しゃらん、しゃらん。
見渡しても暗闇しかないその場所に、金属の甲高い音が響く。
それは決して不快な音ではなく、しかし耳に残る音でもあった。
一定の間隔で鳴るそれは。
突然消えた。
「お前は人か、魔か?」
何もない空間から唐突に声を掛けられて戸惑う。
「俺は……」
第壱話 転校生
目覚めは最悪だった。
夢のせいだとは判ったが、その内容までは思い出すことはできなかった。よくあることだ。
空は薄らと明るみ始めているような時間、珍しくももう一度寝なおそうという気はおきなかった。
「え? きょういちッ?」
「ンだよ、うるせーな小蒔」
沢山の登校途中の生徒の中で、間近から素っ頓狂な声を上げられて寝不足な頭にこたえる。
不機嫌を隠そうともせずに振り返れば、予想に違わない人物が目を丸くしてこちらを見ていた。
「だってまだ朝だよッ? いつもマトモな時間に来たことないクセに」
「ベツにたいした事でもねェだろ」
あまりに意外そうにしているため、思わずムッとして反論する。不機嫌なままなので必然的に声も低くなってしまった。
「怒んないでよ、もう。本当の事だろッ。昨日だって始業式なのにサボるしさ」
「んなタルいもん出てられっか」
びしっと指をさされて顔をしかめる。確かにさぼった方が悪いのであまり強くは出れない。
しかし出たくなかったのも事実だった。
「卒業式で暴れたから学校こなくなるかと皆心配してたんだよ? 最近なんかイライラしてるし」
流石にこれには何も言えなかった。卒業式のことは置いておくとしても、イライラしているとまで言われてはどう返すべきなのか悩むところだった。しかもサボった昨日、歌舞伎町界隈で喧嘩をしてきている手前、相手がそれを知らなくても肩身は狭い。
「心配なんかするなよ、男前が台無しだぜ」
結局のところ誤魔化す事にする。
少女はあっさりと騙されて怒って先に行ってしまった。
「はァ。たりィ」
母親に家に居ても邪魔なだけだと追い出されて行く所が他に考えつかなかったのもあるが、また街に出て喧嘩をしてくるのもどうかと思ったのだ。だが勉学をする気分でもなく、やはり来たのは失敗だったかと頭を掻いた。
別に学校が嫌いなわけではないのだ。
ただ、どうしようもない苛立ちが先行してしまって色々なものに八つ当たり的に行動してしまっている気がする。
わかってはいるのだが、どうにもできない自分に更に腹が立つ。
こんな状態で学校に行ってもまた騒ぎを起こすだけである。
いつもの日常が繰り返されるのに飽き飽きしていたが、出るだけ出てみるかと重い足を引きずって校舎へと向かっていった。
まさしく『いつも』であったはずの日常が終わる瞬間でもあったが。
「一緒に勉強する事になった転校生のコを紹介します」
相変わらずの美しさを誇る英語教師マリアの隣に、今日は驚くべきモノがいた。
教室中が潮が引くごとく一斉に沈黙した。
金髪美女に負けていない、白皙の美貌は長目の前髪で目元が隠れていてもその存在を主張する。
凛とした空気は他のものを寄せ付けない厳しさがあるかに思えた。
「緋勇、龍麻です。よろしく」
たった一言、それに柔らかい微笑が加わっただけで場の雰囲気はがらりと変わる。
冷たい空気が暖かい風で払拭させられるような、そんな変化に、気後れした者達が一斉に質問を浴びせ出した。
本人は一瞬戸惑ったが、困惑した風でもなくすらすらと返事をしていく。
マリアが中断させなかったらHR中ずっと質問攻めであったに違いない。
飄々とした態度を崩さず着席した転校生は、一瞬にしてクラスの空気を変えてしまったのだった。
休み時間ともなると、興味津々といったクラスメイトが遠巻きに転校生を盗み見る。
皆近付きたいのだが、先ほどの柔らかな態度とは違って話し難い感じがしたのだろう。
そんな中果敢にも話し掛けたのは、男にはあまり近寄らないともっぱらの噂であった美里葵であった。
誰もが驚き、聞き耳を立てている先で、転校生はあっさりと受け答えをしている。後ろからやってきた桜井小蒔の茶化した言い分も困惑気味ではあったがしっかり返答していた。
「あ〜あ〜、あんなにカオ真っ赤にしちゃってカワイイねェ〜」
二人が去った後でどうしたもんかと思いつつ、なんとはなしに話し掛けてしまう。忠告も兼ねてしまおうと思ったのはなんだか言い訳のようだったが、黙殺する。
こんな時期の転校生というのも驚きだが、何より当人に興味があった。
後ろの座席に控えている性悪な連中の話題でも「ああ」と言ったきり関心を持とうともしなかった所が大物くさい。ただの天然ボケかもしれないが。
昼休みもなんだか気になって、校内案内という名目で教室から連れ出してしまった。
佐久間達がなにやら言いたさそうにしていたが無視する。
そんなものよりも、目の前の転校生である。
朝の雰囲気とは打って変わって迷惑そうな気配を隠そうともしていない。
「ふうん」
「何だよ、気のない返事すんなよなッ」
『面白い所を教えてやる』と言ったら一瞬だけ軟化した態度がまた硬質に戻る。
「折角のポイントだっつーのに……女には興味ないとか?」
そう言ったら無言で殴られた。
女の子を観察する絶好の所を教えてやろうというのに断るので冗談で言ったのだが、実際そんなものは必要はないだろう。
街をひと歩きすれば誰もが振り返り、声を掛けたくなるだろう……微笑んでいればの話だが。
実際、京一の目からみても転校生は『綺麗』であった。
女っぽいというのではないが、美少年というのもまた違う気がする。
男であるのが唯一悔やまれるところであった。女であったら絶世の美女間違い無しであろう。
勿体ない……とは思うが流石に口にはしなかった。
注目されるのに慣れているのか、周りの視線に頓着することもなく案内を続けろと無言で促される。
「ま、大体はこんなトコかね」
一通り回って3−Cの教室前まで戻ってきた。
案内がてら眉唾ものの噂話などをしてやったが、相槌を義理で打ってますといった態度にあまり腹が立たなかった自分が驚きだった。
初対面の、しかも男に興味を持つなどという事で京一自身が周りに驚かれている事実までは気がまわらなかったが。
「お前は、馬鹿か?」
「は?」
いきなりの言葉に目を瞬く。
よくよく見れば相手は呆れているようだった。
「何だよ、いきなり」
ここまで丁寧に案内をしてやったのに酷い言い草である。怒っても文句はないはずだ、とココロの片隅で思う。
が、しかし、相手は一筋縄ではいかなかった。
「昼休み目一杯使ったら、昼飯食べられないだろうが。時間配分くらいしろよな」
「……ってあー!」
よく見ればもう昼休みは終了目前。パンの早食いをしたところで間に合わない時間だった。
確かにこれでは呆れられても無理はない。
「わりィ!……どうせだから一緒に授業サボるか?」
思わず出た言葉に自分で動揺する。つるむのは好きじゃないと言って憚らなかったはずなのに、どうかしている。
「却下だ。転校初日で悪評はつけたくない」
「……だな」
悪評、という点で暗に何かを含んだ物言いだったが、サボるということ自体を否定した言い方ではなかった。
良い子ちゃんというわけでもないらしい。
予鈴が辺りに響きだす。
それに反応して、同じく廊下でたむろしていた連中が教室内に入りだした。
なんだか面白くなりそうだ。
そんな想いを抱いて午後の時間は過ぎていった。
よくよく考えてみれば、美里に横恋慕している佐久間が美里が珍しく好感を持った人物を許しておくわけがなかった。その浅慮が今の事態になっているわけだったが。
樹の上で休憩と洒落込んでいたところに、大勢どやどやとやってきて何かと思えば柄の悪い連中の中に、目新しい人物が一人。あまりに冷静なので何か考えがあるのだろう。一瞬そのまま見ていようかと思ったが、それでは後味が悪いと間に割って入ることにする。
「俺のそばから、離れんじゃねーぜッ」
そう言って木刀を袱紗から抜き放つと大仰なため息が聞こえた。
「馬鹿が、出てこなくても良かったのに」
「何だとお? 俺はお前が心配で」
続く言葉は目の前の雑魚A(名前を呼ぶのも面倒だ)が吹き飛ばされて言えなかった。
あっという間の出来事に目を丸くする。
「無用な心配だな」
ふっと笑って拳を構えなおすのに、それなりの技量の持ち主であるとはっきり判る。
「何だ、猫被ってやがったのか?」
こちらもニヤリと笑って側の雑魚Bを木刀で軽く跳ね飛ばす。
その様に相手も軽く片眉を上げて驚きを示した。実力を判ってもらえていなかったようで少しムッとするが、雑魚がこちらに向かってきているので視線を戻す。
「俺は別に好きで喧嘩を始めたわけじゃない」
言いつつも近づいてきたヤツに対して巧妙なまでの当身を食らわし、一撃で沈めることなど普通の人ではできない芸当だった。
「まーいちゃもんつけられて逃げたら男じゃないわな。売られた喧嘩は買っとかねーと」
そう言うとあからさまに眉をしかめられた。
「売られた喧嘩を買うのは間違っていないが、お前が来なければもう少し穏便に済んでいたはずだ」
「いいじゃねェか、早く終わるんだし」
そんなことを言い返してやったら、まわりからなめんじゃねぇなどとお決まりの台詞が飛んでくる。木刀を自然に振りぬいた先で何かがぎゃあと言って吹っ飛んだが、気にもとまらなかった。群れるだけが強いと思っている奴等に負けることなどない。
雑魚より隣にいるヤツの昼間の気配とは全くかけ離れた闘気に、我知らず手が震えた。
強い。
技をそんなに見たわけではないが、強さは本物だとカンが告げていた。
あっさり佐久間を黙らせた後は色々と騒がしくなった。
隠れて見ていたらしい醍醐に説教を食らうわ、こういうことにはあまり近寄らない美里がやってきていたこととか色々珍しいことずくめで。
小さく溜め息をついて振り向けば、話題の主が目前に居て驚く。
「な……っ。驚かせんなよ」
ふ、と笑った顔はやはり美麗で、吐息も触れるかと思われるくらい近寄られたのに気付くのが遅れる。
「お前は、どちらだ?」
「え……?」
深い深遠の闇を宿す瞳で覗き込まれて問われた言葉に、咄嗟に返す言葉が浮かばなかった。
相手も答えを求めているわけではなかったのか、あっさり離れて行く。
「なんなんだ、一体」
問われた言葉の内容も、それを放った本人も何もかもが理解の範疇を超えている。
それでも。
退屈でしかなかった日々が変わる予感がした。
大した時間も経っていないのにワクワクしている自分に戸惑い、まあいいかと前髪を掻きあげる。
予感は、遠くない内に証明されることになる。
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