□蒼の部屋1□


 

 闇の中で無駄に考える時間が多くなった気がする。
 何故、と自分に問うてもわからない。
 暗い中でただ立ち止まるのは無駄にしかならないとわかっているのに。
 どうすればいいのか途方にくれている。
 
 ただ一歩を踏み出すのをためらって……。
 
第七話 恋唄

「むかつく」
 頭の中で考えていたことが堂々巡りになってきて、思わずつぶやいてしまった。
 考えても結論が出ないのは分かり切っているが、それを口に出したところで答えがでるかというとそうではないから質が悪い。
「なぁに? あれだけしたのにまだ不満なの?」
 突然横から面白そうに声を掛けられて我に返る。
「あ、いや。そういう訳じゃなくてだな……」
 自分以外の存在を一時でも忘れていたなんて大した失態である。
 頭を掻き回しつつ身体を起こす。
 一つ思い出すといくつものここ最近の光景を連続で思い出してしまい、周りの状況がわからなくなることがままあった。ついでに胸もむかむかしてきて色々なものに手当たり次第八つ当たりしてしまいたくなる。
「もう帰っちゃうの?」
 溜息をついてベッドから降りようとしたら、後ろから腕を掴まれた。
「今日は気分じゃねェんだよ」
 相手は女なので、無理に振り解く事もできない。爪先の強烈な赤色に眉を顰めつつ、ゆっくり手を外した。そのまま脱ぎ散らかされていた洋服を拾って身につけていく。その側でもうちょっと付き合ってくれても……と不満を零す言葉を聞かない振りをして紫の袱紗を手にした。
「じゃぁな」
 行きずりでナンパされた相手と次に会う約束も何もないので、さっさと場を後にする。
 無作為に作られたために大きさも高さもバラバラなビルの谷を見上げて、暗い空と明るいネオンの対比に目を細める。この街は眠らない街だった。時間の感覚すらおぼつかない。
 ふと、戻した視線に見慣れたモノを見かけた気がして、麻痺していた感覚が動き出す。
 きらびやかで人通りの多い道を避けるように闇の凝った場所を目指す姿に違和感を感じたのだ。どうせやることもなかったので、ふらりと移動する影を追いかける。
 ビジネスマンや買い物客等で昼間は人通りがある道も、すっかりなりをひそめている。乱立する大きな無機質の箱は光を発するモノは極僅かで、唯一航空障害灯の赤い点滅するライトだけが見えていた。歩道は歩く人の危険を考えてか、一定間隔で街灯が建てられてはいたが、その明るさも人が全くいない道ではもの悲しさが先に立つ。煌々と照らされる光によって、東京の空は星すら見えなくなって久しい。
 足元の微妙に見えない不安定な状態を気にもとめずに影は並木の歩道を悠々と歩いていく。向かっていく先に気が付いて首を傾げる。こんな夜中に行く場所とも思えないが。
 新宿中央公園。
 迷うことなく足を踏み入れていくモノに、どうしようかとためらったのは一瞬だった。実際自分も近道といっては通り抜けていたりするのだから、怖いも何もあったものじゃない。
 少し先の影にいくつかの影が突然重なる。
 はっと構えた時には立っている影は最初のものだけしかなかった。
「……相変わらず尾行にしちゃお粗末だな、蓬莱寺?」
 背中を向けたままこちらも見ずに指摘されてむっとする。
 確かに尾行していたことになるのだろうが、別に隠れてこそこそするつもりはなかったからばれていたとしても今更だ。
「オマエこそ、こんな時間にこんなとこで何やってんだよ」
 ぶすくれたままで解きかけた袱紗の紐を縛りながらすらりとした影に近寄る。
 周囲には叩きのめされたならず者達がうめき声を上げていたが、情状酌量の余地はない。ここを通りかかっていたのが、ただの酔っぱらいサラリーマンだったら立場は逆転していたはずだから。
 眼前に立つ人物も、外見からはとてもその力など想像できない。今だとてとりまく気は乱れもせずいつもどおりだ。
「ただの散歩」
「はぁ?」
 ようやくこちらを振り向いたかと思えば、暢気な言葉が返ってくる。綺麗に微笑まれて言われても、こんな暗がりではいまいち真実味に欠ける。
「夜は、好きだな」
 納得していないのが顔に出たのか、緋勇は小さく笑って夜空に両手を上げる。
 まるで空気を抱き締めるかのように。
「何もかも飲み込まれていくようで……境目がなくなったらいいのに……」
 呟く緋勇の気配は本当に消えそうな程小さくなっていて、普段の鮮やかな気とは正反対だった。
「ここから消えたいのかよ?」
 思わず腕を掴んで引っ張ってしまう。一瞬身体が強張ったようだったが、体術に長けているだけあって無様によろけたりはしなかった。
 何故捕らえられているのかわからないといった表情をして掴まれた腕を見つめた後、思い出したようにこちらを見上げる顔はいつもの緋勇だった。
「さぁね」
 向けられた不適な笑顔はこちらの心の奥に眠る何かを確実に呼び覚ます。
 気が付いたら視界いっぱいに緋勇の顔が接近していた。
 唇が重なった時点で自分が何をしているのか気が付いてはいたが、心の中で焦っているのとは反対に態度は思い切り余裕をかましていた……と思われる。
「……あんま驚かねェんだな」
「そういうお前こそ」
 身を離した後先ほどと変わらぬ相手の様子に、落ち着いていると信じたい声で話し掛けると、あっさり返される。
 よく見ればいつの間にか腰に手を回している自分がいて、尚更混乱する。いきなり手を離しても不自然なのでどうすればいいのか迷う。
「欲求不満で暴れ足りないなら付き合ってやるけど? 旧校舎行き一人で行くなというから行っていないんだ。弱いままだと役に立たないしね」
 ふ、と微笑して硬直していた腕の中からするりと逃げる身体を視線だけで追う。
「言いやがったな? そんな事言えねェ位強くなってオマエを倒してやる!」
 ビシッと指さして宣言してやると、闇に溶けそうな姿が可笑しそうに震えた。
「今日は駄目だ。強烈な香水の匂いつけたまま行っても集中できるなんて思えない」
 ……しっかり釘を刺された。
 それにしても何故男相手にキスなどしてしまったのか。考えかけて止める。なんだかわけのわからない気分にさらに胸がむかつきそうだったので、脳はあっさり思考を放棄することを望んだ。
 

 翌日、ようやく放課後になって席を立ち上がりかけると、マリア先生に話し掛けられる緋勇の姿を見つけた。思わず名前を呼ぶと、二言三言話して先生は立ち去った。
 何だったんだ?
 首を傾げて訊ねると、相変わらず冷ややかな反応が返ってくる。態度が変わらないところを見ると大したことでも無さそうだと話題に見切りをつけると、後ろから小蒔と美里が現れた。いつもお決まりになっている会話に、今日は輪をかけて物騒なものを持ち出されたりでここは一目散に逃げるに限る。緋勇を連れていけなかったのが心残りだが、校門の側で待っていれば会えるだろうと短絡的に考える。
 遠回りしてやってきた校門付近で、女の子の声が聞こえて思わず立ち止まった。いや実際下校時間なので、部活のない生徒が行き来していて声が聞こえるのは当たり前のことだったが、最近聞いたことのある声だったのだ。おまけに側に馴染みの気配。
 通り過ぎる女の子の挨拶を軽く返しつつ、生け垣の向こうにいるらしい緋勇と少女の会話に集中する。聞き取りずらかったが、どうやら少女が緋勇をデートに誘っているらしい。かなり勇気のある行動である。
 しかし相手も一筋縄ではいかなかった。
 幾度かの誘いにも首を縦に振らず、ついに少女の小さい靴音が遠くに去っていった。
 気に鋭い緋勇のこと。バレているのは承知なのでさっさと回って姿を見つけることにする。
「あーあー。もったいねェなァ。お前も、罪な男だねェ。泣いてたぞ、紗夜ちゃん。いいじゃねェか、デートの一回や二回」
 肩を叩いて軽いノリで言ってみても帰ってくるのはやはり冷ややかな態度だった。
 瞳を覗き込んでみても感情の揺れは全くなかった。ホントに興味はないらしい。紗夜ちゃんがあまりにも可哀想なのでついつい嫌いなのかと訊ねてみれば、あっさり無視された。むかつく。
「用事はそれだけか?」
 今にも帰ろうと身を翻さんばかりの状態で問われて、慌てる。
 昨日の約束を忘れているわけではないのだろうが、捕まえて無理にでも引きずって行かないとこいつの場合は付き合ってくれないだろう。
「もちろん、朝まで付き合って貰うぜ!」
 勢いで言ったらぐーで殴られた。
「そういうのは女だけに言っとけ」
 冷たく言われて自分が何を言ったのかようやく理解する。これでは昨日の行動も言い訳出来ないのではないだろうか。
(大体俺は女好きで……女の子と楽しくやるのが好きなんだ!)
 言い聞かせないと自信がなくなってきそうで情けなくなる。
 とりあえず、運動して忘れるに限る。
 そう思って帰りかけている緋勇を引っ張って旧校舎に繰り出した。
 

 異変は唐突にやってきた。
 めんどくさそうにしている割には学校にきちんと定刻に登校しているとか、たまにぼけて課題を忘れたりするが大抵運のいいことに午後の授業での提出だったりしたのでそれまでの授業の間に内職しまくってるとか。
 好きそうには見えないが、学校という場所にちゃんとしがみついている感じがしていた奴が……。
 三日も休んでいる。
 異常事態といってもいい。
 携帯電話を持たせるときに便乗して教えて貰った自宅の電話は、コール音のまま誰も出る気配はない……いつの時間も。
 一日休んだときは『風邪か』位で、ケータイの電源を落としてるのも辛くてだるいから位にしか考えていなかったが、二日経っても携帯の電源を落としたままなのは几帳面なアイツからしておかしすぎた。
 緋勇のことをあまり良くは思っていないらしい美里や小蒔にしても気になるところなのだろう。醍醐に至っては凶津の言っていたことを本気にする有様。辛気くさくてやっていられなかったが、帰りに緋勇の家に寄るということで落ち着いたらしい。
 そういえば家には行ったことはなかったなと思い、場所はわかるのだろうかと聞いたら美里が職員室で聞いてきてくれることになった。
 それを待って校舎を出たところでマリア先生に出くわした。先生も何も聞いていないらしく、心配する素振りを見せていた。
 何の連絡もしていないなんて、何をやってんだか。
 早速移動しようという所に聞き覚えのある声が呼び止める。
「おーッ、紗夜ちゃんッ」
 この前緋勇にこっぴどく振られていた割には様子がなんだか違う。切羽詰まっているような、怯えるような、そんな……。
 緋勇の話題になるととたんに無口になってしまい、小蒔に休みだよと言われても青ざめた顔色は戻らない。
「緋勇さんを、救けて下さいーー」
 そう言うと、美里や小蒔の動揺も目に入らないかのように俺の手に小さな紙切れを押しつけて逃げるように走り去っていってしまった。
 あの様子だと何やらヤバそうな気配がする。とにかく地図の示す場所に向かうことにした。
 

 地図は何やら廃屋のある場所を指していた。
 建物の中に入ってみてもシンと静まりかえっていて、人の気配も何かがあるようにも見えない。
 場所が違っていたら笑えないと流石に困ってこめかみを掻いていると、突然醍醐が何かの音がするといってしきりに辺りを気にしだした。
 どうやら地下から物音がするらしい。
 変なところに細かい奴だ。
 色々見て回ったがもうそんな物音はせず、やはり違ったのかと思った瞬間。
 
 静かな室内に悲鳴が響いた。
 
 慌てて醍醐とそちらの方へ向かう。
 本棚等で巧妙に隠された扉を見つけて蹴破る。
 病院の中にいるような異様な匂いが満ちる中に飛び込むと、アヤシイ実験室のような場所に出た。
 そしてそここそがまさしく紗夜ちゃんの言っていた場所なんだと理解した。
 手術台の上に身を起こしている緋勇は紗夜ちゃんを抱き留めている。
 何故紗夜ちゃんがここにいるのかは欲分からなかったが、額から血を流して倒れ込んでいる姿は尋常ではなかった。
 慌てて美里に手当を頼むが、変なデカブツが道をふさいでしまって通れなくなる。
 おまけに向こう側にいる白衣の野郎が定まらない視線のまま何事かを呟き、ゾンビを呼び出した。
 戦闘になるとふんで緋勇の側に走り寄る。紗夜ちゃんも気になったが、今は目の前の障害を叩き潰さなければこちらがやられる。
 緋勇の最初に見た姿は、上半身裸で白い肌のあちこちにコードのようなものが繋がれていたが、今はシャツを着てなんとか立っているという感じである。半袖から伸びている腕にも虫さされのような痕が点々としていて痛々しい。
 だがふらついたのは最初だけで、後はいつもどおりに戦闘をこなす体勢に気配が満ちる。流石にむかついたのでとりあえず後ろから殴ってみた。
「な、お前。戦闘前に混乱してるんじゃない」
 殴られた所を抑えて険のある眼差しをこちらに向けてくる。
「違うだろ。そんな体調で戦闘に出ようって方が間違ってるんだろ?」
 いつもは恐い位に迫力のある視線も今日ばかりはその力が激減している。そんな状態で前線に出るつもりなのか。無言で睨み返してやると、むっとした顔になる。
「俺が一番強い。当然だろう」
「強ェのはわかってんだよ。せめて戦闘くらい俺らに任せて休んでろ」
「勝てると思うのか?」
 お前らだけでこの敵を倒すことが可能なのか?
 挑むように見つめられて背筋に震えが走る。
 普段は他人に興味がないとばかりに孤立するのを好んでいる奴が、こちらを値踏みするように見つめている。
 ここで負けたら男が廃るぜ!
「おう任せろ、素敵な勝ちっぷりを見せてやる!」
 

 結果的に、緋勇はいつも以上に余裕を見せまくっている状態だった。
 相変わらず前線に立ってはいるが、こちらの言ったことを少しは信じる気になったのか、積極的に攻撃を仕掛けることはなかった。
 攻撃をしたくてもできないのと、できるのにしないというのはかなり違いがあり、後者の方が敵には恐ろしい存在に映ったのだろう。一番弱っている気配はするのに、狙われるのは周囲の人間ばかりであった。
 かくいうこの俺も相当毒を食らったり弾き飛ばされたりで散々だった。
 隣にいた緋勇が全くダメージを食らっていないのにである。
 どんなに周りが大変であろうとも緋勇は全く動かない。それは非情にも思えたが、その場所に居ることで敵の進路をふさいでくれているからまだ被害が少ないといえた。戦うな、ということを忠実に守ってはいるらしい。
 援護もやってきてほとんどの敵を倒したかと場を見渡すと、奥の方に白い衣服が見え隠れしているのに気が付いた。
 ここからなら届くが少し時間がかかるな、と瞬時に考えて眉をしかめると横の影が動いた。
「……ッ、緋勇!」
 軽くステップを踏んでから攻撃体勢に移り変わるのに乱れは一切見えない。
 一番簡単な攻撃を繰り出そうとしているのは見た目にも分かったが、それでは決定打にはならないのではないか。そう思った瞬間、戦闘は終了していた。
「……そんなに頭にきてたのかよ」
 無言で必殺の一撃を出してしまうくらいに、拘束していた相手に対して。
 憎らしい位普段通りに戻ってくるので側にきたときに呟いてしまった。
 すると意外そうな顔をされてしまった。
「俺が動いた方が早く終わるだろ?」
 何も考えていないだけなのか、いまいち理解できない奴である。
 

 一番最後に緋勇によって倒された男がこの事件の首謀者であるのは明白だった。
 けれども何がどうなっているのかさっぱりわからない。
 戦闘が始まる前に怪我を負っていた紗夜ちゃんの事を思い出して振り返ると、緋勇が紗夜ちゃんを助け起こしているところだった。
 そこで語られたのは悲しくも辛い過去。
 それによって白衣の男が紗夜ちゃんの兄であることが判った。
 緋勇に会って自分の生きる意味を思い出したと語るその表情は嬉しそうで。
 怪我によって血の気がなくなっていても綺麗だった。
 そんな紗夜ちゃんに緋勇は相変わらず感情の見えない冷たい瞳を向ける。
 こうなることが分かっていたのか?
 聞いてみたい気持ちに駆られたが、紗夜ちゃんの身体に力がなくなってきたのを見て慌てる。
 そのせいか、自分たち以外の気配が現れたことに誰も気が付かなかった。
 途端辺りに炎が満ちる。
 火の気配なんてしてなかったぞ!
 慌てる皆の中で、一人冷静な緋勇が視線を上げる。
 そこに変な面を被った奴が居た。
 自らを鬼と名乗る奴によってこの火は放たれたのか。
 『この世は俺達のもんだ』というのになんで悪者共は長ったらしい口上をするのだろう。高笑いをした後さっさと逃げるのもお約束過ぎる。
 追いかけようにも火の勢いは酷く、こちらも巻き込まれる程になっていた。
 逃げようとしたとき、紗夜ちゃんの姿がないのに気が付いた。
 側に居たはずの緋勇も驚いている。
 振り返った所の、火の奥にその姿はあった。
 しかしそこは猛火のただ中で誰も近寄れない。
 紗夜ちゃんは気丈にも微笑んで、自らの罪を贖うのだと言った。死んで償えるものなどありはしないのに。
 緋勇に会ったことで何かが変わったのだろうか?
 

 俺達は一瞬にして瓦礫の山と化した建物の前で呆然としていた。
 鬼なんて非現実的なものが本当に姿を現して。
 それで紗夜ちゃんたちが死ななければならないなんて不条理な理屈があっていいのだろうか。
 この事件の真ん中にいて、一番事態を理解しているだろう緋勇に説明を求めることは誰もできなかった。
 たたずむ後ろ姿は誰の手も拒んでいるようで……。

 

 


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