声がする。
いつも何もなかったはずのそこから。
しかしそれが何を言っているかまでは理解できない。
……いや。理解しようとしていないのかもしれない。
第弐話 怪異
教室内に一斉にざわめきが満ちる。
特に問題もなく終わった放課後、帰ろうと席を立った瞬間肩を掴まれた。
誰かは確かめる必要もない。
「緋勇、一緒に帰ろうぜ!」
振り返れば底抜けに明るい笑顔で予想通りの人物が立っていた。
「嫌だ」
「んだよ、付き合い悪ィぞ」
あからさまに嫌そうにしても諦める気はないらしい。
新聞部の遠野という少女に昨日の一件を根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だったが、それに関しては蓬莱寺があっさり諦めさせていた。
莫迦もここまでくるといっそ爽快という感じもしないでもないが、不意打ちのように首に腕を掛けられ教室を連れ出されたのには焦った。仮にも武道を嗜んでいる者のせいか、上手く外せない腕に業を煮やして気を放とうとすれば、ようやく離れていった。
「危ねェ。こんなとこで技なんて放つんじゃねェよ」
「人に気安く触るな。あと自分で歩ける。逃げる気もないから引っ張られるのは不本意だ」
「へェ……。あんま喋らないヤツかと思ったらそうでもねェんだな」
少々腹を立てていたので睨み付けてやっても全く動じない。ある意味大物かもしれなかった。
「大体、俺が話す前にお前らが勝手に完結してるじゃないか。口を挟む余地なんてなかったぞ」
「違いねェ」
こちらが不機嫌を隠そうともせず低い声でつぶやけば、何が楽しいのか笑って肯定する。ひょっとしなくとも莫迦なのか?
体育館の側にある特設されたような場所に案内されて少し驚く。
この学校、弓道場もそうだが新宿の割に設備はしっかりしている。
都立にしては上位の部類に入るのではないか……都会というものが良く分かっていない自分には判断できるはずもなかったが、少なくとも見た目にはまともな学校であった。
「これがなければな……」
「は?何が?」
本音を思わず呟やいてしまったらしい。
側にいた蓬莱寺に聞き返されて我に返る。
リングの上には身体を思いきり動かせて嬉しいのか、大柄の熊みたいな男が準備運動をこなしている。
「何が悲しくて、転校してからこう暴力沙汰に巻き込まれなきゃならないんだ」
そう言いおいて反論を待たずにリング上に飛び上がる。
身軽さに驚いたのか醍醐が感心するようにこちらを見つめて頷いた。
納得されても全然ちっとも嬉しくない。
見た目からしても体力があるのは歴然としていたし、前回の不良達のように一撃で倒れてくれる相手だとはとても思えなかった。こちらが一発食らわなければ倒せる機会は得られないだろうと気を張る。ただ殴られるのはご免だった。
相手の耐久力は想像通りで、発剄を放たねば接近戦のパワーでこちらの負けだったろう。卑怯くさいが遠距離からの剄で叩き落とし、ほっとする。
ふと背後からの視線に気がつく。
ずっと居たのだから当たり前だが、すっかり忘れていた自分もどうかしている。
振り返って見れば、驚いているかと思いきや薄く笑っていた。
まるでこの結果が当然であるかのように。
俺もきっと笑っているだろう。
戦いが嫌いなわけではないから、こういうストレス発散的なものはある意味楽しかった。ただ時と場合にもよるが。
何か言うべきかと思ったが、特に良い言葉が浮かばずその場を去る。
放課後に呼び出されたせいで街中はすっかり夕暮れの色に染まっていた。
「あーもう。俺が何したっていうんだっ」
八つ当たりしようにも相手は誰もおらず、精々ぼやくことしかできなかったが。
こんな調子では明日は何が待っているのやら。
「蓬莱寺と戦う、か」
そんなところだろうとぼんやり思う。
どちらにせよ安穏な生活とは程遠いなと溜め息をつきながら。
放課後を告げるチャイムが鳴る。
今日も無事平穏に過ぎていったらしい。
なんてことはないがな。
昼休み、注がれる視線が面倒で裏庭にでも行って昼を食べようとしていた俺をまたしても蓬莱寺が引っ張って屋上に連れていかれた。
なんでもお気に入りの場所なんだとか。
確かに春になりかけの陽射しは、周りを暖かく感じさせて風も気持ち良くはあった。
ぼーっと昼を食べていたら「遅ェ」と言われてムッとして見れば、蓬莱寺は寝転んですでに昼寝の体勢である。そのまま放っておこうかとも一瞬思ったが、いきなりそれではまたナニを言われるか判らない。午後の授業が始まる前に叩き起こして教室に戻る時は、屋上の心地良さより面倒くさがる蓬莱寺を連行する方が大変で疲れた。
早く帰りたいと思って席を立ったらまた呼び止められる。
今度は担任のマリア先生だ。
職員室へ来いとはまたいきなりなお誘いで昨日の事がばれたかと眉をしかめる。
どうするかと迷っているとまた後ろから首に腕をかけて引っ張られた。
「かったりー。呼び出しなんてサボって一緒に帰ろうぜッ!」
「蓬莱寺……」
昨日の今日で明るいヤツだ。悩みの方から逃げていくタイプだなと納得して、とりあえずさっさと帰ろうとする。面倒事はご免だ。
「おいおい悩むこたないだろ? 一緒にラーメン食おーぜ!」
「悪いが……」
「寄り道はだめよ……」
断わろうとした言葉に隣に座っていた美里の言葉が重なる。
あれよあれよという間に桜井も加わって蓬莱寺が殴られて終わるというまるでコントのような展開になった。意図してやっていないなら才能かもしれない。
「莫迦が」
「んだよ、緋勇まで」
殴られた頬をさすりながら蓬莱寺が反動をつけて立ち上がる。
女扱いしていない口振りではあったが、桜井の攻撃を受け身もとらずに食らったのがこいつの性格を表わしているかのようだった。
「ラーメン、行くよな?」
密かに笑っていたのに気がついたのか拗ねた顔をしてぶっきらぼうに尋ねてくる。
まあ別に用事もないし、また手合わせという訳でもなさそうだから付き合うことにする。そうしたら昨日倒したはずの醍醐がやけにすっきりした顔で現われた。
先日の不良たちのように後を引くタイプではないようでそれは別に構わなかったが、あの手合わせの後で動けるとは相当タフなのだろう。
後からやってきた桜井も加わってラーメン屋に向かう。
おのおのラーメンを頼んで話すことと言えば幽霊話。いるのいないの言っていたが、魂という存在が信じられているのにいないというのもおかしな話だ。信じているかといえばそうではないが、見えないものをどうこういってもはじまらないだろうと思う。世の中にはそんなものだけではなく、もっと質の悪いものがいるのだから。
しばらくそうして下らない話をしていたら、新聞部であるという遠野が飛び込んできた。話題の中心であった旧校舎に入っていたというのは野次馬根性というかなんというか。そのままのなりゆきで見失った美里を探すことになった。
隠れた抜け道を使って旧校舎の中に入ってみると、外観もそうだが中はもっと脆い感じである。醍醐達が地下室の話をしていたが、確かにそんなものがあってもおかしくない変な気を感じ取れる。
「ふ〜ん。後で探しに来てみるか」
思考を読み取ったかのようなタイミングで側にいた蓬莱寺が呟く。すぐさま桜井などに嗜められていたが、まさか似たような考えをしているとは思わなかった。
莫迦ばかりというわけでもないらしい。
美里をみつけた後、その変な気の一端であるモノが姿を顕しはじめた。
桜井だけを残して女性陣を退去させれば、顕われてきたのはコウモリの化け物であった。
少し拍子抜けの感は否めなかったが周りに慣れない者達がいるため、倒すことに専念する。
「あ、おいッ、先走るんじゃねーッ!」
蓬莱寺の焦った声が聞こえたが無視する。
軽く助走して進行方向の蝙蝠に拳を叩き込めば、後方からも派手に迎え撃つ音が聞こえた。女ながらに弓道を嗜む桜井もおいそれとやられることはないだろうと判断する。
ふと特異な気を感じる。先ほど去ったはずの美里が戻ってきたのだと判ったがあえて無視を決め込んだ。
「葵ッ! どうして?」
「皆の事が心配だったの」
「余計な心配は無用だぜッ」
後方でのやりとりを聞き流しつつ目前に迫ってくる大蝙蝠に身構える。予測通りの衝撃で後ろに弾かれ、少しよろめいたところで何かに軽くぶつかった。
「……無茶すんなっての」
驚いて見れば仏頂面に不機嫌さを隠そうともしない低い声が降ってくる。言いながら木刀の振り下ろし一動作で蝙蝠を叩き落している点は、並ではない証拠だったが。
「安心しろ。お前に心配されるほど落ちぶれてはいない」
「何ィー? 可愛げがねェヤツだッ」
「男に可愛いなんて単語を使うヤツの気が知れないな」
言葉の応酬の間にもお互い大蝙蝠に向けて技を放ち、後方からの矢の攻撃で倒れるのを確認して進む。
「お前たち……仲が良いのはわかるが、緊張感に欠けるからやめておけ」
「どこが仲がいいんだッ?」
醍醐が面白そうに声を掛けてくるので反射的に言葉を返したら、隣にいた奴とも同じ台詞で思い切りハモる羽目になる。思わず顔をしかめてしまったのは両方同時で。朗らかに笑う醍醐を苦々しく思いながら最後の蝙蝠を仕留めるべく動く。
少々ダメージを受けはしたものの、化け物蝙蝠を撃退できた。
普通ではない蝙蝠に桜井や美里が気味悪がっている横で醍醐も納得がいかないと首を傾げている。
そんなものより隣でぶつくさ言ってるモノの方が気にかかった。
「大体よォ、いくら強ェからって一人で突っ込んでいく奴があるかよ」
「……五月蝿い」
「まるで怖がってないみてェだし」
勘が良さそうだとは思ったが、恐ろしく的確な所を突いてくる奴だ。どう答えるべきか悩んでいた所で聞き覚えのある声が降ってくる。
目醒めよ。
まさか自分まで倒れることになろうとは思わなかったが、『力ある言葉』の前にその場に居た全員が昏倒させられる。
気が付いた時に、余計な事は忘れているよう願ってしまったのは何故なのか……。
その後何故か旧校舎前で目が覚めて無事であるのを確認したら、再びラーメン屋に連行された。
……ラーメン好きなのか?
変な疑問を抱きつつ結局付き合っている自分に苦笑する。
短いようで長い一日がこうして終わっていった。
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