第弐拾壱話 幕間
目覚めた時は病室のベッドの上だった。
前の日にも同じ状態で数日過ごしていたから、その場所がどこかは聞かなくてもすぐにわかった。
傍に居る気配が動く。
美里だった。
「よかった……」
そうとだけ呟いた。
しばらくして、現状を聞かされた。
なんと三日も寝ていたらしい。
院長によると、精神的圧力によって倒れたのだそうだ。そういえば倒れる前は戦闘中だった。
妙に現実感の伴わない白い病室の天井を眺め、視線を窓の方にやると、空はまるで今の心の中を顕すかのような灰色だった。長い夢を見ていたような気もする。記憶の中にはすでに跡形もなかったが。
ため息をつくと、美里の動揺が伝わってきた。何か勘違いをされたらしい。
院長先生に報告してくるわね、と言って病室を出て行った。
ずっと冷たい対応をしてきたはずなのに、それでも信頼できるという。
わからない連中だな。
とりとめもないことを考えていると、病院に似つかわしくない騒々しい足音が聞こえてきた。
次いで大きな音と共に病室の扉が開く。
「龍麻ッ」
誰と聞くまでもない。蓬莱寺だ。
「五月蝿い」
「なんだよ、心配したんだぞ!」
余程急いで来たのだろう、ベッドサイドにある椅子に腰掛けても荒い息は整わなかった。心なしか顔色も悪い。
「心配してくれなんて頼んだ覚えはないな」
「相変わらず、可愛くねェ返事だな」
苦笑いしてつく悪態も冴えない。何かあったのだろうか。
すると、廊下の方から鈍い足音が聞こえてきた。蓬莱寺がびくついた時点で正体は解る。
「調子はどうだい?」
蓬莱寺と違って、扉を開けるのは静かなものだった。その分巨体の威圧感は凄まじい。
「問題ありません」
「そうかい。身体の方には全く異常は見当たらなかったからね。すぐ動けるならもう退院しておくれ。おまえさんがいると病院が二倍騒がしい」
「わかりました」
弁解する余地はない。ただでさえ煩いのがすぐ傍にいるのだ。
ベッドから降りようと身を起こすと、院長が、いひ、と笑った。それに蓬莱寺が顔をひきつらせ、さらに及び腰になる。
「そうそう、緋勇、聞きたいことがあったんだが……」
「何ですか?」
「あんたは男が趣味なのかい?」
一瞬、何を聞かれたのかわからなかった。
「……は?」
思わず聞き返してしまったのは仕方がないだろう。一体どこからそんな話題がでてくるというのか。
すると院長が、太い指で鎖骨の辺りを撫でた。
「鬱血の痕が体中にあったよ。大怪我して退院すぐとはあんたもやるねェ、いひ、いひひひひ」
言われて、む、と考える。今は消えているだろうが、確かにあの日には……。
「しかも相手は京一かい。アレをたらしこむなんて相当だねェ」
思考を遮るように名前を出されて、元凶を見遣る。
「蓬莱寺……」
「お、俺は別に何も……ッ」
不穏な空気を感じ取ったのか、慌てて手を振って無実を訴えているようだ。
大方口を滑らせたとかそんなところだろうが、迂闊なヤツめ。
「いひひ、何、京一にも同じように聞いただけさ。『緋勇にはイイ人がいるんだねェ』って」
青褪めてうろたえている蓬莱寺を見ればそのときの様子が目に浮かぶようだ。
ため息をついて院長に向きなおる。
「誤解のないように言っておきますが、俺は男が趣味ってことはありませんよ。俺、男だし。ただ、相手が女だろうが男だろうが俺自身はどうでもいいんです。今の俺には、ね」
そういってにっこり笑ってみる。どれだけ効果があるのかはわからないが、少なくとも目の前の院長と蓬莱寺は息を呑んで黙った。
「それじゃあ、私の相手もしてもらおうかねぇ、いひひひ」
「別に構いませんが」
先に復活したらしい院長が面白そうに言うのにあっさり頷くと、また二人揃って驚く。そんなに驚くことかな。
「俺としては『俺』なんかに興味を持つほうがどうかしてると思いますよ。世間には人が沢山居るのに、よりにもよって何故俺なのか」
これは本気で謎だ。蓬莱寺は桜井などが顔を顰めて話すほど女好きだと言われている。それでも俺のことを好きだという。これだから人は面白い。
「……何だよ、それじゃまるで俺が趣味悪ィみたいじゃねェか」
それまでずっと黙っていた蓬莱寺がむすっとした調子で呟く。もっと何か言いたそうだったが、院長の手前のためおとなしいものだ。
「ちゃんと自分をよく判っているじゃないか」
「何だとう?」
あまりに不満そうだったのでつついてみたら、あっさり乗ってきた。相変わらず単純だな。
「おやめ、病院内だよ」
「ッ痛ぅ!」
大きな手が蓬莱寺の頭をはたく。うめいたのは演技じゃなくて本当に痛かったのだろう。
「緋勇、あんたは自分をわかっていない。自分を粗末にするのはいいが、死んだりするんじゃないよ」
いつも不気味な笑いを絶やさない院長が、真剣な目をして諭してくる。
『死にたいのか?』
前にもそう聞かれたことがあった。
俺は死ねないのに。
万が一、死ぬことがあったとしたらそれは命運がそこまでだったということだ。
「粗末にしているつもりはないんですが……死ぬ気はないので大丈夫です」
「ふむ、まぁいいさ……」
納得したのだかしていないのだかの言葉に、新たな足音が加わる。
小柄だが相当急いでいる感じだった。
「院長! 急患です!」
おっとりとした雰囲気を崩さない高見沢が慌てて入ってきた。
「今いくよ」
どすどすと大きな身体を揺らして院長は去っていく。高見沢も一緒に走っていった。
足音が聞こえなくなると、室内は静寂。
退院しろと言われたのでベッドから立ち上がると、蓬莱寺が壁にかけられていた学ランを持ってきた。受け取って羽織る。
「……言いたいことがあるなら聞くが」
先ほどの不機嫌さをそのまま体中から顕している奴は下手をすると暴れだしかねない。放っておいてもよかったが、後始末は必ず俺に来るので厄介なことは早目に消してしまいたかった。
「…………なんて言うな」
「ん?」
俯いて小さく呟かれたため聞き取れない。
すると、キッと睨まれた。
「どうでもいいなんて、言うな」
強く言われて一瞬なんのことかわからなかった。先刻のことか。
「誰でもいいなんて、そんな風に自分を低く見るのはやめろ」
「別に……」
「とにかく、やめろ」
言いかけた言葉を遮られた。こちらの言い分は聞く耳ないらしい。
「お前のことじゃないのにやけにこだわるな?」
面白そうに言うと、口をへの字に曲げてそっぽを向いた。
「当たり前だ」
「ふぅん。そういえば、この前村雨が何か言ってたな」
「あいつと会ったのかよ!?」
今思いついたかのように言ってみると、思い切り良い反応が返ってきた。
「お前には関係ないことだろう」
「関係ある!」
即答か。
とても真剣に言い募る蓬莱寺をじっと見つめる。一生懸命なのはいいんだが、長生きできないタイプだな。
「村雨とか他の奴らと絶対するなよ」
強く言われて笑う。
「それはお前とも、ということか、京一?」
「う……俺は別だろ、別!」
そんなにこだわることでもないと思うのだがな。引き下がらないところをみると、こいつにとっては大事なことらしい。
「まぁ、どうでもいいな」
「どうでもよくない! 村雨とは会ったのかよ?」
「さあて?」
くだらない言い争いをしつつ、退院の用意をして部屋を出る。廊下に出たら流石に蓬莱寺も口を閉ざした。
玄関に向かうと。
慌しい中に何故か双子の姉妹がいた。
急患、とは。
彼女達の祖父のことだったのだ。
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