よ〜っ
ぽんぽん
低い掛け声と共に小気味良く小太鼓の音が響き渡る。
しんと静まり返る中、舞台の中央で藤の華を飾った番傘を手に舞う優美な姿に誰もがため息をつかずにはいられない。
周りの音と一体となり、時折だんっと右足で床を叩くその荒々しいはずの動作でさえ、舞の中のひとつの動きとして自然に受け入れられていた。
ただの舞台を神秘的な空間に仕立て上げていくのは、やはり本人の持つ雰囲気のせいなのか。
演舞が終わったときの拍手は他の演舞よりも格段に長い間続いていた。
「ひーちゃん、すっごかったよッ! もう、言葉もないくらい綺麗だった!」
目をキラキラさせて意気込むように告げる小蒔に、龍麻はいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう小蒔。みんなも。見に来てくれて嬉しいよ」
「そーいう格好してると、なんだかすっごい美人の舞妓さんみたいだよ、ひーちゃん」
「桜井、それはほめているように聞こえないのだが……」
感嘆したまま思いつくままの言葉に醍醐が呆れたようにコメントをするが、その言葉には覇気はない。何故なら同じような思いを抱いているに他ならなかったからだった。
「しかし、何故女の着物なんだ?」
「あら、醍醐くん。日本舞踊の中では、男が女の姿を演じるのもあるのよ。これは女形と呼ばれるのだけれども」
才女らしくにっこりと疑問を解いているのは葵である。隣にいた小蒔もその言葉にへぇ〜そうなんだと納得顔だ。
龍麻の演舞は一番最後だったため、舞台が終了してからすぐには着替えることはできない。そのためにいまだ化粧もかつらも取らずに衣装すら演舞の時のままである。白塗りされた顔は流石に人間的とはいえなかったが、いつもの性別をより一層包み隠してしまっていた。微笑みを浮かべた顔を見てしまうと忘れられない印象を周囲に与え、先ほどから遠巻きに人が集まっていた。
「何にせよ、早くいつものひーちゃんに戻って欲しいよ、俺は」
不貞腐れたようにつぶやいた京一は、珍しく龍麻の側ではなく一歩離れた位置にいる。
それに気がついた小蒔が意地悪そうに笑った。
「そーだよねぇ。ひーちゃんが着替えてこないとべったり懐けないもんねぇ。いつもいつも何かにつけてひーちゃんにくっついてるんだから、たまにはいいじゃないのさッ」
「馬鹿、そんなんじゃねェ」
先ほどよりさらに不機嫌になった京一がにべもなく一蹴する。
それ以上言うことはないとばかりにそっぽを向いた京一に、龍麻は困ったように醍醐を見た。
「……俺、なんかしたかな?」
「むう……舞台を見る前まではいつもどおりだったが」
「ひーちゃん、こんな馬鹿に付き合ってやることないんだよ?」
「小蒔ったら……」
葵が困ったように小蒔をたしなめる。
しかしいつもどおりのやりとりになるかと思いきや、京一は先ほどと同じ不機嫌なまま黙り込んでいた。
「……龍麻、着替えてこれないのか?」
居心地の悪い空気になるのを見かねて醍醐が龍麻にため息とともに提案する。
「う、ん……そうだね……もうそろそろ、着替えられるかなぁ」
「更衣室とかって、順番待ちなの? あ、着物だからすぐ着替えられないんだ?」
同じように困って肩をすくめた龍麻の言葉に、小蒔が首を傾げた。
個室で着替えるからといって、ギリギリまで演目の説明をしてくれていた龍麻が着替えに困るというのは考えにくい。
「おばあ様がね。客席にいる人が全員出るまで着替えるなって、昔から言ってたから。俺だけにみたいだけど……」
「えーっ、他の人は着替えられるの?」
「うん、多分。もう着替え終わってるんじゃないのかな?」
素朴な疑問にあっさりと答えた事に小蒔がびっくりしたように声をあげた。
もっとも、周りも人が多い上に色々な会話がそこかしこでされているので改めて注目を浴びることはなかったが。
「龍麻、それはおばあ様が貴方に舞踊を継いで欲しいと思っているからじゃないのかしら?」
控えめに言葉を紡ぐ葵に小蒔はうんうんと頷いた。
「あれだけ凄い踊りって見たことないよ! なんだか他の人の踊りが霞んで見えちゃったくらいだしねッ」
「桜井、それは思っていてもあまり口に出すのはどうかと……」
まだ会場内ではある。関係者も山ほどいるであろうロビーに近いところでする会話ではないと醍醐が眉を顰めた。
「あんまり俺は舞台には出たくないんだけどね……継ぐ人はもう決まっているのに、何故かいっつも最後を踊らされるんだ……いい迷惑だよな」
「えっ、そうなんだ? じゃあ今回もほんとは出るつもりじゃなかったの?」
「うん。断ったんだけどね……もう予定だからって」
珍しくも困ったようななんともいえない表情を浮かべたまま呟く言葉に、小蒔も驚く。
「結構強引なんだね、ひーちゃんのおばあ様って。でもあの踊りを見たら判る気もするけどねッ」
「ここ最近練習してなかったから、あまり自信なかったんだけど……。ほめてくれてありがとう」
小蒔の素直な讃辞にはにかんだように微笑む。普段からあまり表情の動きがないために、女形の格好をしていると尚の事近寄り難い凛とした空気を纏っている龍麻。しかし笑うと人間であるということが実感できるくらい華やいだ雰囲気になった。
周りの者を見蕩れさせてしまう程の変化に、誰もが惹き付けられる。いつもそれを見慣れているはずの四人も例外ではなかった。
「うむ……龍麻。そろそろ着替えてきてはどうだ?」
一瞬咳き払いして元の調子を取り戻すのはやはり醍醐が一番早かった。
「じゃあボク達は外の喫茶店で待ってるから、早く来てね」
小蒔も我に帰ってえへへと笑いながら言う。側の葵も優しく笑って頷いた。
「うん、じゃあまた後で」
「……京一?」
ホールとはまた別の棟に用意されている更衣室へと続く廊下を歩きつつ、龍麻は隣を歩く者に恐る恐る呼び掛ける。
終了してから時間は経っていたが、辺りの人影はまだ結構あった。もちろん更衣室周辺では舞踊の関係者がほとんどだったのであまり大きな声で話すのも憚られた。
「皆と一緒に待っていてくれて良かったんだけど……」
首を傾げて問い掛けるが、京一は一瞬視線を投げ掛けただけで何も言わなかった。演舞が終わってからというもの、京一の機嫌はずっと直らないままである。醍醐もわからないと言っていたので龍麻にはお手上げだった。
「龍麻」
ふ、と小さな溜め息をついた所で突然呼び止められる。
慌てて振り返ると同じ流派の兄弟子がいた。
「何か?」
「いや、相変わらずの舞、見事だった。それだけ言いたくてな」
何も言葉を返さない龍麻に気を悪くした風もなくさっさと去っていく後ろ姿を見つめていると、突然腕を引っ張られた。予測の取れなかった突然の行動にふらついて京一の胸に倒れこんでしまう。
「……きょういち?」
「あいつ、何もんだ?」
驚いて小さく非難の声を上げたのと、質問の声が重なる。
聞いた声はやはり不機嫌なままで。
「……舞踊の兄弟子、だよ。おばあ様に師事してたから。あんな風に声をかけてくるなんてはじめてだけど」
答えなければ離してもらえないのは今までの経験でわかっていたので、龍麻も素直に答える。そうして身じろぐと京一も手の力を緩めた。
「服に化粧がついてる。いきなり引っ張るなよな」
京一の胸の辺りについた白い色を人差し指でなぞって上目使いで睨む。
「……早く更衣室に行こうぜ」
「お前が引っ張らなかったらもうついてたんだ。すぐそこだよ」
さすがにバツが悪いのか視線を辺りに彷徨わせて呟く声に龍麻も頷いた。
舞踊なだけに障子と言いたいところだが、ホテルのような所を借りているため鍵を開け取っ手をまわして部屋の中に入る。中は畳の座敷であった。
人が多く暖かかったロビーから暖房も入っていない部屋に入ると少し寒さが堪える。着物で厚着ではあったが、龍麻は思わず身震いした。早く着替えようと荷物のある方に向かおうとした矢先に、再び覚えのある感覚が襲う。
気が付けば京一の腕の中で。
「京一……」
繰り返される意味不明の行動は流石に龍麻もどうしたらいいのかわからず、説明しろと名を呼ぶ。
「ったく、自覚がないのも程があるぜ」
「自覚?」
いきなり言われて目を瞬かせる。
見れば京一は、呆れたような表情を浮かべていた。
「あのな。お前、あのロビーに居たときどれだけ注目浴びてたか知ってるか?」
「……そうかな?」
龍麻が首を傾げて見せると、あからさまに大きくため息をつかれる。
「お前のばーさまがしばらくそうしていろっつったのも無理ねェ。あのままロビーに立ってるだけでも十分な宣伝効果だぜ。しかも、俺らはひーちゃんを良く知ってるからいいけど、他の奴らだったら近づけもしないで遠巻きに眺めているだけだろうぜ」
そうして全員が踊っていない龍麻の艶やかな着物姿を見れば、側にいるだけでもいいからと入門者は増えるに違いなく。ただそこにいるだけで何もしてはいないと思っているようだが、そう思っているのは本人だけで、周りは嫉妬と羨望の思いに満ちていたに違いない。
「さっきの奴は堂々と声かけてきたけどよ、他にも声かけたさそうな奴は一杯いたぜ」
「そう、かな? いつも誰にも話しかけてもらったりしたことなかったけど」
そりゃあただ何もしてない凛とした感じの龍麻に話しかけようという勇気のある奴はいないだろうと京一は思う。小蒔に笑いかけていた龍麻はとても柔らかい印象を与えて話安そうな雰囲気であった。周りにいる醍醐や自分などがいなければ今頃取り囲まれていただろうことは予想できる。
だがそれは。
「あんな奴らにひーちゃんのこの姿をただで見させてやったのかと思うと……ッ」
「……京一、あのな……」
悔しそうに言う言葉に龍麻は呆れる。
もしかしなくても今までの不機嫌はそのせいだったのかと。
「ひーちゃん、もっと自覚しろよ。お前の笑顔、凶悪に可愛いんだからよ。そんな格好してたら尚更女と間違えて襲われかねねェ!」
力一杯主張する目の前の男に呆れを通り越して脱力した龍麻は、密かに頭痛のするこめかみを押さえる。
「そんな物好きはお前だけだから安心しろ」
「……今までそういうことはなかったのかよ?」
「あのな……そんなこと、あるわけないだろう?」
本気で疑っているらしい京一に、お前じゃあるまいしと付け加えて身を捩る。
逃げようとする身体を京一はさらに抱き竦める。
「ふぅん、じゃあこの格好でこんなことされるのも初めて?」
低い声で耳元に息が掛かるように囁いて左手を布越しで太股に這わす。
「京一ッ!」
いきなりの刺激に身体ごと反応してしまってから、慌てて振り解こうともがき出す龍麻に低く笑う。
「そーいや、知識はあってもわかんなかったんだっけか。こんなことされてもわからねぇよなァ……」
「莫迦野郎……ッ、そんなことされたらわかるっ!」
少し拘束を緩めて顔を覗き込めば、白塗りの化粧をした状態でもわかる程ほんのりと頬を赤く染め、涙に潤んだ瞳で京一をきつく睨み付けた。
京一を捕らえて離さない深淵の黒。
それに惹き寄せられるように口唇を寄せる。
「きょ……」
抱き締められたまま上手く力の出せぬ状態で、抗議も空しく口付けられた。
開きかけだったそれに遠慮なく入り込み、貪られる。
身体を離そうとついた腕の力がなくなるまでそれは続けられた。
「……んッ」
「……龍麻」
小さく付く吐息も悩ましく、力の抜けた龍麻の身体を側の壁に押しつけて囁く。
閉じこめた身体が京一が呼んだ名前に反応したのに気を良くして、化粧で白くなっている首筋に口付けようと動いた。
「ちょ……まだ化粧が……ッ。それにここをどこだと思って……!」
慌てた龍麻が力の抜けた腕で懸命に京一の顎に手をかける。
「んだよ。俺はな、今日のこのために、ず〜〜っとしないで我慢してきたんだぞッ!」
「それはッ!」
着物を脱ぐのは簡単だが、着付けには当然人が何人かつく。着物の着付けであるから男の人がたくさんいるわけではない。自分でできるところは自分でやるが、最後の所になるとどうしても女の人の手が入りかねない。というか舞台なのであるから変な格好はできないので強制である。
そうなると首もと襟元がしっかり見えてしまう着物というものは大問題であるわけで。
自身の誕生日以来、遠慮という言葉をどこかにしまい込んでしまった京一は、事あるごとに標しを付けたがった。最初はあまり気にしていなかった龍麻も、下手なシャツを着ていて村雨に咎められてから気をつけるようになった。しかし消えかけている痕の上にさらに付けたりするために、なかなか消えずに首を隠す服しか着れなくなっているのが最近の現状であった。
一週間前に電話でいきなり舞台参加を告げられ、四日前から練習に来いと半ば強制的に引っ張り出されたおかげで慌ただしい日々でそれどころではなかったのもある。京一もバイトを抱える身なので時間も合うことはなかった。そして電話を受けてから京一に事情を話して不承不承に約束を取り付けたのも記憶に新しい。
「やっぱよ〜……目の前に恋人がいるのにできねェってのはある意味拷問だぜ? 最近寝不足でバイト先で居眠りしかけたし」
「それとこれとは話が別だろう……?」
京一の拗ねた顔に心底困り果てた龍麻が呟く。
京一とて本気で龍麻を困らせたいわけではないのだが、目の前の普段とは違う魅力的なモノをそのまま逃したくないというのもまた本音であった。
少し俯いて考えていた龍麻が、そのまま口を開く。
「なぁ……駄目、なのか?」
「あ?聞こえねェ」
最初の呼びかけはまだ声になっていたが、途中がか細い声だったために聞き取ることができずに聞き返す。
「だから!着替えて家に帰ってからじゃ、駄目なのかって!」
言ってから真っ赤になって目を逸らした龍麻に、京一は一瞬唖然として、それから口の端を上げて悪戯っぽく笑う。
「珍しい。龍麻から誘ってくれるなんて、今日はまた積極的だなぁ?」
「な、俺はそんな……ッ」
「俺はするとは一言も言ってねェぜ?」
「な……」
いつもの悪ふざけのじゃれあいのつもりだったんだけどなァと呟くと、流石に龍麻も絶句した。
今までの行動のどこがどうじゃれあいなのだかは下心一杯なだけに、突っ込まれると非常に疑わしい限りであるはずなのだが、こういうときの対処などは全くできない龍麻は言葉を失ったままだ。
「ま、着物を汚したりしたら言い訳つかねェし。さっさと着替えて家でしよ?」
さらりととんでもないことを言いつつ、まだ力の抜けている龍麻の身体を抱き起こして帯を外し始める。
「……自分でできるよ」
京一に着物を解かれだしてようやく現実に戻ってきた龍麻は、流石にこれ以上触れられたら洒落にならないかもと慌てて着替えをしだした。
そんな龍麻を見つつ、京一は一番言いたかったことを口に乗せる。
「本当は、こんな舞台で龍麻を誰にも見せたくなんかなかった」
「……京一」
思いの外真剣な響きを持つ言葉に驚いて、京一の方に向き直った。
見つめた鳶色の瞳は力強い光で見つめ返してくる。
「好きだ」
言われた言葉に龍麻は目を見はる。
いつも側に居て、囁かれる言葉ではあるが、より一層京一の気持ちが込められているような気がした。
「だから、あんまり無意識に他の奴らに愛想振りまいてくれるなよ?」
まあそれがひーちゃんだけどな、と軽く付け加えられて場の雰囲気が解ける。
京一に捕らえられていると感じるのは、ふとしたこんな時で。
ゆっくりと笑みが浮かぶのが自分でもわかる。
「ほんとに、莫迦だな……」
「おう、莫迦で結構だぜ。ひーちゃん莫迦だからな!」
龍麻の綺麗な微笑につられて京一も笑う。
「早く帰ろうな?」
「おう!」
「それで……しような?」
にっこり笑った龍麻の言葉に今度は京一が絶句したとかしないとか。
【日沙葵のつぶやき】
あうう……何書きたかったんでしょうか……。
最初は兄弟子はもっと一杯でてきて京一がくってかかる話だったとか、更衣室ではもっと迫る予定(…)だったとか、色々削りまくってこの有様です(吐血)
もうすみませんとしか……っ
というわけで書き逃げ(脱兎)
あ、日本舞踊に関してはうろ覚えで非常に嘘臭いです。一応調べましたが。
あまり本気にしないで下さい(てかちょっとしかでてないけど)
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