もはや、疑うまでもない。
ヒトとマは同じであって、同じものだ。
ヒトは自分の意思でヒトとして生きている。
ヒトであることをやめたとき、死を選ぶか、そうでないかは
本人しだいだろう。
そしてその一握りがマに幻じるのだ。
だが、マはヒトにはなれない。
決して相容れぬ器の違いがあるのだから。
では、お前は、何だ ?
第弐拾弐話 魔人学園〜咆吼
闇に包まれた病院には異様な雰囲気がこもっていた。
ここが『産婦人科』という領域には似つかわしくない陰鬱な空気が辺りに漂っている。
「皆様、こんな、大晦日の夜分にわざわざ申し訳ありません……」
雛乃が力なく礼を述べた。
他の連中が元気付けようと色々言ったりしている。
この双子の姉妹の祖父を何者かが襲ったのだという。そして、神社に祭られていた宝は襲撃者の手に奪われてしまったのだ。
刀での傷に間違いないというそれは、何を意味しているかは集まった全員が理解していた。
ともかくも、龍山がやってきて話をしたいというのでロビーに集まる。重苦しい空気の中で、微かなテレビの音だけが現実感を伴っていた。
『龍命の塔』
そのあまりにも非現実的なものの出現などというものは、今までの戦いを潜り抜けてきたものたちからしたら一笑に付すことができない事象であった。
織部神社と同じモノを奉納していたらしい靖国も襲われた以上、一両日中には塔は起動するとのことだった。
《陽》と《陰》に別れた《黄龍の器》
それはもともと混沌から生まれてきたものであり、さらに柳生という混沌を加えたせいで別れてしまったのではないかと。
そして、それを元に戻せるのは《器》である俺だけなのだと。
…………。
言うだけ無駄か。
もう癖になりつつある溜め息を零す横で、蓬莱寺や美里、醍醐、桜井までが嬉しそうに語りかけてくる。
図太いというか、なんというか。
そのとき、一年の終わりを告げる除夜の鐘が辺りに鳴り響いた。
年の変わる瞬間。
予告されたかのような地震が起きた。
あまりに唐突なそれに、龍山が眉を顰めた。
緩やかなものの塔の機動が開始されたことを示しているらしい。
一昼夜の後に地上に現れた塔によって作られた力の奔流は、上野の寛永寺へと導かれるという。
その時こそが、時代を分ける最後の闘いの時、とまで言われて即座に大げさな、と思ってしまった俺は間違っているのだろうか。
じたばたしていてもはじまらないと、龍山が花園神社に初詣に行くよう言い出した。
そうか、もうすぐ元旦なのか。
ここ数日入退院を繰り返したせいで、大晦日だという認識が全くなかった。
病院の外は未だ暗く、吐く息は白い。
星すらも瞬かない空は黒く澱んだ色をしていた。
とうに人気のない中央公園で歩いていると、ぽつりぽつりと今回の戦いの元凶である男の話になる。
もうすぐ決着がつく、ということで、今まで戦ってきた者たちや、利用された者達のことを訊ねられてゆるく首を振った。
犠牲だとか、そういうものは本人達の心次第だろう。
奴に何かを求めた、そいつらの心が満足していたのならば、犠牲とはいわない。
答えなど、俺が出せるわけもないのだから。
戦いを終わらせる事に否やはないが、そういうことを俺に聞くことが間違っている。
柳生が着ていた学生服から『天龍院』という高校があることを知らされるが、何故その学校に居たのかは謎だった。
そこに奴が求めるもの何かがあったのだろう。
とりとめもないことを考えていると、すでに明日の初詣の話題になっている。
切り替えの早い奴らだ。
どうやら未だに終わらない卒業アルバムの編集で、遠野が学校に残っているらしい。そういうところは仕事に手を抜かない奴だな。
一緒に初詣をしたいという彼女の望みに従い、行きがけに美里と桜井が学校に寄って連れてくるらしい。
この期に及んでかしましい女達と一緒に行動するのは御免被りたい。
そう思ったが、蓬莱寺は何やら勘違いしてくれたようだった。訂正するのも面倒なので黙っていることにする。
帰宅して身体を休め、昼過ぎに集合して花園神社に初詣をするということで話がまとまった後は、すぐ解散となったはずだった。
「……帰らねェのか?」
そいつを除いては。
「お前も帰れ」
「んだよ冷てェな」
離れたところから話し掛けていたのだろう、放たれた声と共に気配が近づいてくる。
そちらに向きもせずに空を見つめていると肩を掴まれた。頬にひんやりとした掌の感触がし、次いでゆっくりと視線を戻される。
蓬莱寺の顔が間近にあって……。
「何すんだよ」
「それはこっちの台詞だ」
間に素早く手を差し込んで顔をおしのけると、不満そうに言われた。俺はお前の神経を疑うぞ。
「ここは公共の場だ。何をする気だ」
「誰もいないんだし、別にいいだろ」
「お前はいいかも知れないが、それに俺を巻き込むな」
冷たく一瞥すると肩を竦めてみせた。
真夜中で裏路地のせいか人通りはない。しかし一つ先の大通りにでれば、元旦という日のせいで人通りはいつも以上にあることだろう。それがこちらに来ないという保証はどこにもない。
あんまり気にしない癖に、などとほざくのは無視しておく。
「それで、どこ行くんだ?」
「家に帰る」
解散になった理由も自宅に帰って休養をとるためだった。それを匂わせてみたのだが。
「嘘だな」
速攻で断言か。確かにそのとおりなので間違いではないが、それはそれでむかつく。
「どこへ行く気だ?」
再度強く問い掛けられて視線が泳ぐ。
自宅で休めといわれても、自覚はないが病院で数日間眠っていたせいか疲労は全くない。そのため、帰るという選択肢が浮かばなかった。
今は辺りが闇に包まれひっそりと静まり返っている。
自然と目は脇道の先の蔭に吸い込まれていく。
何故こんなにも暗闇に惹かれるのか、応えは最初から出ているのだ。
そしてその先も。
とりとめもなく考えていると、突然肩を捕られて何かを言う間もなく抱きしめられた。
後から何かが落ちる鈍い音が路地に響く。顔を肩口に押し付けられているため見ることはできないが、おそらく、蓬莱寺がいつも持っている木刀だろう。
相変わらず突拍子もないことをする奴だ、とか。いい加減にしろ、とか。言うべきことは山のように頭に浮かんだが、どれも言葉にはならなかった。
「消えて居なくなったりするなよ」
それこそ消え入りそうな声で囁かれて驚く。普段が馬鹿で活発なのが取り柄なだけにギャップの差は激しい。どんな表情をしているのかと思ったが、蓬莱寺の肩に手で頭を押し付けられていて見ることはできなかった。
「『俺』は、ここに居る」
ため息を一つついて応える。そうしないと離してもらえそうになかったからだ。
嘘をつくのは簡単だったが、そんな必要もない。たとえ嘘をついたとしても聡い蓬莱寺のことだ、すぐにばれるだろう。
心配することなど何もない。
そう何も。
もうすぐ全てが終わるのだから。
「戦いに怯えでもしたか?」
抱きしめる腕の力は緩められたものの、離そうとしない蓬莱寺を揶揄う。
「はぐらかすんじゃねェよ」
憮然とした調子だが、こちらをじっと見据える瞳の力は全く変わっていない。
「……お前は俺に何を期待しているんだ?」
本気で疑問だ。今何と答えてもこいつには信じる気はないだろう。なら俺は何を言えばいいのだろう。
「さあ何だろうな、俺にもわからねェ」
見つめたまま真剣に言われて戸惑う。直後に浮かべた曖昧な笑みもより一層戸惑いに拍車を掛けた。
「……とりあえず、離せ」
いい加減夜とはいえ、外で抱き合っている男子高校生というのも問題だろう。
身を少し捩ると、何かを納得したのかわからないがあっさり開放される。
一体何が言いたかったのだか。
手持ち無沙汰に手をひらひらさせつつ、落とした袱紗を拾い上げている背中を見つめる。
「お前は自宅に帰れ」
わざわざ自宅、という単語を使ってやると素早く振り返った。
「えェ? なんでだよ、別にいいだろ」
「良くない。帰れ」
心外だ、とでも言わんばかりの表情にさすがに呆れる。俺にとってはまだ昨日である記憶では図々しくも泊り込んできた奴は、ここ数日の入院騒ぎで家に帰っているとは思えない。
「それとも、その年で添い寝がして欲しいのか?」
皮肉たっぷりに笑って言ってやると、うっとつまった。……して欲しいのか?
「わーった。帰るよ。帰りゃいいんだろ。……その代わり」
諦めたように投げやりにそういうと、次の瞬間にはニヤリ、と何か企みを思いついたかのような悪戯小僧のような表情を浮かべた。
「キス、してくれよ。そうしたら帰るからさ」
「……は?」
人を食ったような笑みを浮かべたまま、人差し指で唇に触れられて唖然とする。
何を言い出すのかこいつは。
今日の蓬莱寺はどうかしている。
「俺がそんなことするとでも?」
呆れを通り越して見下げ果てる。雰囲気は伝わったのか、諦めたように肩を竦めた。
「おとなしく帰れ。それができないなら歌舞伎町にでも行け」
迷惑だ、という気持ちを前面に出して言ったら流石に眉を顰める。
「あのな、俺はお前がいいって言ってるんだ。本命がいるのにナンパなんかしたって楽しくないだろうが」
まあ実際そうなのだろう。言動そのまま実行に移す態度は全く裏表がない。
「なら、俺と一緒にナンパしに行くか?」
「えっ?」
まるで内緒話をするかの如く至近距離で囁いてやる。
からかうつもりなので目を細めて笑っているのだが、蓬莱寺はあっけにとられた顔をしたまま固まった。
いい反応だな。
「冗談だ」
本当に行く気もないので早々に踵を返す。
後ろの方で遅れてわめいている輩は放っておいて、マンションへの道を歩く。視線を巡らすと横道の奥の暗がりが目についた。全くの暗闇はこの新宿には存在しないが、闇の溜まり場は存在する。そんな場所にいるのは心地良かった、が。
このところの蓬莱寺の訪問のせいで夜は出歩けなくなってしまっていた。今日もすぐ別れられるならふらりと歩き回ろうかとも思ったが、それは許されないらしい。
暗夜は短そうだった。
集合は昼過ぎだったので、ゆっくりと中央公園に向かう。
辺りは新年を迎えた祝いのための人出で相当混雑していた。中にはすでに出来上がって馬鹿騒ぎをしている連中もいる。周りの迷惑というものがあいつらには理解できていないんだろうな。
人ごみは苦手だ…。
ただでさえこういうところの昼間は居心地が良くない。静かに散策でもできるならまだマシなほうなのだが。
仕方なく木陰に寄りかかってぼうっとしていると、覚えのある気配が近付いてくるのがわかった。
無視しても何かと煩いので仕方なくそちらへ顔を向けると、走っているのに全くぶつからず、人波をぬうようにやってきた。うまいものだ。
心の中で感心していると、何かを察したのか憮然とした表情になった。
「何か良いことでもあったのかよ?」
「……いや?」
何故そんなことを聞くのかと視線で問えば、目を逸らせて笑ってたように見えたから、とつぶやいた。
別に笑っていわたけではないのだが、そう見えたのだろうか。
まあ何もないなら別にいいんだけどよ、と蓬莱寺が呟く声に考えこんでしまっていたことに気がつく。
「明けましておめでとうさん」
上げた視線が蓬莱寺の方を向いた瞬間、嬉しそうに言われた。
「……おめでとう」
そういえば、正月なんだったな。
ここ数日病院を行ったり来たりしていて、いまいち現実感が湧かない。周りはこんなにも浮かれた雰囲気であるのに、だ。
そもそも現実感などあっても無いに等しいものだ。
そう、今のこの世界は……。
「……おい?」
不意に肩を強く掴まれて顔を覗き込まれる。
あまりに見知った、力強い鳶色の瞳。
「何だ?」
「いや、その……なんでもねェ」
何をそんなにうろたえているのか、焦って手を離した。
ボーっとしていたのには違いないのでその点については追求しないでおくことにする。
「帰ってもいいなら、帰るぞ」
「協調性の無いやつだなぁ。これから皆で神社に御参りに行くんだろ!」
そうだったな、そういえば。
「その神社は、ここから正反対にあるんじゃないのか」
昨日は花園神社へ行けと言われていたはずだ。集合場所が中央公園というのは一体どういうつもりなのか。
「あー、どうせならアルタ前とかで集合すべきだよなぁ」
「帰る」
「って本当に帰ろうとするな!」
一瞬の差で腕を掴まれてしまった。ち、もうちょっと早く行動するべきだったな。
「ははっ、お前たちは本当に仲がいいな」
大きく笑いながらやってきたのは醍醐だ。
これで仲が良いと見えるならお前、相当目がどうにかなっているだろう。眼科行った方がいいぞ。
「そうだろうそうだろう、俺たちラブラブだかんな〜」
……どこの誰のことだそれは。
というかお前も乗るな。
嬉しそうに俺の首に腕を掛けるのを見計らって軽く鳩尾に肘を入れてやる。
気がつけば何時も通りに両脇を固められて、帰ろうにも帰れなくなってしまったので諦めて引き摺られるまま公園を後にした。
新宿駅周辺は相変わらずのヒトゴミだった。
正月を祝う雰囲気のせいか、この寒空の下、着物姿もちらほら見かける。
その中にとても違和感を醸し出す連中が……。正月早々ナンパしている雨紋とアランだった。
あれらと知人だと思われたくはないのだが、そういう時に限って嬉しそうに声をかける輩がいるのだ。
とりあえず年始の挨拶だけを交わし、うきうきしているアランが駆けて行くのを追って雨紋も人波に消えていった。ご苦労なことだ。
さらに紫暮と壬生という珍しい組み合わせにも出会した。もうすでに花園神社に参拝し、これから紫暮の実家の道場にて模範稽古を一緒にするらしい。
俺と手合わせもしてみたいと言われたが、そんなことをして楽しいのだろうか……俺にはわからない。
醍醐が一緒についていきたそうにしているのを蓬莱寺がからかう。そういう蓬莱寺も雨紋たちのときにはからかわれていたのだが。方向性は違えど似たもの同士ということか。
もう良い時間だということで少々急かされて道を行く。
駅周り、とくにアルタ前などには無駄に円形を作って通行妨害をしている輩どもがいて歩きにくい為進むことに集中し、遅れたことに関するあれこれには今更文句を言う気力もなくなってはいた。
花園神社は表の通りとはうって変わって静かな空気が漂っていた。
境内に繋がる道に踏み込んだ途端、周囲の喧騒が消えるような感覚。
振り返れば確かに「新宿」なのに。
ビルの谷間に埋もれて死角になっているこの場所で。
初詣のための列はできていたが、屋台などは一切なかった。それが一層外の華やかさとの落差を感じさせる。
まだ来ていない女性陣を待つことしばし。
とりとめもないことを話している二人を横目にぼーっと境内を眺めていると、さらに見知った気配。
賑々しい雰囲気と共に劉が現れた。後ろから御門もやってくる。
どうやら来るのを待っていたらしい。
二日の午前零時に龍脈の力が放出され、この地を混乱に陥れるという予測を……わざわざ言いに来たのだろうか?
首を傾げると、御門は優雅な仕草で口元に扇を当てさらに言葉を紡いだ。
「貴方は、【世界】とは何だと思いますか?」
問うた本人は穏やかに笑っているが、全く感情が読めない。器用な奴だ。
「世界に真の価値などない。それはお前もわかっているのだろう?」
聞く相手を間違っていないか?と暗に視線で問えば御門が密かに笑った。
私は貴方の返事が聞きたいのですよ、と。
周りにいる連中も何やら興味津々と言った感じで聞き耳を立てているのが気配でわかる。溜め息をついて空を仰いだ。
「そうだな……俺にとっては、泡沫の夢だな」
「面白い」
御門が目を細めて笑む。
「それは、世界などどうでもいいということですか」
外見は笑ってはいるが、気配はなんだかあやしくなっているぞ。
「言っただろう。世界に真の価値などない。あるのは……己によってのみ成り立つ価値観のみだ」
視線を御門に戻し、お前にだってそうだろうと呟けば、一拍を置いてぱちんと扇子がしまわれた。すでに殺気は欠片も見当たらない。
「良いでしょう。運良く時間と手が空いている時ならば、わたしもお手伝いさせていただきましょう」
何に納得したのかわからないが、そう言って御門は踵を返した。御門に用があるといって劉も一緒についていった。
慌ただしい奴らだな。
そうしているうちに、遠野、桜井、美里がやってきた。遠野は制服のままだったが、桜井と美里は着物姿だ。それで遅くなったのか。
とりあえず鳥居の前までできている参拝の列に並ぼうとすると、今度は霧島と舞園がやってきた。挨拶もそこそこにこれから新年会だといって去っていく。
コスモレンジャーもヒーローショーをやっていたし、織部の姉妹も挨拶を交わしていった。マリィも赤い着物を着てはしゃいでおり、転びそうで皆の心配を誘っていた。
今日は色々な人間に出会す日だな。何か呪われでもしているのだろうか。
おまけに、担任のマリア先生までがやってきた。
一緒にお参りをするというので、本殿まで登り、賽銭箱にお金を入れて祈る。
祈り……。
俺にはその資格は与えられていない。
静かに手を合わせ、黙礼をする。
美里に何を祈ったか聞かれたが、敢えて答える必要性も感じなかった。適当に誤魔化すと、蓬莱寺が「人それぞれだから」と言って追求を阻んだ。
珍しいこともあるものだ。
自ら根ほり葉ほり聞きそうな筆頭なのに。
すると、マリア先生が帰ると言い出した。蓬莱寺は残念そうにしていたが、そもそも学校の先生がわざわざ一緒に初詣なんて普通はしないぞ。
帰り際何故か後で学校に来て欲しいと言われた。
……。
何を思い詰めているのか知らないが、気配が揺らいでいる。
去っていったマリア先生を全員で見送ると、途端に蓬莱寺が騒ぎ出す。
五月蠅い奴だな。
もう用事は終わったのだろうと振り返ったその瞬間。
辺りが一変した。
まずい。
また、奴か。
誰もいなくなった境内に柳生の声が響く。
間髪入れず目の前に姿が具現した。
戦闘態勢ではないそれにすぐには攻撃に移る気はないと判断するが。
「この前、俺がつけてやった傷は、もう癒えたようだな」
余裕なのか、自然体で腕を組んだ奴は面白そうにこちらを眺めてきた。
「闇であって闇ではなく、人の中にあって人ではない。お前に私が倒せるか?」
言外に二度目はないと言われているのか。
「……お前は、魔ではあるな。すでに人ですらない」
「違いない」
何がおかしいのか、肩を揺すってくつくつと笑う。
「そのままではつまらぬ。貴様を修羅の鬼と化してやろう。それが嫌なら、この俺を討ち取ってみせるが良い。そのくらいの障害のないこの世など、取る価値もないというものよ」
確かに、このまま一人で戦えば俺は確実に負けるのだろう。
不意打ちで一度敗北を喫している身では、一対一など到底勝機はない。
「無駄なことを……そんなことをして何になる? お前が望む世界は、一体なんだ?」
そもそも、この不確定な世界を手にするなどそう簡単に出来はしないだろう。混沌をもたらすとも言ったが、すでにこの世に安らぎの場所なぞない。
真の暗闇はどこにでもあるのだ。
俺の質問には答えず、口の端に笑みを浮かべたまま柳生は去っていった。
ここで対決する気はなかったのか。
おかしな奴だ。
ふと、呼ばれる名に振り返ると、唐突に眼前に現実が拓ける。
その急激さにふらりとよろめきかけたが、肩を掴んで引きずられて倒れるには至らなかった。
「大丈夫?」
心配そうに美里が覗き込んでくる。
後ろには蓬莱寺。
「突然いなくなったから心配したんだぜ? ……顔色が悪いな」
むっとしたように言われてどう説明すべきか迷う。
というか、説明しても理解はできないかもしれないが。
丁度遠野がまぜっかえしたおかげで、言わなくて済んだ。
遠野と別れて新宿駅まで戻ってくると、皆一度自宅に帰るという。
蓬莱寺がわざとらしくマリア先生の用事を持ち出すが、俺には心当たりなどない。しかし強制的に行く羽目になりそうだった。
学校につくと、屋上に気配がある。
この寒いのに何をしているのかと聞くまでもないのか。
辺りはすでに闇が包んでいる。
それを心地よいと思う反面、少なからず違和感を感じた。
マリア先生が振り仰いだ空を一緒に見上げると赤い満月の光が辺りを照らしている。……赤い?
何か聞くことはないかと問われて、首を横に振る。
今更何を聞いても、目の前の殺気は消えないのだろう。
そうすると、マリアは戸惑いの色を浮かべた。
境内と同じで、気配が揺らぐ。
そうして、語りだした。
人間と、そうでないものの歴史を……。
闇の眷属は闇に生きる。
それを恐れた人間達は彼らを『狩って』いった。
共存しようにも、人間は自らが脆弱な生き物であったが故に、力のある闇の者を恐れた。
人には闇は安息をもたらすものではないのだろう。
この光に満ちあふれた都市を見れば良く分かる。
マリアのような闇に生きる者にはあの光はさぞかし苦痛だろう。
ようやく話は帰結する。
俺の『血』が欲しいのだと、表情を曇らせて言った。
それならば、あの男のように何も言わずに行動に移せば良いのに。
そうするには、人の中に長く居すぎたのかも知れない。
「ワタシのために死んで欲しいなんて、都合のいいことはいわないわ。ただ……アナタの気持ちがききたかったの。たとえ、ワタシの屍を乗り越えても、アナタには護りたいものがある……?」
護りたいもの……?
その質問は、恐らく御門が聞きたかったことと同じなのだろう。
そして、俺は……。
答えると、小さく笑って『自分に正直になって』と言われた。
いつも正直に言っているのだが、聞いてもらえた覚えがないな……。
そうこうしているうちにも、マリアは笑みを深くする。
あなたは、陽の力を身体に持つのに、何故そんなにも闇に近いのだろう、そう小さく呟いた気がした。あまりにか細い声だったので、聞き取れたかは自信がない。
最後に一瞬目を伏せて。
「お行き、コウモリ達よ!」
その言葉が戦闘開始を告げる合図だった。
元々から不思議な気配だとは思ってはいたが、ヴァンパイアとはな。
手下にしているコウモリ達も案外タフで、少し手こずらされた。
しかし『死んでくれ』と言いつつも、揺らぐ気は変わりはしなかった。そのせいか、あっさりと技によって吹き飛ばされる。
「ワタシは……、あの男(ひと)のようにはなれない……」
そういってうなだれたマリアは疲れ切った表情を浮かべた。
「ごらんなさい、《龍命の塔》が、今産声をあげるわ」
力無く上げられた腕につられて都庁をみやると、大きな地響きと共に二つの塔が現れた。これだけの科学によって発展した都市からしたら、あまりに異様な現象だろう。
「さァ……お行きなさい」
見つめていると、そっと声をかけられた。
ここは間もなく崩れるという。
「ふふ、アナタからは、ワタシが遠い昔の仲間から感じた懐かしい波動を感じる……何故かわからないけれど」
そして、ワタシはすでにその波動にすら、触れられなくなっている……変わってしまった証拠かしら。
寂しそうにつぶやいて、屋上への扉を指さした。
「アナタには、陽に満ちた場所が待っているのだから……。ワタシも……そろそろ逝くわ。この校舎と一緒に……。さようなら」
最後の言葉を言うか言わないかのうちに、大きな揺れと共に校舎が崩壊する音が響いた。
瞬間的に消えかけた影を掴む。
自分でも驚くべき反射神経だ。
「緋勇クン……」
腕を掴まれたマリアは驚いたように目を見開いた。
少し迷う素振りを見せる。
「最後に……ひとつだけ聞かせて……。ワタシ……、良い先生だったかしら?」
弱々しく見える瞳を見返して、頷く。
誇り高いというのなら。そして本当に深い闇に染まった者ならば。
この真神学園はとうにまともな人間はいなくなっていただろう。
それが、全ての答えではないのだろうか。
答えに嬉しそうに微笑んで、彼女は自ら手を放した。
アナタは生き残りなさい、という言葉だけを残して。
崩れ落ちた校舎を背景に、佇んでいるのは犬神先生だった。
いきなり掴まれたかと思ったら、もの凄いスピードであの場所を脱出していた。それも全ては闇の眷属である、力のなせる技か。
すでにいつものトレードマークの煙草をゆっくり吐き出して無表情にこちらを見遣る。
「人の《想いの力》が、まさかこれほどまでとはな。正直……、俺も驚いているよ」
あまり驚いているようには見えない。
むしろ、当然の結果を見つめている……そういう風に見えた。
闇の眷属と、闇に染まったものとでは性質が根本的に異なる。
闇に染まったものは陽の下に出ることは叶わないが、闇の眷属は闇に属するものなだけで、光の下に出られないわけではないのだ。
闇の眷属であったが故にしばられ、その運命に忠実すぎたのだと呟いた。
それが何を指すのかは言わなくても解る。
案外、詩人なんだな?
「信じることと願うこと……、このふたつの想いは、人間が持つ、最も強い不思議な力だと、俺は思う」
そう呟いた犬神先生が見上げた空にはいまだに紅い月が昇っていた。
「運命は変えられるんだ。人の想いの強さがあれば……」
珍しくも多弁な犬神先生をしげしげと見つめると、小さく咳払いして姿勢を正した。
「お前たちの変える場所は俺が護ってやる。だから、必ず真神学園へ戻ってこい」
学園の正門から出て駅に向かおうとすると、美里、桜井、蓬莱寺、醍醐が走ってやってきた。
どうやらこの地震で心配になって迎えに来たらしい。
いらぬ心配を。
全員が揃ったところで、上野の寛永寺へ向かうことにする。
すでに嫌な気配は足元から立ちこめている。
寺の周辺は霧のようなもので覆われ、人気はまるでない。本能的にでも近寄ってはいけないと解るのだろう。それくらい危険な状態だった。
少しでも力がある者ならばその気配に気づきはしても絡め取られてしまうだろう。常人でも体調を崩したりくらいはするほどの、強烈なものだ。
そして……俺には寺一帯が黄金色に輝いて見えている。
目を焼き尽くすような光ではないが、大地から溢れ出たそれは今にも弾けんばかりに膨れ上がり、行き場を求めるかのように天を揺らす。
自然の地震や嵐に抵抗しようとしても抗う術がないように、ただそこに在るだけで確固たる破壊力を感じさせる。
これが龍脈の力というものなのだろう。
高揚感からか、心臓がいつもより早く動いている気がする。
「ここまで色々あったけどよ……必ず、生きて帰ろうぜ」
ふっと傍らの気が緩んだかと思ったら、そんな事を言われた。
何を今更。
「当たり前だ」
即答して視線を戻すと、ヘヘッと笑う声が聞こえた。
そう、後には戻れない。
俺だけだったらまだしも、この状態で弱気になるということは、恐らく死を意味するだろう。
奴が逃がしてくれるなんて甘い事はあり得ない。
いや、戦いに参加せず、あの暗闇でも明るい街にいるならば見逃すかもしれない。
ただ安穏とした内に死を迎えるのもできるだろう。
そうしたくないと願った者だけが、今ここにいる。
選択の末にこの場にいるのに、本当に何を言い出すのだろうか。
それは言わなくとも伝わったらしい。
「ただいつも通り、目の前の敵をブチのめすのみ、だぜッ!」
普段とかわりなく、悠然と力強く踏み出した蓬莱寺は木刀をその手に滑らせた。
揃って境内に足を踏み入れた瞬間。
ドクン、と。
周りに音が聞こえるかと思うくらいの大きさで鼓動が鳴った。
一瞬息が止まるかと胸に手を当てる。
五月蠅いくらいに体中に心音が響く。
……これは。
ゆっくりと顔を上げると、周囲を取り巻いていた先程までの金色の光に、様々な色が混じりだした。
多くは赤や黒といった色彩である。
すると美里が自分の身体を抱き締めて震えた。
「感情が流れ込んで来る。これは憎悪 、哀しみ 、怒り 」
ああそうだった、美里はこの龍脈を視る力があったのだった。
この色が全て感情の色?
それは、どこから来るのだろう。あれだけの気の力を染まらせる、その感情は。
目を凝らしてその根源を探そうとした矢先に、低い笑い声が聞こえた。
「ようやく俺の元へ辿り着いたな」
濃い霧の中から紅の影が滲み出てくる。
「……貴様らは、実によく働いてくれた。龍脈の《力》を活性化させるために……な。見ろ、この気の奔流を 。聞くがいい、大地の鳴動を 。そこで、見ているがいい。ヒトの滅びる様を 」
柳生が腕を空に掲げると、言っていることが本当であるというように大地が低く震えた。
「ふざけんじゃねェッ!!」
周囲に満ちた力を振り払うかのように蓬莱寺が片腕で木刀を大きく振るった。
「俺たちが、この場で引導を渡してやるぜッ!!」
「愚かな……。この俺を、斃せるつもりでいるのか。俺を斃す事は、誰にもできぬ。たとえそれが、神であろうともな」
勝利を確信しているのか、よく口が廻ることだ。
長い時を生きてきたというが、その生の間は龍脈の《力》だけを求めて生きてきたのだろうか。
だとしたらあまりに空しすぎる。
「お前は、魔だったな……」
そう小さく呟いたが、相手には聞こえたらしい。
「貴様らの《力》がいかに無力か その考えが、いかに愚かか、教えなければわからぬか……」
辺りに立ちこめる強い力にも掻き消されぬ、強い妖気を纏って奴が高笑いした。
それに呼応するかのように境内に蔭が凝る。
以前と違うのは、この寛永寺自体が結界となっているために奴が超局地的な結界を張るような真似をすることがないということだろう。
不意打ちの上に縛された状態でやられたのは記憶に新しい。
あの状況でないのなら、勝利を自惚れるのは早いというものだ。
戦力的に使い物にならない者はなるべく後方に行くよう指示していると、前方で調子のいい声が聞こえてきた。見ると、蓬莱寺が威勢良く敵を吹き飛ばしているところだった。戦闘になると別人だな、全く。しかも余程腹に据えかねていたのか、急所に一撃で沈めている場合が多い。
それにしても、人間を転じて鬼とする法で作った輩どもを従えているのはいいが、これなら九角のほうの手下の鬼道衆の輩どものほうがよっぽど手応えがあったのではないだろうか。
打たれ強くなっているとはいえ、桜井の技と援護にきた村雨との技で倒されているようでは奇襲のほうがどれだけ利があったのか、解らずにはいられないだろう。
雑魚を退け、残るは柳生のみとなっても奴の余裕の態度は変わらなかった。
流石に俺の技が思うように効かないのには参ったが、属性に寄るものだとはわかったので、蓬莱寺に任せることにする。射程が長い上に連続して攻撃できるものだから、連続で技を放っている。あれは俺より酷いんじゃないのか。その上、柳生の技を少しなりとも見切っているようだった。
蓬莱寺が最後の一撃を叩き込んだとき、柳生は信じられないという顔をした。
「ば、ばかな……、貴様らのこの《力》は、いったい……まるで龍脈の ッ!?」
そこでようやくこの事態に気が付いたらしい。
存外鈍いな。
そう、龍脈の側にいるのならば、『黄龍の器』という存在である俺にも力は宿る。
例え既に選ばれた者がいるとしても、同じ『場』に在るのなら、力の一端でも受け取れるというものだ。
この地に踏み入れた時から全身に漲る力を感じていた。
脈動するたびに波動は強くなっていく。
つまりこちらを有利にしていったに過ぎない。
「だが、もう遅い……。まもなく黄龍が目醒める……。この俺の造り上げた《陰の器》によってな……」
そういって歪んだ笑みを浮かべて柳生は倒れた。
……満足だったのだろうか。本当に、こんな形での終焉で?
その場に立ちつくしたままだった俺に、すでに本堂に向かった醍醐や蓬莱寺の声が聞こえる。
直後に現れた気にはっとする。
それにうっすらと気が付いてはいたが、確信がもてるほどのものではなかった。
そう、それこそ……。
「我が名は、渦王須 」
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