どこともしれない闇の中。
唯一のモノであるらしい硬質でメタリックな岩に何故か座り込んでいる自分がいる。
力無くおろした足の先は地面に付くのではなく、暗い水面について波紋を広げた。
何もない暗がりの中に広がっていく輪。
遠く、遠く……。
第拾六話 魔獣行 前編
「白と黒どっちがいいだァ?」
昼休みも終わろうという時間に、いきなりやってきた裏密の質問に蓬莱寺がうさんくさげに聞き返した。
なにやら参考にしたいという話だが、何の参考だ。
「ボクは白かなぁ。葵もだよね?」
「うふふ、そうね。黒よりは白い方が好きかしら」
桜井が美里に同意を求めると、美里は少し考えてから頷いて答えた。
「……俺も白だな。勝負で白黒つけるということから白の方が縁起がいいしな」
裏密に腰が引けていた醍醐も、恐る恐るだが意見を言う。
「醍醐クンらしいねッ!」
嬉しそうに言う桜井に醍醐が赤くなってしどろもどろに対応している。相変わらずの光景だ。
視線を戻すと、蓬莱寺が真剣に考え込んでいた。
「俺は、黒だな」
ふっとこちらを見つめて、呟く。
さらに何かを言おうとして口を開きかけたが、横からえーっという声に顔を顰めてしまった。
「なんか意外……」
「あのなぁ、全員が全員白って言ってちゃおかしいだろ? 大体白も黒もはっきりしている以外大差ねェぞ」
心底驚いているといった感じの桜井に、呆れたように蓬莱寺が言う。時々、鋭いことを言うな。少し感心していると、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて振り返った。
「そんで、緋勇、お前はどうなんだよ?」
「俺は白かな」
「へェ?」
即答すると、それこそ意外そうな顔をされた。
「なんだよ」
「お前こそ黒って言うかと思ってたぜ。夜の闇が好きみたいだしよ」
言動とは裏腹に視線が探るようにこちらを見遣る。恐らく夜の散歩の事を暗に言いたいんだろうとは思う。
「確かに夜は好きだが、それとこれとは話が別だ。それに、これはそういう話じゃないだろう」
「へ? そりゃどういう……?」
目を丸くして呆気にとられたヤツに丁寧に教えてやる義理はどこにもない。
「う〜ふ〜ふ〜緋勇クンはそうなのね〜」
裏密が人形を抱きしめて不気味に微笑む。恐らく何かしら感じ取ってはいるのだろうが、それ以上突っ込んで聞いてくる気はなさそうだった。
授業の終わりを告げる鐘が鳴る。ちょっとした連絡事項やらなにやらを言い渡される間、教科書やノート等を揃えて鞄に入れる。
早く帰ってしまおうという思いからだったが、やはりそれは叶えられなかった。
蓬莱寺が後ろから肩を掴んで何かを言ってくる。
おざなりな態度で答えていると、桜井、醍醐、美里までやってきた。
話題は舞園さやかというアイドルの事らしい。テレビを見ないため、そういったことは全く判らない。
余りにどうでもいいといった態度にようやく気が付いたのか、その話は終わりになり、ラーメンを食べに行こうという話題になった。それも変わらないな……。
溜め息を付いて立ち上がると、職員室に用があるという美里と別れて残りの全員が一緒に下駄箱まで歩いていくことになった。途中ではぐれようにも、隣にいる奴が終始こちらの気配を探っているために感づかれて先回りされる羽目になる。何を好きこのんでそこまでするのか、良く分からない奴だ。
下駄箱前ではマリア先生に、先日花園神社で会った後に起こした一悶着をどこから聞きつけたのか質問されたが、認めてどうなるものでもないしな。知らないということで押し通しておいた。
校門前で美里が合流し、街へと向かう。
雑多な人混みの中で人に当たらずに通り抜けることができるのは未だにできない。慣れない街というのもあるのだが、この人の多さは尋常じゃないだろう。
駅前にやってきた時、突然の突風から平和になったという話題が飛び出てきた。一体どういう繋がりなんだ?
首を傾げていると醍醐が油断するんじゃないぞ、と声を掛けてきた。
呆れたように大男を見上げる。
「お前が強いのは、俺とてよく知っている。だが、その奢りこそが最大の敵ということを忘れるな」
神妙な顔をして言われてしまった。
何が恐いというのだろう。恐ろしいのは己のみだというのに。
桜井と蓬莱寺の会話を右から左に聞き流しつつぼんやり考えていると、肩を掴まれる。誰かと聞くまでもない。
「どうする? ちょいとのぞいてくるか?」
まるっきり聞いていなかったので、答えようもない。行く気もないので首を横に振ると、人のケンカほど、見てて楽しいもんはねェのによ、などと言っている。
ニヤついた表情から、何か企んでいるのは明白だった。
横にいる醍醐も心持ち顔をしかめる。
いつものように大男の小言が始まったかと思いきや、路地裏から女の悲鳴があがった。
こういうことには行動の素早い蓬莱寺が喜びいさんで走って行く。
俺が重い足取りでそこに向かった時には、奴が喜々として相手に挑発の言葉を吐いたところだった。醍醐が呆れたように、しかし争いを止めるために参戦する。
口を出すのも面倒くさいので相手から死角になる位置で美里と桜井とその様子をみることになった。蓬莱寺と醍醐が名乗ると相手はあっけないほど素早く退散していく。喧嘩好きというのがよくわかる光景だな。
路地裏から叫び声をあげたらしい少女と少年がおそるおそる出てくる。
この辺りの高校生の制服なのだろうか、あまり知識のない俺にとって二人はかろうじて年が近いかもしれないとしかわからなかった。少年のほうが改めてお礼をしてくる。
少女の方に目を向けたとき、蓬莱寺が慌てた。
どうやら有名人らしい。
そういえば放課後雑誌を持ち出していたな。
舞園さやか、霧島諸羽と二人は名乗った。蓬莱寺が舞園のファンだと言うと、霧島と名乗った奴は嬉しそうにして、こちらにもファンかと聞いてきた。
さっきまで知らなかった名前にファンかと言われてもな……。
態度にそれがでたのか、だったらCDを買って聞いてくれと言われてしまった。一体どこをどうやったらそうなるんだ。
取り敢えず蓬莱寺がラーメンと言い出して、予定通りのコースに戻ることになったが、桜井が霧島と舞園を加えて行こうかということになった。
何やら蓬莱寺が言っていたが、構わず全員移動をはじめる。こういうところは息があってるな。
ラーメン屋でも蓬莱寺はいつも以上に気が浮ついていた。
店を出ると、今度は霧島がいきなり蓬莱寺を尊敬すると言い出した。
一体コイツのどこを見て思ったんだろう。
気の使い方は確かに人並み外れてはいるとは思うが。
勢いのある霧島に蓬莱寺の方が面食らっていた。
いつも一緒に居たであろう、醍醐、美里、桜井までもが呆気にとられている。
ある意味凄い逸材かも知れない。
気を取り直して蓬莱寺が霧島に質問をしていたが、いつものように聞き流していると蓬莱寺に凄い形相で睨まれた。桜井にも非難されたが、だからどうした。
人の意見を聞かないのは同じ事じゃないのか。
俺に構わず話を進める連中に溜息をつく。どうやら、舞園を付け狙う輩がいるらしい。
そして舞園もまた『力』を持つ者だったというところだった。珍しいのは武器等を使う今までのものとは違い、歌に力を持つ辺りだろうか。
「こんな力を持ってるなんて、私、変でしょうか?」
そう訊ねられたが、周りに同じ連中が居て今更変とは思えない。
ホッとした舞園に皆が声を掛けている。
そろそろ帰るという二人に桜井が駅まで送るという提案をした。
また駅に戻ることになる。
そこでふと霧島に自分の街が好きか?と訊ねられた。街とはこの新宿という街のことだろうか。それとも、故郷等を指して言うのだろうか。所詮意味の無いことだが。
ボーっとしていると、変な奴が目の前にやってきた。
帯脇と名乗った奴の興味はどうやら霧島と舞園の上にあるらしい。視線が素通りしている。
蓬莱寺がその視線に立ちはだかるようにして、威嚇したが、気にも留めていない辺り大物かもしれない。名前を聞かれたが面倒くさいので答えなかった。
そうこうしているうちに帯脇は去り、霧島と舞園も駅に消えていった。
放課後、新聞部の遠野が教室に駆け込んできた。
どうやら昨日の有名人らしき少女、舞園さやかについてらしい。もの凄い勢いでしゃべられて、正直一言も発する余裕がない。
大声で騒ぐものだから、桜井、蓬莱寺、醍醐、美里といつもの面子が机の周りに集まってきてしまった。
これは何かの罠なのか……?
正直本気でそう思う。
蓬莱寺が何かの話をしてやると、喜び勇んで出ていった。
そのまま流れで一緒に帰ることになってしまう。
校門前で少し話をしていると、ピンク色のナース服を着た影が駆け寄ってきた。疑問に思うまでもない、高見沢だ。
慌ててきたのは、どうやら霧島が病院に運び込まれてきたせいらしい。うわごとで蓬莱寺の名前を呼んでいたのでここにきたという。
流石の蓬莱寺も以前のように病院に行くことをためらいはしなかった。
病院に入ると、人気のないロビーに立ち止まる。高見沢や美里が変だというこの病院の異常は確かに感じ取られた。
突然開いた扉から、中にいたらしい院長が慌てた声を出す。
『何か』が来る。
それだけは判ったが、逃げろと言われても逃げる余裕はない。
結果として一瞬頭の中に何かのイメージが強く浮かんで、消えた。
蛇、にしてはなんだか奇妙ではあったが。
院長がやってきて、それは霧島に取り憑いていた思念だと言った。また変なものに取り憑かれるもんだな……。
蓬莱寺が院長に霧島の容態を尋ねている。どうやら無事らしい。
何者かが大怪我を負った霧島をこの病院に運んできたという。
その人物に礼を言うことも大事だが、まずは霧島に怪我を負わせた奴をなんとかしてやると蓬莱寺が息巻いていた。
すると院長が突然話を聞けと言い出した。『八俣大蛇伝説』についてだったが、名前は知っていても詳しいというわけではないので、素直に話を聞くことにする。
結論的には帯脇がヤマタノオロチであるかもしれないということだった。
傷跡がまるで蛇のようなのと、毒素からそういう判断をしたそうだ。
話が終わろうとしたそのとき、突然診察室の入り口とは違う扉が開き、霧島が現れた。学校へ行かないと舞園が危険だという。舞園を守るという一念で二、三日したら意識が戻るだろうと言われた状態から意識を回復してきたらしい。しかし体力が続かず倒れてしまう。
とにかく舞園という少女が気に掛かるという院長の言葉に従って、鳳銘高校に向かうことになった。
校舎に近づくと、より一層厭な気配が濃くなっていく。
入って見かけた人影に桜井が声を掛けようとしていたが、美里と蓬莱寺が難色を示した。こちらの制服からして明らかに他校生だしな。
上の階に行こうと階段にさしかかると、突然誰かがぶつかってきた。
小さな声に聞き覚えがある。昨日の少女だ。
これだけ騒いでいるのに誰もやってこないというのに醍醐が不信感を露わにする。舞園も何かに取り憑かれているかのように様子がおかしいのだと嘆いた。
ここで何を言っていてもわからないことだらけなので、先程舞園を追いかけてきた変な声がした屋上へ向かうことにする。
そこにはやはり昨日出会した帯脇が居た。
不穏な発言に、霧島に何かあったのだと察して舞園の顔色が変わる。だが、『霧島を信じる』と言った言葉には信頼がにじみ出ていた。
ここまで言われてその仲を引き裂こうなんて、どうかしちゃっているんじゃないか、帯脇とかいう奴は。もともとそういうこと考えなさそうな自分勝手な奴っぽそうだが。
話し合いは無駄、とばかりに向かってくる奴らに蓬莱寺が鬨の声を上げる。嬉しそうなその表情は、いつも莫迦をやっている顔とは違って獲物を見つけた肉食獣のような感じだった。そんな状態のこいつを相手にするなんて、本当に相手の力量を見れない奴は恐い。
だが、質が悪いのはいつでも人間の方かもしれなかった。
旧校舎で強さが増しているメンバーに対して、連戦で帯脇と戦った時に苦戦していたのは初戦の人間の手下たち相手の方だった。邪霊等の物の怪のよりも弱点が際立っていないせいか一撃で倒せないため、防御の甘い連中を守るために移動を制限させられる。逆に連戦となった蛇化した帯脇との戦いは、気の技が有効なため短時間で終了した。
屋上から飛び降りて姿を消した帯脇が最後に言い残した言葉は、この事件が完全に終わっていないということを暗に示しているかのようだった。
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