■蒼の部屋2■


 

 雑音の多い世界。
 遠くを見つめている自分がいる。
 見るべきものなどなにもないはずなのに。
 何を見つめているというのか、それすらわからない自分を認識する。
 
 わけのわからないものをその身に抱えながら……。
 
第八話 邪神街
 
 目が醒めた時、自分の居る場所が認識できなくて身体が強張る。よく見れば見慣れた自分の寝室の天井だったが。違和感を感じたのは、それが見えることがおかしかったからだ。
 ようやく動き出した感覚が側に人の気配を伝える。
 側というか、隣。
 赤茶の波がすぐに飛び込んでくる。その物体が蓬莱寺だと何の疑いもなく思った。
 それからようやく自分があの研究室から脱出したのを思い出し、この男に背負われて帰ってきたことを記憶から呼び覚ました。
 家に帰ると言っていたのだからここにいるのは正しいのだが、何故蓬莱寺が居て、しかも一緒のベッドに寝ているのだろう。途中の記憶がすっぱり抜けていて何度考えてもどうしてそうなったのかがさっぱり分からなかった。
 とりあえず指先を動かしてみる。身体の節々に軽い疲労の感はあったが、まるっきり動けないというわけでもなさそうだった。
 少し安心して、目覚めて最初の仕事をすることにする。
 ドカッ……ガタン!
「……ッて〜〜〜〜〜〜ェ! 何だぁッ?」
「いい音だったな」
 最初の音が隣のデカイ固まりを蹴った音。次がその物体が床に落ちて……ひょっとしたらしたら頭も打ったか?
 いきなりの事に打った所をさすりながらどうしてそうなったかを考えているようである。いつもなら素早く反応するはずの奴の対応を横目で見つつ、莫迦な頭が更に莫迦になったようだと本人にはいたく失礼な事を考える。
「てめェ! 人を蹴落としておいてなに涼しげな顔してやがんだッ!」
 トレードマークの木刀をどこにやったか、いつもならそれでこちらを指す変わりにようやく現実に戻った鋭い瞳が見据えていた。
「お前こそどうして俺の家にいる?」
「へ? そりゃ、オマエを送ってやろうってことでこっちだってな……って今何時だァ? げ、三時って午後じゃねェよな」
「人の話を聞いてるか?」
 訊ね返されたのが予想外だったのか、素直に答えかけてはいたが時間に気を散らされている辺りまだまだ修行が足らないらしい。時間が気になったのは未だに暗い窓の外のせいだろう。
「や、だからここまで連れてきて寝かせたはいいけど疲れちまってさ」
「ほう、男の隣に潜り込むほど疲れていたとはな」
 思い切り目を細めて見つめながら冷たく言ってやる。
「な、オマエ俺を節操無しみたいに言うなッ」
 慌てて言い返す様は思った通りで莫迦正直さに笑みが零れた。
 それを見た蓬莱寺は困ったように視線を彷徨わせる。そんなに変な顔しただろうか。
「大体オマエが……誘うような……今も無防備に笑いやがって……」
 ぼそぼそと呟く内容をかすかに聞き取って呆れ果てる。
「ふうん、変態だったのか」
「何だとおぅ! 俺はおねェちゃん一筋だッ!」
 怒鳴るくらい力一杯言われても全然説得力がない。
「そういえば俺前にキスされたっけか」
「オマエこそ俺の話聞いてねェ……」
 がっくりと肩を落として悲嘆をアピールしているようだが、真実を指摘してうろたえるようじゃまだまだである。
「まあここまで背負ってきてくれたのは確かだからな、礼は言う。ありがとう」
 そういうと、びっくりした顔をしたまま固まってしまった。人を非人間みたいに思ってやがるな……間違っていないが。
 礼節を失する気はないので俺としては当然の態度なんだけれど。
「だってよォ、いつもの態度と大違いじゃねェか。誰だって驚くぜ」
「だからといってベッドに潜りこんでいたのは釈明の余地はないがな」
「疲れてたんだって〜」
 情けない声を上げる蓬莱寺を鼻で笑い飛ばす。そんな言い訳が通用するなら警察などいらない。
 蹴り落としたせいで床に胡座をかいて未だにぶつぶつ言っている輩を見ていてふと思いついたことを行動にする決断は早かった。
「蓬莱寺」
 名を呼んで手招きしてやると、いつになくうろたえる。
「な、なんだよ」
「動けないんだ」
 にっこり笑って言うと、眉をひそめながらも恐る恐る近づいてくる。
 実際枕を背にして起き上がってはいるが、ベッドから出るだけの体力は残っていなかった。行動を起こしたくても自力では無理というのは、記憶のあやふやな数日間のせいであろうことは疑いようもない。自分の事は自分が一番分かるが、数時間寝ても回復しない身体に少々腹が立った。
「で、何だよ?」
 ベッドに腰掛ける形で落ち着いたのか、それでも僅かに距離を置くような位置から問いかけてくる。
 全く莫迦正直さだけは変わっていない。
 そんなものほとんど意味はなさないと判っているのだろうか。
 素早く片腕を取り強い力で引き寄せると、有無を言わさずあいた片方の手を首に回した。勢いでこちらの肩に顔をぶつけかける相手に構わず、すぐ側にある耳元に唇を寄せる。
「俺のどこが魅力的なのか是非教えて欲しいものだな、京一?」
 意図的に囁くように吹き込んだ言葉に、咄嗟に突き放そうとした身体の動きが凍り付く。
 いつもは名字で呼ぶ名前を下の名前で呼んだのもなんとなくではあったが、ここまで反応がはっきり返ってくると何だか微妙である。誘ったなどと男に言われて嬉しくないことを平気でいうコイツは、やはり思考回路がどこかおかしいのではないだろうか。
 意趣返しのつもりでやった行動は、蓬莱寺の相当な抵抗にあうと思ったからであったのだが、動きが止まったままの状態で顔も見えないのでは何を考えているのかすらわからない。お陰で考え事に意識を向けてしまっていて、相手の素早い行動に身体はついていかなかった。
 気が付けばベッドに倒され、両肩を押さえつけられている状態だった。
 覗き込む間もなく視界に顔が接近したかと思うと唇を奪われる。
「ちょ……ッ」
 慌てて相手の胸を突いて身体を離そうとしたが、体重をかけて押さえ込まれているせいで上手く力が入らない。
 それどころか話し掛けようと開けた唇の隙間を割って無遠慮に舌が忍び込んでくる。深く探るような行為に、逃げようとしても捕らえられて確かめられる。執拗な追尾に諦めてなすがままに受け入れてからも、相当な時間が経ってようやく唇を解放された。その頃には抵抗する力も抜けて、手は相手のシャツに縋り付いている有様だった。
 あまりの至近距離にじっと此方を見つめる飴色の光を見つめ返して、ああこいつってこんな色の瞳なんだとぼけた感想を抱く。しっかり顔を合わせて話しをすることはなかったのではじめて見たのかも知れない。
 脳天気な性格らしい茶色の髪にこの瞳の色は確かに似合っている。
「変態」
「な……っにおう?」
 ぼそっと呟いたら、身体全体でビクリと震えつつ心外そうに答えてきた。
「ディープキスなんて男相手にするな」
「それはッ」
「俺のせいとか言うんじゃないよな。理性のあるおねーちゃん好きが?」
 冷ややかに見上げると、うっと言葉に詰まった。つい先程はっきり言い切った言葉を返してやっているのだから、言い返せまい。
「オマエこそ、俺にキスされて嫌じゃねェのかよ……?」
 恐る恐る聞かれて、何を莫迦なことを言っているのかこの男はと思う。
「冗談なら別に何も。まさか本気なわけないよな?」
「はは……勿論でございます」
 微笑んで聞き返すと、乾いた笑いと共に肯定された。
 さっさと上からどけと態度で示すとよろよろと動き出す。それほどショックだったのか、この場合ショックを受けるべきなのはこっちではないかとも思うが面倒なので放っておく。
「そういえば」
 こちらを振り向いて思い出したように口を開く。
「紗夜ちゃんがあんなんなっちまって……オマエはちっとも悲しまねェんだな」
「何故、悲しまなければならない? 彼女に対して何の感情も持っていないのに、同情するのは失礼だ」
 言われたことに驚いたが、至極もっともな答えを返してやる。蓬莱寺は彼女に対する俺の態度を見ていたはずだから、取り繕っても仕方がない。
「それはそうだけどよ、何だかあっさりしすぎだぜ、オマエ」
 こちらの言葉に目を見開いて、納得したような、していないような釈然としない声音に溜息をつく。
「できるものならお前達とも距離を置きたいぐらいだがな」
「……普段からそうだろが、オマエはッ」

 
 あれから、周りの雰囲気が微妙に変化した。
 美里や桜井、醍醐が遠巻きに何かを言いたそうにしているのだ。
 恐らくは蓬莱寺と同じようなことを言いたいのだろうが。
 気を使われてもかえって迷惑なだけなのだが、言っても栓のないことと思い切り捨てる。
 それにしても、暑い。
 湿気をモロに含んだ空気がねっとりとまとわりついているような感じで気持ちが悪い。かといって、クーラーがガンガンに効いている部屋がいいかというと、逆に体温調節がおかしくなりそうであまり好きじゃない。
 日陰に居るはずなのだが、人混みの中というのが余計暑さに拍車をかけているようだった。
 ふと何故ここにいるのだろう、と思い起こす。別に義務でも何でもないはずだったのだが……。
「よッ、緋勇」
 肩を叩かれて現実に戻ってくる。
 そうだ、こいつのせいだったと頭の中まで脱力する気分で掴む手を振り払う。しらばっくれてもよかったのだが、この前の騒動のせいで自宅のオートロックキーを覚えてしまって、居留守をしようとすると押し掛けてくるようになってしまった。
 面倒くさいが居留守もできない。
 そして物事はいつも頭の上を素通りして決まっていく。プールに行くということにいつのまになったんだろうとぼんやり思ったが、眼前では俺のおねェちゃん計画が〜と情けない声を上げている。
 ……なんだ、変態じゃなかったのか。
 本人に聞かせたらえらく失礼な事を思いつつ、揃ったメンバーは歩き始めた。
 途中おかしな言動をする奴も現れてくれたがいつもの事なので適当に答えを返しておく。最近こういう奴らが多いんだろうか?

 
 プールに到着すると素早く着替えた男共が揃う。当然美里と桜井の姿は見あたらない。女の着替えって長ェよな……と蓬莱寺が呟いた。
 休日狙いのせいか、思ったより混んでいて日陰になりそうなところはない。
 何人かの女の子に出会したがまだ美里達は来なかった。
 このまま待っていると確実に日射病になってしまう。
 蓬莱寺がたまらずに先に入ろうと言い出し、醍醐も同調して水に入っていく。暢気なモノだと思いつつ、蓬莱寺に引きずられるように水の中に入る。
 冷たい水に浸かってようやく人心地つく。熱気に煽られた空気よりはまだましだと思うのだが、積極的に泳ごうという気にはなれない。何が気に入らないのか良く分からないが、不機嫌な蓬莱寺に引っ張り回されたりもした。
 しばらく泳いだりして満足したのか、そろそろ帰ろうということになった。もちろんプールの受付前で待たされるのは男だけである。
 全員揃ったところで、不穏な空気が満ちた。
 覚えのある気ではあったが顔を顰めるだけにとどめると、蓬莱寺に怒鳴られる。正義感の強い奴だが俺に同じものを求められても困る。
 プールの中に取って返そうとする全員を止めたのは、骨董品店の店主であった。
 全く利用しないので蓬莱寺などは思い出すのに苦労していた。
 しかし……どうして皆人の話を聞かないのか。
 冷たくあしらっても骨董品店主は動じなかった。
 パトカーのサイレンの音に急き立てられてその場はお開きとなったが、また色々とあるだろうと予感させる事件だった。
 

 数日後、相変わらずどこから持ってくるのかわからない遠野の情報によって、ある場所にあやしい連中が目撃されているということで、確認に行くことになる。
 ……俺もお人好しになってきた……?
 遠い目をしながら、奇怪な魚もどきと戦うことになる。
 こいつは案外しぶといが、くらうダメージはそうでもない。後方に配置された連中が食らえばひとたまりもないが、盾を置いてくい止めることにする。
 ラストの人の姿をしたものは往生際が悪い上にこちらの攻撃をあまり受け付けないせいか、追いかけても一撃を与えるのが精一杯だった。しぶといことこの上ない。
 どうにか巫炎で足止めしたところに後ろから蓬莱寺の技が入る。少しは使えるようになってきたが、移動速度がまだまだで技の小回りもいまいちだ。遠距離技は攻撃範囲に入れば相当であるのに、今回の奴にはダメージがあまり入らないらしくようやくトドメを刺したらしい。
 最後の人間らしきものはどうやらプールの前に会った変な奴だったようだが、逃げられてしまった。
 そんなもんいたっけか?
 あんまり記憶はなかったが、これからどうすると聞かれ強制かと思いつつ芝公園へ行くことにする。
 そこで前に会った新聞屋にクトゥルフ神話について聞かれたが、なんでまたそんなコアな話題を……。
 結局青山霊園の方に行くことになったが、ずいぶん大事になっているような気がする。なんだかなぁ……。
 嫌だと言ってみても、やはり蓬莱寺が怒って首を掴んできた。離さないつもりらしい。桜井までが一緒に来て欲しいなんていっている。お前らの目は節穴か。
 その後骨董品店主の如月という輩が忍者の末裔であるという話まで聞かせてくれた。成る程確かに気配はなかったような気がする。
 青山霊園に行ってみれば、想像通り如月と対面した。
 『忠告を無視するのか』という問いには悩むところだった。なんでここにいるのか俺も不思議だ。
 とにかく一緒に行こうということになり、現れたいかにも妖しい洞窟へと足を踏み入れる。今までよく見つからなかったもんだなぁ。
 奥まで行くと、先程戦った人影が見える。
 なんなんだろうなぁと思っていると、いきなり黒幕というのが出てきて、人影をさらに人でないものに変化させていく。どんどん現実離れしていくような。
 戦闘に入れば話は早かった。
 手前にいた魚もどきはかなりタフだったが、最初の段階で蹴散らして二手に分かれて倒していく。旧校舎の威力は強かったのか、皆それなりに倒されることなく進んでいる。
 その場にいるものが人間だけになり荒々しい音すら無くなった時点で、今回の件は終わりを告げた。
 青い時代錯誤な服を着た者が消えた後には玉が残る。
 そして妙なことを口走っていた奴は人型には戻ったが、もう助からないというのを哀れに思ったのか美里が浄化してしまったらしく、すざましい光とともに消滅していった。
 洞窟が地震によって崩れそうになったので、脱出する。
 元凶を倒してしまったから、場に満ちていた維持する力が消えてしまったのだろう。
 安全な場所まで避難してきて落ち着くと、今後どうするかという話になった。
 骨董屋の主人は事件が解決したので元の骨董屋に戻るらしい。
 俺も普通の生活に戻りたいなぁ。無理だけど。
 振り仰げば、闇夜に輝く月が柔らかな光を放っていた。

 

 


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