■硝子の森3■


 
 それは、例えば爽やかな、とか形容詞がつくものだったり。
 気持ち悪いとか、色々なものがある。
 そのどれもが一度感じたことのあるものを、頭で考えて一番相応しい言葉に代えているのだろう。
 だが。
 浸りすぎて感じ取れなくなることもある。
 同じ所に留まりすぎれば、意識の外においやられてしまう。
 例えば、今も……。
 
第拾八話 餓狼
 
 放課後。
 特に何もなく終わり鞄を手にして席を立つと、美里がやってきた。
 どうやら生徒会の用事だったらしいが、授業が終わってから体育倉庫へ行っていたのか。何をしているのだか知らないが、ご苦労様なことだ。
 皆で一緒に帰らないか?と聞かれて驚く。
 蓬莱寺ならまだしも、美里まで誘ってくるようになるとは。どうしてこう人の話を聞いていない連中が多いのか。
 断ると、後ろから桜井がやってきてさらに騒がしくなる。
 この展開はどうあっても……。
 溜め息を付く間もなく、蓬莱寺がやってきた。醍醐までやってきてお決まりのパターンだ。
 ラーメンを食べに行こうという話になっていると、遠野がやってきた。
 良い情報を掴んだのか、嬉しそうに手を出して催促してくる。
 しかし後ろから蓬莱寺が口をはさんできたため悔しそうな顔に変わる。どうやら以前出会した舞園という少女の新聞記事のおかげで、新聞の売れ行きが良かったらしい。横から美里まで口添えしてきて増刷した事実を証明された。
 それで金をとるのかと蓬莱寺に言われてしぶしぶ話し始めた。
 
 昨日墨田区の住宅街であった発砲事件の話だという。
 暴力団同士の抗争だという話だが、その流れ弾に当たって死んだ人物は賄賂などを受け取っていた政治家だったらしい。
 話を聞いていて、蓬莱寺が別に珍しい話しでもないだろう、というのに桜井なども同意する。人が殺されてしまうのは良いこととは言えないが、世間的にはあってもおかしくない事件ではある。
 だが、そこに何やら暗殺の気配がすると遠野は言うのだ。
 突拍子もない話に全員が目を丸くする。
 そんな時代錯誤な、と桜井が言うと蓬莱寺も俺達には関係ないと頷く。
 余計なことを言った蓬莱寺が遠野に絞められていたが、言いたいところはそこではなかったらしい。
 死んだ政治家の死因は銃傷とは思えず、刃物かなにかではないか、そしてその現場に残されていた衣服の切れ端が学生服のものではないかとまでいうのだ。
 つまり『力』ある者の仕業。
 そう言いたかったらしいが、まだ詳しいことはわかっていないらしい。
 暗殺集団の中にそういう人物がいるのではないか、という推理は面白いが、実在しているか判らない絵空事で議論をしていてもはじまらない。
 遠野はその暗殺集団の見当がついているらしく、取材する気力満々で去っていった。
 
 美里や醍醐が遠野を心配する素振りを見せたが、蓬莱寺がいつものことだから大丈夫だと一蹴した。遠野の危機を回避する運もかなりいいから、というのがその理由だったが、あながち間違ってもいないのだろう。
 帰るために全員で校門前に来たとき、以前出会った藤咲がふらふらしながらやってくるのを桜井と蓬莱寺が発見した。
 美里が泣きはらしたような赤い目を心配している。
 どうやら、藤咲の飼い犬のエルがいなくなってしまったらしい。
 今朝、餌をあげようとして小屋に行ったら当たり一面に血の痕があって、姿を消してしまっていたらしい。一日中探してもみつからないとすると、確かにおかしいことだろう。
 蓬莱寺、醍醐、美里、桜井がエルを探すのに協力をすると力強く頷いた。
 ……俺もなんだろうな。
 諦めの境地で藤咲に頷くと、藤咲の自宅近くに案内されることになった。
 話し込んでいた時間が長かったせいか、ついた頃には夕方というよりは闇の帳が落ちかけている状態だった。
 散歩コースにしているという公園に着いて、ここから探そうという話になる。
 連れてこられるまでの道はなんとなくはわかるが、不案内な場所は逆に手間取るんじゃないだろうか。
 そう思っていると、何やら遠野がいっていた元大臣が撃たれた事件が藤咲の家の近くだったらしいという話になった。
 エルがいなくなったのも同じ時間帯で、偶然にしては出来すぎている気もするが。
 藤咲が救急箱を取りに戻ってから探しに行くというのに、蓬莱寺が一人で心配だから付き合うという。珍しい気の配り方だな。
 しかしすぐにこちらを向いて、ニヤリと笑う辺り、暗に逃げるなよと言われている気がする。
「お前も……気をつけてなッ」
 その笑みのまま言われてもあまり説得力がない。
 とにかくも二人と別れた後、二手に分かれて捜索することになった。あまり色々言われても面倒なので、美里と探すことにする。
 しかし結局は徒労に終わった。
 かなり暗くなるまで探してはいたが、それらしき犬の姿は見えない。
 そして、一番最初に別れたはずの藤咲と蓬莱寺は戻ってこなかったのだった。
 
 五日間、学校に赴けば蓬莱寺は?と聞かれてうんざりする。
 奴の自宅に連絡を入れているはずだろうに、何で俺に聞くのか。
 普段の行いとはいえ、いつも一緒に居たという事実がそうさせるのだろうが、俺が知っている蓬莱寺自身の事はあまり多くない。なので聞かれても所在がわかるわけがない。
 眉を顰めたのを見とがめられて、美里が顔を曇らせる。隣りにいた桜井が「友達としてサイテーだよッ」と言ったが、友達って、俺と蓬莱寺の事か……?
 今までのどこをどうとったらそうなるのか疑問に思っていると、話は勝手に進んでいたらしい。
 いつのまにか目の前に醍醐が立っていた。
 俺に話があるから屋上まで来てくれ、と深刻そうな表情で言ってきた。
「厄介事はご免だ」
 そう言ってみたが、どうやら聞いてはくれないらしい。そのまま屋上に連れ出された。
 そこで醍醐から手渡された手紙を見ると、何やら不穏な事が書いてある。
 そして、赤い×印をつけられた蓬莱寺の写真。
 何も言わない俺を気にせず、醍醐が自分の推測として、藤咲が人質として捕らえられているのではないかと言った。それは間違っていないのだろう。
 蓬莱寺の話になると、途端に口ごもった奴が言いたいことは判るが、後ろの気配も読めずにする会話ではなかったな。もちろん言おうとしたが、口を挟む隙がなかった。
 屋上の扉から飛び出してきた桜井が、呆然として「ウソだ」を繰り返して、駆けだして行ってしまった。隣りにいた美里も咄嗟の事で動けなかったらしい。
 俺に任せてくれと言って醍醐がその後を追って行ったので、屋上に残ったのは俺と美里だけになった。
 美里がぽつぽつと話し掛けてくる。
 何かしていないと落ち着けないといった風情だ。
「私たち、今まできっと考えないようにしていたのね。いつも……、私たちの闘いの隣には、死が潜んでいることを……」
 莫迦な事を、と思う。
 そんなものは最初から判っていたはずだ。
 そうでなければ俺が居る道理がないのだから。
「京一くんは、大丈夫よね?」
という言葉に首を横に振る。
 それは俺が判断していいことじゃないだろう。
 奴自身が決めることだ。
 この世界にいるか、そうでないかは。
「もしも、緋勇くんまでいなくなるようなことがあったら……」
 悲しそうにそういわれて、驚く。そこまで言われるような事は何もしていないし、そして拠り所にするべき場所は間違っている。
 
 授業の終了を告げる鐘が鳴ったため教室に戻るべく移動すると、廊下で醍醐と桜井に会った。少しは落ち着いたらしい。
 再び蓬莱寺を信じようと言われて顔を顰める。
 だからどうして俺に聞く。
「少しは、京一のこと心配してやりなよ」
 そう桜井が怒ったように言うが、そんな義理はどこにもない。
 教室に戻って手紙の呼び出し内容に話は移ったが、興味もなく窓の外を眺める。今更議論したところで何かが変わるわけでもあるまいし。
 意見は落ち着いたらしく、帰るぞという醍醐の背中を叩く手で不承不承鞄を手に取った。
 
 校門前では美里が手紙について気になっていることがあると言い出した。
 刑場ということで、死刑を宣告されたのではないかと。
 ……一緒にあった蓬莱寺の写真からそれは明白なような気がしたがな。
 何も悪いことをしていないのに、と言う桜井があっと思い出したように暗殺集団の事を言い出す。
 教室でも遠野がまだその集団を取材していて飛び回っているのだと言っていたが、存外転んでもただでは起きない性格をしているようだ。そしてその遠野を巻き込むのは気が引けると言っていたのに、遠野に情報を聞くべきかなどといっている。
 無駄なことを。
 そう思っていると、ルポライターの天野がいきなり現れた。
 都合のいいこともあるものだ。
 遠野が取材をしたがっている暗殺集団については公然の秘密らしく、触れてはいけない禁忌だという。
 ……ホントにあったのか、そんなものが。
 そちらの方が驚きのような気もするが、スポーツ、武術の推進校として名高い『拳武館』という高校がその集団の本拠地らしく、そこに俺達の暗殺の依頼が来たのだろうと教えてくれた。
 本来ならば、暗殺は悪い人物だけを狙うもので、理にかなわなければ頑として動かないはずの『拳武館』が何故俺達を狙うのか。
 それは内部分裂を起こしている不穏分子である副館長派が、お金を払えば何でもするというスタンスによって動きだしており、その一環として依頼を受けたのではないかと。
 詳しいことはわからないので、調べてみると言って天野さんは去っていった。
 指定時間までまだ随分時間があるため、ラーメンを食べに行こうという話になって呆れる。弱気なことを言っていても神経は並じゃないらしい。
 引きずられるようにしてその場を後にした。
 
 終電もなくなった地下鉄のホームはしんと静まりかえっていた。
 普通なら電灯なども落ちて暗いはずが、やはり何かあるというかのように煌々とついたままだ。
 自分たちの足音だけが響くその場所に桜井が不安そうに辺りを見回す。
 しばらくして、犬の鳴き声がすると同時に藤咲の声も降ってきた。
 時間を指定した人物がやってきたようだ。
 会ったこともないが、俺たちの顔を見て名前を確認しているところを見ると、面は割れているらしい。
 何も感情を浮かべていないその顔が、醍醐の「拳武館か?」という問いにようやく動いた。
「一介の、それも高校生がその名の真の意味を知っているとは、賞賛に値するよ。もちろん    死という名のね」
 冷たくそう言い放つ奴は、先に藤咲を解放した。
 余程自信があるのだろう。確かに奴からは尋常でない気が感じ取れた。
 こちらにやってきた藤咲が、蓬莱寺をやったのはあいつじゃないから闘わないでくれと懇願してくる。俺としてはどうでもいいのだが、桜井達が驚く。
「僕は拳武館の壬生紅葉。人を殺すことしか    能のない男さ」
 丁寧に名乗ってはいるが、こちらが闘わないとしてもあちらはやる気のようだった。
 ホームということで、狭い構内での闘いは移動を制限される上に陣もひきずらい。防御の弱い連中を残せば後ろからつかれることは目に見えた。
 大きく動くことはせずに、敵が射程に入ってくれるのを待つ。
 相手は手練れなだけあって一撃で倒れないために、仕留め損なうと次の瞬間弱い輩を狙ってくるのが面倒くさい。
 俺もあまり動ける訳ではないので、大技を出すとそれ以上の行動が制限される。
 動ける連中は最大限に使い、あまり攻撃に適していない連中でも攻撃させることでなんとか壬生の部隊を撃破した。
 最後の一撃を壬生に与えると倒れ込んだが、致命傷を与えた訳ではないので意識ははっきりしている。
 藤咲や桜井、美里が駆け寄り、助け起こしていた。
 その様子に助けられた本人がきょとんとする。そりゃまあそうだろう。一瞬前までは敵として戦っていた相手なのだから。
 それには美里が殺す気はもうないでしょうと言って笑った。
 こういうことはある意味女の方が敏感なのかもしれないな。
 壬生はこちらに向かって「蓬莱寺を手に掛けた奴の仲間を許すのか?」と聞いてきた。
 流石にその言葉には周りの連中も怯んではいたが。
 どうして皆聞くのは俺なんだろうか。
 何故あの『気』に気が付かないのだろう。
 本当に死んだのであれば途絶える気、性質……それは消えてはいない。
 各個人が目覚めて強くなっている力の帯びる色合いは強烈な光となって焼き付く。消える時が死んだときなのだ。
 溜め息をついたのを何ととったのか、壬生が立ち上がって制服をはたき、「何をいわれようと僕は言い逃れる気はない」と言った。
 ある意味潔いとはいえる。
 そして拳武館における暗殺の依頼の掟は法を通して裁かれることのない真の悪を裁くためのものであり、今回の件に関しては裁かれるべき存在ではないと話した。
 まあどうあっても一介の高校生じゃそんな存在にはなれないだろう。
 ここから立ち去るよう言った壬生の顔が突然険しくなった。
 柄の悪そうな男とかなり体格のいい男がやってきてニヤニヤ笑っている。
 壬生と同じ制服から拳武館と取れるが、そのへんのごろつきといった方がはやい気のする連中だ。
 刀を持った柄の悪そうな男は壬生に八剣と呼ばれていたが、こいつが蓬莱寺を倒したらしい。人は見かけによらないもんだな。
 天野さんの拳武館の内部分裂の話は当たりだったようで、館長に報告すると言った壬生を殺して裏切り者に仕立て上げようという魂胆だという。こういう奴らの考えは皆似たようなものだ。
 すると黙っていた壬生が、蓬莱寺を失った償いのため、この場を任せて立ち去れと言い出した。
 俺は別にどちらでもいいんだが……桜井、醍醐が『仇を討つ』と意気込む。
 あまり気にもならなかったが、武蔵山と名乗った体格のいい男が『妙な色の学生服を着た男』と口走ったのには流石に驚く。ここまで無能だと、統率者の方もたかが知れている。
 慌てた八剣が俺を標的にして攻撃してきたが、壬生が剄によって相殺した。
 何だか負い目に感じているようだが、その後の攻撃は受けきれずにまともに食らって倒れてしまう。
 鬼剄という技はただの発剄じゃない、と言って笑うが、俺にとってはどれも同じ。まともに食らうことはなさそうだった。その鬼剄によって蓬莱寺は倒れたそうだが……それならば奴はそれまでということだろう。
「たとえ、この命に代えても、君たちを護る。それが僕の……あの方への忠義だ!」
 そういって壬生が立ち上がった。怪我はかなり酷いだろうに、その精神力も相当なものだ。
 藤咲がまるで京一みたいだ、と呟くのを聞いて眉を寄せる。
 まあ確かに。やせ我慢しているのは目に見えていたが。
 蓬莱寺に会ってみたかったと言って壬生は再び倒れ込んだ。
 その態度が気に入らなかったのか、八剣が標的を壬生に代えて鬼剄を放ってきた。
 醍醐や美里が焦って庇おうとする中。
 一陣の風が吹いた。
 自然本来の風ではなく気配の風ではあったが、思わず俺は顔を顰めてしまった。
 そうして、掻き消される鬼剄。
 地面に突き刺さる木刀は、それが誰かと問うまでもなかった。
 美里、醍醐、桜井、藤咲が感極まって名を叫ぶ。
 それにさらに焦った八剣が皆殺しだと言って鬨の声をあげた。
「けッ……上等だぜ、てめェらッ! 行くぜッ、龍麻ッ    !」
 
 結果的に、勢いに乗った蓬莱寺のおかげ(?)で戦闘は早々に終結した。
 何せ刀を振るえば一撃必殺の技となって相手に襲いかかるのでは、敵もたまったものではないだろう。よくもまあそれだけ連発できるものだと感心してしまうが。
 八剣と武蔵山は仲間割れし、武蔵山を殺して八剣は逃げていった。
 壬生が後は拳武館が追うので気にしなくていいと言って、踵を返す。
 それに習って全員が地下鉄のホームを後にした。
 エルを探すためにやってきた白髭公園で、全員が顔を揃えなおす。
 藤咲が蓬莱寺に泣きついていたが、それを宥めてこちらに向いた。
「もしかしてお前も、俺が死んだなんておもってたんじゃねェだろうな?」
 顔は笑っているが、瞳がそれを裏切っている。
 何を期待しているのか知らないが、最初からそんなことはなかったのだから答えてやることもない。
 しかしそれを何ととったのか、奴は嬉しそうに笑った。
「へへへッ、ただいま、龍麻」
 その後は桜井に行き先を尋ねられると誤魔化したりしていたが、探していたエルの事を気にかける藤咲の視線の先にふらりと立ち去ろうとする壬生の姿があった。
 拳武館の館長に報告しなければならないと言う。
 暗殺を請け負って金を貰わなければ護りたいものが護れないというのは、それはそれで選んだ道ということだ。
 だが暗殺だけではなく、自分のために闘うことができるかもしれないと、戦線に加わることを承知していた。
 大したことはしていないんだが……。
 蓬莱寺も、壬生の態度には何かを感じたらしい。
 珍しく茶化さずに、あいつなら大丈夫だと言い切った。
 醍醐が帰ろうという言葉と共に、また騒がしくなったが。桜井や藤咲が蓬莱寺に奢らせると言い合っている横で、しぶしぶ頷く姿は『いつも』通りで。
 短い平穏は終わりを告げたのだった。
 
 


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