■心の鍵■ |
大きくのびをする。 今の空の天気はどんよりと薄曇り。 まるで自分の気持ちのようだと思ってついた溜息は、白くなって消えた。 「チクショウ、莫迦姉貴……」 朝起きた、というか起こされた直後に服を引っ張り出されてまるでとっとと家から出ていきなさいと言わんばかりに急き立てられた。何事かと食って掛かったら。 「良い年にもなって、自分の誕生日くらい誰かに祝ってもらいなさいよね。こんなとこでグダグダしてないで。はい、携帯」 にっこり笑って言う顔が嬉しそうだったが京一は逆に疲れた。確かに家にいて何もしない自分が邪魔なのはわかるが、だったら誕生日くらい休ませてくれてもいいと思う。普段から家にいる時間の少ない自分が言うのもなんだが。 まして、今日は日曜日。 休日ということもあって新宿の人通りは平日より多かった。 家にもいれなくてなんとなくぶらついている街はこんな時には酷く落ち着いた。 誰もお互いに干渉せず、自分達だけの事を考えて通り過ぎる。 普段は制服を着て歩いている街も、私服で珍しくコートを羽織って歩くとなんだか違う感じがする。木刀の入った袋は相変わらず持ち歩いているけれど。
誕生日。
今自分が置かれている状況に思いを馳せる。 姉が言ったように『良い年』にもなって誕生日会なんてこちらから願い下げだが、普通は彼女くらいいてその子と一緒に過ごしているべきなのだろう。普通なら。 そこで浮ぶ顔が『彼』な辺り、相当イカレていると思う。 新学期始めに転校してきた彼。 その人を中心にした戦いに自ら飛び込んでいって勝利したのは記憶に新しい。 例え誰もその戦いを知らなくても。 あっという間に過ぎ去った日々は、それまでただ無為に過ごしてきた日々より何倍も充実していた。不良同士で喧嘩をするよりもっともっと。自分の根源に近い所を見た気がする。 そんな世界を一緒に過ごしてきた彼に惚れてしまって恋人となったのはいつだったろう。 優しい笑顔は何もしなくても脳裏に浮んだ。 彼は一人暮らしで新宿のすぐ近くに住んでいて、学校の帰りに良く入り浸っていたのだが、今日はなんとなく行きがたい。 ふらりとあてもなく歩いているのがその証拠だった。 別に誕生日に特別な意味など抱いちゃいなかったが、何もする気が起きなくて、でも何かを求めるかのように場所を転々とした。 気がつけば、新宿の花園神社の境内にやってきていた。 正月三が日の賑わいなど跡形もなく。 葉のない木々に囲まれた場所はひっそりと静まり返っていた。 ボーッとしていると、頬に冷たいものがあたった。 「雨か……」 降り出した雨は酷いものではなかったが、傘など持ってはいなかったので濡れるに任せておく。 目の前にある梅の木の固そうな芽が春はまだ先だと告げているようだった。
どのくらいそうしていただろう。 人の気配を感じたが、暗くなりかけた神社に来る物好きなどたかが知れていると考えあまり意識を向けないでいたら。 「なに、してるんだ……こんなとこで……」 小さな声がして顔に手を当てられて強引に向きを変えられる。 「ひー……ちゃん?」 予想外の人物の登場に思考が追い付いていかず、呆然と相手の様子を見つめてしまう。 灰色のダッフルコートに身を包んで傘をさし、何故か困ったような表情を浮かべている、龍麻。 何故だろうと動かない頭でぼんやり考えていると。 「家に電話したら出かけたっていうから」 どうしたらいいのかわからないという顔のままで呟く。 ってことは、今まで探してくれていたのか? 「携帯は?」 言われるままコートに手を突っ込んで携帯を出す。 表示は暗転。 「わりィ、電源いれてなかった……」 「そんなことだろうと……」 諦めともつかない吐息をもらして、傘を差し出して一緒に入るよう促される。 大分濡れててほとんど意味ないけどな。 「あーあ、水も滴る良い男って感じ?」 からかいを含んだ言葉を投げかけつつ空いている手でこちらの髪の毛を弄んでいる。先程の表情は一体なんだったんだ? 悪戯に髪の毛を梳く指を捕らえて唇を落とす。 珍しく手袋をしていない指先は冷たかった。 「ひーちゃんこそ、何してんだこんなとこで……?」 「何……って」 またさっきの困ったような笑み。 普通だったら嫌がって振り解く手も、周りに人気が全くないのが幸いしたのかそのままだった。 「京一こそ、どうしてこんなところにいたんだよ」 「俺? 俺はいつもどうり、街をぶらぶらと」 おどけたように肩をすくめて答えたものは龍麻の気にはそぐわなかったらしい。ちょっと眉をあげて……怒る? 「だったら携帯くらい電源つけとけよ」 「え、だって今日誕生日だから電話がかかってくるの面倒だったし……」 「誕生日だって自覚はあったんだ?」 やっぱりなんだか怒っている様な。 「なんだかお祝って気分になれなかったんだよ……あんまり自覚なかったし、別に変わることなんてねェしさ」 この年で誕生日会なんてやらないだろ、と付け加えてにゃははと笑うと今度は少し悲しそうな顔をした。あれ? 「まあ、酒は飲むし女遊びは酷いし。確かにたいして変わらないかな」 「酷ェ言われようだな」 寂しそうな感じがしたので思いっきり抱き締めたかったのだが、自分が濡れていることを思い出して踏み止まる。相手は極度の寒がりだから。 「酒に関しては何も言えねェが、最近女遊びはしてないだろ、ホントによ」 手持ち無沙汰に空いた手をひらひらさせる。 「んで、ひーちゃんはどうしてここにいるんだ?」 「それは……」 なんだか言いにくそうな。龍麻にしては珍しく視線をそらしてしまった。 んーもしかして。 「誕生日だから、会いに来てくれたんだ?」 「う……」 図星だ。耳まで真っ赤になっちゃってる。 「もしかして、今まで探してくれてた……か? 悪ィな、こんな寒いのに」 「悪いと思うんなら、今度から携帯の電源いれとけよ?」 「ああ、わかったよ。……ん〜」 今度は俺が困る番だった。目の前の細い身体を抱き締めてやりたいのに、できないのは相当辛い。 「何?」 唸る俺を訝し気に見つめて小首を傾げる。 これで無意識ってんだから、恐いよな。 「抱き締めたいなァ……なんて」 「莫迦なことを……」 ぷいっとそっぽを向いてしまったが、本当に抱き締めてもこの状況だと殴られなさそう。勿体無い。 「俺本当はひーちゃんの所に行こうと思ったんだけどよ、行けなかった」 視線をあらぬ方に向けて気持ちをもらす。 「なんかいつも一緒にいると甘えちまって……ダメになりそうでさ。誕生日だって言えばひーちゃん絶対祝ってくれるってわかってたけど。あえて言わなかったらやっぱり寂しくてさ……一緒にいたいって思う方が強いんだけど、恋人なんだから当たり前だけど。ひーちゃんからも欲しがってもらいたいな、なんて思ったりして、やっぱ駄目だな俺、上手く言えないや」 黙って聞いていてくれる龍麻の存在が嬉しくて、言い切れないもやもやした気分がかき消えていくような感じがする。 「サンキュ、な、ひーちゃん。今日はお前がここに来てくれたのが一番嬉しい。流石相棒だぜ、良く分かってるよな、俺の行動」 「……京一」 「雨やまねェなあ……ひーちゃんが風邪引いちゃうから帰ろうぜ?」 なんだか照れくさくて促すと、龍麻が急に右腕を掴んで回れ右をした。 そのまま引っ張られるようにして境内を後にする。 「ひーちゃん?」 「このまま帰るんだろ?」 「あ、ああ、うん」 確かに帰るとは言ったけど、龍麻は腕を離してくれそうにない。 雨が降る新宿は通り過ぎる人の足も早くて誰も見ていそうにはなかったけど、こういうのを嫌がる彼にしては珍しかった。 「折角! 俺が料理作ってやったの、食べないで帰るつもりか……?」 「え……」 前を向いたままだったので最後の方が小声になったのを聞き逃すところだった。 「俺だって、京一の誕生日祝ってやりたいって思ったのに。ふらふら出歩いてるなよな……」 寂しそうな声。 それを聞いて『ああ、寂しかったのは俺だけじゃなかったんだな』なんて現金に思ったりもして。言ったら確実に黄龍だろうけど。 「ごめんな、龍麻」 側によって耳元に囁けば、小さくもういいよ、と返ってきた。 掴んだ腕の力が弱まったので外して手を繋ぐ。 言葉はなくても暖かい気持ちが伝わって来るようで嬉しかった。 その日、帰った龍麻の家では俺の好物ばかりが並んだ夕飯になった。 嬉しそうに食べる俺を見る龍麻も嬉しそうで。 幸せ、ってやつを噛み締めるのだった。 「あ、そうだ、言い忘れてたけど……」
誕生日おめでとう、京一。
1999年1月24日 18回目の誕生日。
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