■Soul Lovers:壱・龍麻■ |
桜……。まだ咲きはじめたばかりの木の下で、ぼんやりと枝を見上げる。 あれから、もう3年も経ったんだな…。 頬にあたる髪で、微かに吹く春風を感じ、ふと思う。 とうとうやってきたんだ、東京へと。 もう一度、あいつに会うために…。
ここはどこなんだろう…。 クラスメートに連れ出されてこっそり旅館を抜け出してきたのはいいけど、夜だというのに凄い人込みで、みんなとはぐれてしまった。 今日は俺の中学の修学旅行初日で、生まれて初めて東京へとやって来た。 そう、初めての筈なのに、この街をどこか懐かしく感じているのは何故だろう。 きらめくネオンも、ちょっと歩いただけでぶつかる人の波も、俺の住んでる町にはないものなのに。
「よォ、そこの彼女ォ?何してんの〜?」 突然、帰り道を探してふらふらと彷徨い歩いていた俺の肩が掴まれ、声がかかる。 「え?」 振り向いた僕の目に入る知らない男の子の姿。俺と同じくらいの年だろうか。ちょっと赤茶けた髪の毛で、人懐っこそうな表情。手には、棒の様なものが入った紫色の袋を持っている。竹刀だろうか。 か、彼女!?……またか。 俺は心の中でそっと溜め息をつく。 「おい!…俺のどこが女に見えるって言うんだ」 そう怒鳴る俺を見て、そいつは心底驚いたような表情になる。 「え…ひょっとして、あんた…男…なの?」 「当たり前だ。」 なんで俺が女と間違われなきゃならないんだ。……まあ、いつものことではあるけど。まったく…この女顔が恨めしい。 さすがに地元じゃみんな知ってるけど、ちょっと街の方へ出かけると、必ずといっていい程、男から声をかけられてるし。 そんな風に心の中でぶつぶつと嘆いていると、そいつは俺の顔をじーっと見つめた後ぼそっと呟いた。 「…もったいねェ…」 「はぁ?」 何言ってんだ、コイツは? 「すっげェもったいねェ…。顔カワイイし、この髪なんて、さらさらしててキレイなのになー」 そう言って俺の髪にそっと触れる。
ズキッ
触れられた瞬間、何故か俺の胸が痛む。一体なんだ? 何かその手の感触に、さっきこの街に感じていた以上の懐かしさを感じる。いつかどこかで…。 「伸ばしたらきっと似合うぜ。って……どうした?」 そいつはそう言いながら、黙り込んでしまった俺の顔を、覗き込む。
ドキッ
今度は心臓が跳ね上がる。な、なんなんだ一体俺は!? 「な、何でもない!…何でも!」 「…?まあいいや。んで、どうしたんだ、一人でふらふらしててよ。道にでも迷ったのか?」 にこにこと笑いながらそう言われて、自分が何をしていたか思い出す。どうやらコイツのペースに巻き込まれてたらしい。 この笑顔は曲者だな…覚えておこう。 ……あれ?なんでそんなこと覚えてなきゃならないんだ?コイツとは多分もう会う事もない筈なのに。
ズキッ
そう思った瞬間、また胸が痛む。ああっもう!!なんで俺の胸がこんなに痛くなるんだ!! 「おい?…本当に大丈夫か?どっか痛いのか?」 「いや!大丈夫だ!…ところで……ここは、ドコなんだ?」 「…ドコって…ここは新宿だぜ?なんだ知らねェのか?」 不思議そうに聞いて来るコイツに、俺は事情を説明した。 「ふーん。んじゃ、俺が旅館まで送ってやろうか?」 「え!?」 …そういえば、なんで俺コイツとこんな風になごやかに話してるんだ? 「んーと、そうだな。せっかくだ!この街も案内してやるよ!」 どうせ抜け出して来たんだ。少しぐれェ遅くなっても構わねェだろ? 「え!?ちょ、ちょっと!待ってよ!!」 そいつは俺が躊躇している間に、俺の手をつかみ雑踏の中へと向かって行った。
「どうだ、すげェだろ?このビル群は」 「……うん…。ほんとスゴイや…」 闇の中立ち並ぶ、いくつもの高層ビル群。見上げているだけで首が疲れてくる。 「まッ、新宿といやァ、これが一番有名だからなッ。ほらあれが都庁のツインタワーだ。」 指し示された指の先、ライトに浮かび上がる二つの塔。 …これが新宿新都庁舎か…。 それを目にした瞬間、身体を悪寒が走りぬける。 …何故なんだ?何か禍々しいような感じがするのは。 「ん?どうした?やっぱり気分でも悪ィのか?」 「…わからない…。だけどなんか怖いんだ、このビル…」 その時はまだ知る由もなかった。3年後に東京、いや自分を中心に、悲しい、いくつもの事件が起きるという事とを。 そして、その事件にこのビルと同じ、双塔が深くかかわっている事を…。 「な、なんかよくわかんねぇけど、あんまり気分よくねェみてェだな。…んじゃ、今度は東口の方へ行くか」 そう言うと、コイツは俺の手を再び掴むと、今度は反対方向へと歩きだした。
それからは、どこへ行ったのかはよくわからない。歌舞伎町とか回ったらしいけど(コイツ、中学生のくせに裏通りとかよく知ってるし)、付いて回るのに精一杯で、地名とか全然わからなかったのだ。 …ただ、本当に楽しかったのは確かだ。 まったく自慢にはならないけど、俺は人見知りが酷い上に、人付き合いも苦手で、始めて会う人とこんな風に話するだけでも意外なのに、一緒にいて楽しいと思うなんて、とっても不思議だった。 でももっと不思議なのは…、出来る事ならこのままずっと一緒にいたい、そう思ってる事かもしれない。 こうやって隣を歩いていると、ずっと前、遠い昔にもこんな風に歩いていた事があったような、そんな既視感を感じていて…。
「ほらッ、あれだろ、泊まってる旅館ってのは?」 古びた旅館。学生が修学旅行で泊まるような旅館なんてランクはしれてるけど。 「うん、ありがとう。…すごく楽しかった」 「ああ、俺も楽しかったぜ。…じゃあなッ!!」 持っていた棒を振りながら、そいつは一人帰っていった。 その後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、俺は気づいた。自分の頬を涙が伝っているのを。 「あ、あれ?なんで…」 もう二度と会えないかもしれない、そう思った途端、胸が痛くて…苦しくて… そうしてやっと俺は気づいたのだ。あいつの…名前すら聞いていない、あいつの事が好きになってたんだと。 慌てて消えた方へと走り、追いかけるが、すでにその姿はどこにも見当たらなくて。 俺はその場でしゃがみ込み泣いた。気付かなかった、何も聞いてなかった自分が情けなくて。 俺だけいない事が騒ぎになって、飛び出てきた先生に見つけてもらうまで…。
…あのあと、廊下で正座とかさせられたんだよな…。 俺を置いて行っちゃった他のクラスメート達は既に見つかってて、正座させられてた。 泣いていた俺は、勘違いした先生に、すぐに許してもらえたし、クラスメート達も置いて行った引け目があるのか、何も言わなかった。 あれ以来俺の中から、あいつの笑顔が消えない。 「髪…伸びたな…」 自分の髪を手に取り、呟く。 あいつがキレイだと言った、伸ばしたら似合うと言った髪。 もう一度会える事を願って伸ばし始めて、もう背中まで届いてしまった。 3年掛けて両親を説得して、やっとここまで来れた。 真神学園高校。今日から俺が通う、あいつを捜し出すために選んだ新宿の学校。 立ち止まり、桜を見上げる見慣れない俺を、登校して来た生徒が、不審そうに見ながら通り過ぎて行く。 小さく溜め息をつき、職員室へ行こうと思った俺は、自分へ向けて、他とは違う視線が注がれているのに気付き、振り向く。そこには…
……神様っているのかもしれないな…。
何故か、ぼーっと俺の顔を見つめているアイツ。3年前より随分背が伸びて、顔つきも精悍になっていたけど、木刀の入った袋を肩にかけ、俺を見つめる瞳は、あの時と変わらない輝きを宿している。
…俺はあいつの近くまで足を進める。今度こそ…俺の名前を読んでもらう為に…。 |
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