■Soul Lovers:八・祇孔■


 

負けた、と思った。この俺がだ。

もっと早く出逢えていたら、勝っていたんだろうか。

勝って……あんたを手に入れる事が出来てたんだろうか。

 

 

「あっ! いたいた。村雨っ!!」

手下共とカモを相手に、つまんねェ勝負をしていた俺へとかけられた声。

「あァ? 何だ、緋勇じゃねェか」

俺はついさっき、こいつらと一緒に闘うという仲間になった。

ひと目見て気に入った緋勇の目。穏やかで優しい、その癖誰よりも強い意志を感じさせる瞳。

だから最初仲間に誘われた時、本当なら素直に仲間になるつもりだった。

だが、ヤツのあの目を見ていたら、持前の好奇心が湧き上がり、俺に勝負という形の条件をつけさせちまった。

コインの裏表。

勝負の方法としちゃァ大したルールでもねェ、ただどちらかを選ぶだけだ。

緋勇は古武道の使い手だ。ヤツの持つ動体視力なら、おそらく見分ける事など簡単だったろう。

だからこそ、……ヤツがどうでるか興味があったのだ。

しかし、実際緋勇が選んだ選択は、俺の予想の範疇を越えていた。

「……ねぇ?」

「ん? 何だ?」

「村雨はどっちだと思う?」

……突然何を言い出すかと思えば……

コイツはきっと俺がどうしたいか測ろうとしているんだろう、そう考えた俺は、端から見りゃ意地が悪いだろう薄笑いを浮かべながら、言ってやった。

「そうだな……裏、じゃねェか?」

本当の所は表が正解だ。

イカサマなんぞしなくても、俺が間違える筈はねェ。

だが、俺の返事を聞いた緋勇はにっこりと、思わず見惚れちまう様な笑顔でこう言った。

「そう? じゃあ裏」

……お陰で俺は、生まれて初めてイカサマする羽目になった。

まあ、その後別れて再び新宿へと戻って来ていたのだが……

「あのね、……俺と勝負しない?」

ぶつぶつとしつこく食い下がるカモ野郎を追い散らした後、何事かと聞けば……本当に面白い男だ。

わざわざここまでやって来て、俺と勝負だって?

「俺は別に構わねェが……一体どうした?」

「うん。俺が勝ったら俺の頼みを一つ聞いて欲しいんだけど。村雨に頼み事なら、こういう形にした方が、聞いて貰え易いかな?と思って」

俺に頼み事?

むくむくと好奇心が湧き上がる。

緋勇がわざわざこんな所までやって来ての頼み。

まったく、この男は俺を退屈させねェな。

「何だ、その頼みってのは」

「それは勝ってから教えるよ」

……って事は緋勇の頼みが何かを聞きたけりゃ、俺が負けなきゃならないって事か……。

かといって最初から負けるつもりで勝負なんざ、するもんじゃねェ。

頭を巡らせ、考え込んだ俺が出した条件は---

「なァ、緋勇」

「え、何?」

「……俺が勝ったら、だ。あんたが俺のモノになるってのはどうだ?」

「…は?」

今度は緋勇が目を丸くして驚いている。

「俺はあんたが気に入った。だから俺が勝ったら、あんたを好きに出来る、これが俺の勝負の条件だ。どうだ、受けるか?」

果たして今度はどうでるか。受けるとは思えねェが、それならとりあえず一体頼みが何だったのかだけでも聞けばいい。受けて緋勇が勝てば、頼みの内容は聞ける。そして、俺が勝てば-----

頼みなんぞ聞けなくても構わねェ。この綺麗な男が俺のモノってワケだ。

正直自分でもバカバカしいと思う理論だが、当の緋勇はというと、暫くの間ちょっと首を傾げて考えた後、再びあの笑顔を浮かべて俺に言った。

「いいよ、それで。……俺は負けないから」

 

 

シュッと、微かな風を切る様な音と共に、カードが手元へと送られてくる。

緋勇が花札を知らねェってんで、勝負の方法はポーカーとなった。

なんせコイツは学生服のまんまだ。下手な場所に連れてくワケには行かねェ。で、急遽俺の馴染みの店へと場所を移し、トランプを使って勝負する事になったってワケだ。

店のマスターが即席のディーラーだ。

「さ、緋勇、あんたからだ。何枚チェンジだ?」

手元に配られた5枚のカードをじっくりと見つめ、考え込んでいた緋勇は、今日大盤振る舞いの笑顔でカードを2枚場に置きながら、マスターへと告げる。

「2枚交換です」

「? ……おいマスター。……聞いてんのか?」

緋勇が宣言してるのに動きがないマスターをふと見ると、……緋勇をじっと見つめたまま固まってやがる。そうして俺が声をかけると、ハッとした様に動きだす。

……まったく、コイツの笑顔ってのは既に武器だな。

「俺は3枚交換だ」

カードを3枚置き、3枚受け取る。

……どうやら今日も俺はツイてるらしい。

「コール」

一枚一枚カードをテーブルに並べていく。

俺の手は6から10の並び、スートはダイヤ。

マスターが目を見張る。そうだろう、滅多にお目にかかる事なんざ出来ねェ役だ。無論イカサマじゃねェ。

「俺はストレートフラッシュだ。さて、……緋勇」

緋勇の細い、しなやかな指がカードを置いていく。

ハートのクイーン…クローバーのクイーン…ダイヤのクイーン……スペードのクイーン。

「フォーカード……か。残念だったな、俺の勝ちだ」

正直驚いていた。まさかフォーカードなんて出るとは思わなかったからだ。だが、どうやら運命の女神は、ほんの少しだけ俺の様な男の方が好みだったらしい。

しかし、そんな事を考えていた俺に緋勇が言う。

「まだ終わってないよ、村雨」

「何? んな事言っても、もう役は……」

言葉が続かねェ。

「そ、そんな。ちゃんと抜いた筈……」

マスターが動揺し、俺が驚愕した、緋勇がゆっくりとした動作で置いた最後のカードは……

「JOKERでファイブカード」

バカな……。

確かにマスターの言う通り、ゲームを始める前にジョーカーは抜いてあった筈だ。隅に追いやっていた箱を覗けば、確かにジョーカーが……1枚?

「お、おい。確かジョーカーって2枚あるんじゃなかったのか?」

「あッ! そ、そういえば……」

……なんてこった……

「で、どうする? 俺の勝ちで構わないよね?」

またしても緋勇の浮かべた邪気のねェ笑顔が、俺の脳裏にくっきりと焼き付いた。

 

 

「で? 先生、あんたの頼みっていうのは一体なんだ?」

店を出て、中央公園へと差しかかった時、肝心の頼みってのがなんなのか聞いてみる。

夏ともなりゃアチコチの草むらでアヤシイ声があがってるココも、さすがにこの季節にはいねェらしい。

シンと静まり返った公園は、酷く寂しげだった。

「…な、何? その、『先生』って……」

「ん? ああ、あんたは俺に勝った。あんたのその知略、精神力、…そして勝負強さ。見習わせて貰おうと思ってな。今日からあんたは俺の『先生』だ」

「ちょ、ちょっと止めてくれよっ」

俺が揶揄っていると思ってるんだろう。だがこれは俺の、嘘偽りない気持ちだ。学校のろくでもねェ教師共よりよっぽど尊敬できる。

「まあ、俺が勝手に呼ぶだけだから、あんまり気にすんな。……それより、頼みってのは……? 俺に出来る事なのか?」

そう言うと緋勇は呼び方の事は、諦めたのかふう、と大きく息を吐き、真っ直ぐ俺へと視線を巡らす。

「うん……。簡単な事だよ。村雨にしか出来ない……というより、村雨にして欲しくない事だから」

だんだんと頭が混乱してくる。わざわざ勝負を挑んでまでの頼みだから、よっぽどの事だろうと思えば、簡単な事?俺にして欲しくない事?

「……一体なんだってんだ、何をするなって言うんだ……?」

「…京一の事」

「はァ〜?」

京一…ってェと、蓬莱寺の事か?

俺の脳裏に、先日のパンダが蘇る。……あんまり嬉しくねェ光景だが。

「蓬莱寺が、どうかしたのか?」

「ううん、京一はどうもしないよ。……あのね、もし今度京一が勝負しようって言って来ても断って欲しいんだ」

「……なんだって?」

俺の混乱がピークを迎える。

「あ、あのなァ、先生。出来れば順序立てて話しちゃくれねェか?」

「……京一ってさ、ああいう性格だろ? 多分また『リターンマッチだッ!』とか言って勝負に来るような気がするんだ。だけど、きっと京一じゃ村雨には勝てない。何度やってもね。……だから出来る事ならもう勝負しないで欲しいんだよ」

「…おいおい。まあ、気持ちはわからねェ事もないが、……そりゃまた随分と過保護なんじゃねェのか?」

何であんたがヤツの為にそこまでしなくちゃならねェんだ?

しかも、自分を賭けの対象にしてまでも、だ。

緋勇を賭けの商品にしたのが俺だって事は、とりあえず置いといての問いかけに、緋勇は秀麗な顔を僅かに歪め、明かりで星の見えない夜空を見上げながらぽつりと呟く。

「……わかってるよ。自分がどれだけバカな事をしてるのかくらいは、ね。だけど、もうイヤなんだ。アイツに、……京一に、俺の知らない所で何か起こるなんて……。もう二度とあんな思いはしたくない。もう……もうイヤなんだよ……」

緋勇のその様子。俺は先日あったっていう拳武館との一件を思い出す。

無論俺が直接関ったワケじゃねェから、後で如月から聞きかじった程度の事しかわからねェが、緋勇の様子といったらそりゃあ酷いもんだった、そうヤツは言っていた。

蒼白な、死人みてェな面して何日も、…ぶっ倒れても蓬莱寺を捜して街をさまよい歩いていた、と……。

「先生…。あんたにとって蓬莱寺ってのは何だ?…もしかしてヤツに……惚れてんのか?」

まったく、…俺は一体今日何回緋勇に質問してるんだ?

そう心の中で呟いた俺を緋勇は驚いた様に見上げ、それから微かに頬を赤らめ、小さくこくりと頷く。

「好きだよ、ずーっと。初めて会った時から……」

その返事に、俺の今までの中で、最大の疑問が、頭に渦巻く。

 

何で、ヤツなんだ?

 

緋勇は『黄龍の器』としての《力》を有しているという。本人が望めば世界を思うがままに出来るほどの《力》だ。

その緋勇が選んだ相手があの男?

「先生……、あんたちょっと趣味悪くねェか?」

「そ、そんな事ないっ!! た、確かに欠点もいろいろあるけど、それは誰だって同じだよっ。……少なくとも俺にとっては必要なんだ。京一という存在が」

溜め息混じりで思わず漏らした俺の正直な感想に、緋勇がムキになって怒る。そして、二歩、三歩と俯きながら俺から離れ、くるっとこちらへと向き直った。

「俺は時々自分が怖くなる。大きな渦に飲み込まれてしまいそうな気分になる。……その渦が一体なんなのかはもう知っているけど、逃れることは出来ないんだ。それが、……『黄龍の器』に生まれた俺の運命だから……」

「あんた、知ってたのか……」

俺が薫から聞かされたのはつい最近だ。魔星の出現と、龍脈の活性化、そしてそれによる『黄龍の器』の覚醒……。

緋勇は既に覚醒し始めていた、と言う事なのか。

「うん、知ってた。秋月さんに聞くまでもなくね。もちろんそれが何を意味するのかも。だけど今までは怖くなかったんだ。京一の側にずっと居たから。でも……、あの時京一がいなくなって初めてわかった。アイツの存在が俺にとってどれ程大きいものかを。京一は俺にとって、俺を人間でいさせる為の枷なんだ」

俺は緋勇の絞り出すような告白を、黙って聞いていた。

さっきのあの笑顔---

この男はどれ程の想いを抱えて、あんな風に笑っていたのか。

「……俺は村雨に『先生』なんて呼ばれる資格はないよ。俺は自分の為に京一を利用している。ホントは京一を失うのが怖いんじゃない。京一を失う事によって、自分を失うのが怖いんだ……」

「……先生。あんた、…不器用なんだな」

「え?」

どうやら俺は、緋勇という男を勘違いしていた様だ。

薫から聞いていた緋勇、如月から聞いていた緋勇、共に闘った時の緋勇、そしてついさっきの勝負の時の緋勇……

どれも確かに『緋勇龍麻』には違いない。

いつも毅然として、運命に真っ向から立ち向かい、未来をしっかり見つめて進む、仲間たちの頼れるリーダー。

そんな他人に押しつけられたイメージを、この男は馬鹿正直に演じて来てたってワケか……。

「なァ、先生。人間関係なんてもんはな、打算で出来てるもんだぜ。何かを与えてくれるからこそ、何かを与えるんだ。先生が蓬莱寺の存在に助けられてるってんなら、きっとヤツもそれだけ先生にどこか助けられてるんだろう」

 

『どうだ?緋勇。ここはひとつ、この俺を信じちゃくれねェか?』

 

「あんたは言ったな。初対面で、しかもいきなり戦闘を仕掛けた俺に一言、『信じる』と。それに対して俺はずいぶんと悪態をついちまったが、……あれで俺は先生を護るって決めた。先生が俺を信じてくれたから、俺は先生を信じるってな」

信じてくれねェヤツに預けられる程、俺の命安くはねェ。

「村雨……」

「先生、あんたは俺にとってやっぱり『先生』だよ」

俺の前まで戻って来て、再び俺の顔を見上げる緋勇。その瞳が潤んで見えるのは気の所為じゃ無いだろう。

俺の中に後悔にも似た想いが渦巻く。

何故もっと早く出逢えなかったのか……

「……ありがとう。なんかすっごくすっきりしちゃった」

今迄以上の極上の笑顔を俺に見せる。今の正直なトコ、そんな顔されちゃ俺の理性が危ねェってのに。

「ずっと心にわだかまってた。…俺のこの想いがアイツの重荷になるんじゃないかって。今でもまだ少し迷ってるけど、……村雨に言って貰えて少し楽になったよ」

その時、俺の中の疑問の一つが解けていく。何故あれ程多彩な顔ぶれが緋勇の周りに集まるのかを。

いくらすげェ《力》を手に入れたところで、世界にたった一人じゃ大して意味がねェ。

護り、助けてくれる人を引き寄せる。

『黄龍の器』が『菩薩眼の娘』を母親に持つのは、もしかしたらそういう理由なのかもしれねェ、そう感じた。

「それにしても、不思議だね。村雨に初めて会ってからまだそんなに経ってないのに、……こんな話するなんて。なんか…村雨って、俺の兄さんか、父さんみたい」

ぶつぶつと心の中で考え事をしていた俺に、またしてもにっこりと笑いながらのこの言い様には、さすがの俺もがっくりときた。

「お、おい……兄さんってのはともかく、父さんってのは、いくらなんでもねェだろう…」

頭を掻きながらの俺の苦笑に、くすくすと、柔らかな笑顔を返すのはいつもの緋勇。

そうだ。あんたには笑顔が一番よく似合う。

「あ、……ゴメン村雨。…えっと、京一にはこの事、内緒にしておいてくれない?」

ちょっと申し訳なさそうな緋勇を見た俺の中に、悪戯心が湧き上がる。俺を親父呼ばわりした罪は償ってもらわないとな。

「まあ、勝負に負けた以上、蓬莱寺の誘いを断るって件は飲もう。約束だからな。が、……内緒にってのは、悪いが、別料金だ」

「え?」

緋勇の腕を取って引き寄せ、くいっと顎を持ち上げ、そっと唇を合わせる。

「!!!!!!」

ほんの少し、掠めるだけの口付け。

ところが、緋勇は、といやァ、その顔はこれ以上はない、と言う程真っ赤になっちまった。

「? ……先生? あんたもしかして……初めてか?」

まさかな、そう聞いた俺の耳へと微かに届いたのは、『わっ、悪かったなっ』という、ちょっと拗ねた様な台詞。

いくらなんでもと思ったが、本当に初めてなのか。

「へへッ、そりゃ儲けた。先生のファーストキス貰っちまったとはな。……なんなら、おつりがいるかい?」

「い、いらないよッ!!」

真っ赤な顔のまま、むくれてそっぽを向く姿は、あまりにも可愛くて、俺の理性が崩壊しかける。

このまま抱き締めて連れ去り全てを手に入れたい、誰からも傷つけられる事のない様大切に護ってやりたい。

まるで嵐の様な想いが、俺の心に吹き荒れる。

だが、そんな俺を押し止めたのは、脳裏を掠めた一枚のカード。

「……ああ、もうこんな時間か。そろそろひけて帰らねェと、御門のヤツがうるせェしな。先生もまだ明日ガッコがあるんだろ?」

「うん。……ありがとう、村雨」

まだ赤い顔のまま、呟く緋勇を残し、俺はその場を立ち去った。

まったく……そんな役回りだぜ…。

緋勇の引いたカード。

女王を護っていたのは、王でもなく、騎士でもなく、たった一人の道化。

俺にはあのJOKERが、蓬莱寺の顔にダブって見えた。


◆戻る◆