何もする事がなくなった。
「京一。お前、準備はもう済んだのか?」
「あぁ? んなもん今夜で十分だろ。今日は龍麻とぶらぶらするし」
「全く、お前は……」
「そう言えば明日なんだよね、出航」
意図しての事ではないだろうが、ぽつんと呟いた小蒔が京一への説教を始めようとした醍醐の顔を覗き込んだ。おかげで説教から逃れた京一がほっと息をつく。
「気をつけてね。ボクには何も出来ないけど、毎日アイオリア様にお祈りするから」
「あぁ。それだけで十分だ」
力強く頷く醍醐を見つめ、小蒔は笑顔を作った。瞳には心配の色が濃くあったけれども、彼女はただ「気をつけて」と繰り返したのみであった。
「それじゃ今夜はいつも通りに王華でメシだな。小蒔も来んだろ?」
「京一のオゴリならねッ」
「誰がテメーに奢るかッ!」
すかさず言った小蒔に、京一が噛みつく勢いで指を突きつける。苦笑しながら、喧嘩が始まる前にと醍醐が二人の間にさりげなく割って入った。
「桜井の分は俺が出すよ。……しばらく王華のメシも食えんから、しっかりと腹ごしらえしなきゃならんな」
「そうだな。流石に海の上にまで持ってく訳にゃいかねェもんなァ」
「はははッ、全くだ」
談笑する三人を、龍麻は一歩下がったところから眺めていた。昨日今日の付き合いではない彼らに、龍麻が加わる余地はないように思えた。ましてや、京一や醍醐と敵対すべき身分の龍麻が進んで入り込める訳もない。
「はい、出来上がったよ」
主人の声に我に返り、龍麻は真新しい鎖に付け替えられたペンダントを受け取った。首に、馴染んだ感触が戻ってくる。
「ありがとうございます」
カウンタに代金を置き、三人にも暇を告げて龍麻は店を出た。
何故か、京一も後について出てくる。
「な、龍麻」
「悪いけど」
京一は何かを言いかけたが、それよりも早く龍麻が言葉を発した。
「俺、今日はちょっと用事があるんだ。コレ選んでくれてサンキュな。……明日から、気をつけて行って来いよ」
京一が今夜、夕食をと龍麻を誘うつもりなのは分かっていた。だが、龍麻が行った所で彼らの会話に加われもしないし、当然されるであろう質問に本当の答えを言う事も出来ない。
自分が違う場所にいるべき人間なのだと、痛い程に理解しているから。
「おい龍麻ッ」
「じゃ、またな。機会があったら……また会おう」
それでもこれきりだとは割り切れずに、龍麻は身を翻した。早足で歩く龍麻の背中に、「またな!」と叫ぶ京一の声が静かに吸い込まれた。
そして。
数日後、彼らの望んだ再会は互いの予測を越えた場所で、互いの望まぬ形で実現する事となる……。
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