いつからこうなったのか、と問われると判らない。
指先から徐々に冷えていく感覚。
これが心の臓にまで届いたらどうなるのだろうと思うこともある。
大抵はそれもまあいいか、ということですぐに落ち着くのだが。
こう考えてしまう根底にあるものは……。
第拾話 変生〜前編
ひんやりとした風が辺りにゆっくりと満ちてくる。
一歩外に出れば湿気を大量に含んだねっとりとした空気が身体を包むだろう。
ほとんど用事もないので出歩くことは最低限ですませ、読書などをして過ごしているつもりだったのだが。
「それで、お前は何をしているんだ?」
あまり意識はしていなかったが、相当不穏な響きが込められていたと感じたのだろう。その言葉を向けた相手は思わずひるむ様子を見せた。
怯えるくらいなら最初からそんな事をしなければいいのに、と思うのだが、こいつの場合言動と行動が一致していないので本人もわかっていないのだろう。思いついたら即行動という素晴らしいくらいのパターンが組み上がっている。
「いいだろ?」
この体勢では、少々言ったくらいではもはや奴の行動を止める手だてにはならなくなっているらしい。
そう、何故か今クーラーをきかせた部屋で涼んでいるはずの俺は、床に背中を押しつけられている。もちろん何故か家に押し掛けてきている人物のせいで。
「お前は……ここに何をしに来たんだ?」
「だってよォ、勉強なんてやってらんねーって」
見下げ果てたという心情を隠さずに言えば、あっけらかんとした答えが返ってくる。
「はじめてから三十分も経ってないがな……」
飽きやすい性格なのは判るが、自分から持ち込んできた宿題の匙を投げるとはどういうことだろう。しかも人のノートを写すというお約束な事をしているにも関わらずだ。
「兎に角、宿題を終わらせろ。休みはもうないんだからな」
のし掛かっている蓬莱寺の頭をはたいてどかす。ゆっくりと起き上がってみると、側で別にいいじゃねェかとか、ほんの少しくらいは……などと呟いている。一睨みしてやると慌てて机に向かってペンを手にした。
おかしな奴だ、と思う。
一度してみたらもう二度と言わないだろうと思ったのは甘かった。
男とSEXしたがるなど普段のおねーちゃん好きからは想像がつかなかい。そういう趣味なのか?と聞いたら本気で怒りやがった。
俺からしたらそうにしか見えないんだが。
本当によくわからない奴だ。
こうして家に転がりこんで来るのもほぼ毎日のようになっている。おかげで休みを静かに過ごそうとしてもできなくなってしまった。
迷惑な話だ。
それも言ってはみたのだが別にいいだろの一言ですまされた。
俺の意志はどうなるんだ?
今目の前で課題にとりついてうんうん言いながらペンを走らせる奴を見て溜め息をつく。
長い休みももうすぐ終わろうとしていた。
二学期が始まってしばらくは特に何もなく。
いや、担任のマリア先生が佐久間を見かけた人は連絡をくれと全員に伝える。桜井達が佐久間がいなくなって一週間だという話を持ち出してきたが、案外あんな奴でも覚えているものなんだなと本人にはいたく失礼なことを考えたりする。机の上で頬杖をついて話題を聞き流していると、突然桜井が大声を上げた。
美里との会話からどこかへ行くらしいとのことで、それに関して蓬莱寺や醍醐が騒いでいたが、どうでもいいことである。蓬莱寺が何事かを言って醍醐が教室を飛び出して行き、それを蓬莱寺も追いかけて行ってしまうと残されたのは美里と俺だけ。
「私たちも行きましょう」
にっこり笑まれて反論する隙は与えられなかった。
問答無用ですか……。
これだけはっきり否定したりしているのに、懲りることはないのだろうか。
溜息をついて鞄を持ち上げた。
ゆきみヶ原高校について弓道場に行くことはわかったが、はっきりとした場所は渡された地図にもなかったらしい。蓬莱寺が小さく毒突く。
校内に入るかどうするか訊ねられるが、そもそも来たいとも思っていなかったので曖昧な返事をすると、もうすぐ試合が終わるかもとか言い出した。大声を出した莫迦のせいか、制服を来た女に呼び止められる。見た目にも不審過ぎている奴がいるので仕方ないといえた。
しかしそこは桜井の名前と美里のおかげか、なんとか場所を教えて貰い、ついた弓道場ではぎりぎり試合が始まるところだった。
結果は惜しいところで負けた、らしい。
そのライバルだったという織部雛乃と雪乃を紹介されるが、双子とはいえあまり似ている感じがしなかった。雰囲気のせいだろうか。美里や醍醐は似ているといっていたが、俺には良く分からなかった。
いきなりその姉妹の神社に来ないかと誘われる。
姉の方は反対していたが、全く持ってその考えは正しいだろうと頷くと、さらに怒られた。何が気に障るんだか。
結局揃ってその神社に行くことになったが、手前でルポライターという天野に出会した。何かを調べているようだったが、あっさりと姿を消していく。
その後神社内に上がり御茶を出されて話されたことは、力の事についてだった。どうやら桜井が相談を持ちかけていたらしい。何やら曰くありげな神社の言い伝えがあるということで、織部妹が語り出す。
昔話は、童話にでもあるような鬼退治の話だった。
そして龍脈と風水についての話も飛びだしてきた。
名前を知らないわけではないが、占いなどに興味はないので生返事を返す。横で噴水とか言っている奴がいたが、気のせいだろう。
この力の源は龍脈から来ているのではないかという推論が現実味を帯び、醍醐などは納得しかけているようだった。
俺にとってはどうでもいいことだが。
そう思っているのを悟られたのか、織部妹が突然此方を向き視線を合わせてくる。
「陰と陽が互いに共存を目指す陰の未来か、闇を払い全てを浄化する陽の未来か?」
どちらを選ぶか、問いかけられて困る。
世の流れは小説やゲームによると闇を払う光の世界が正義だと謳う。
実際それは正しいのだろう。
相反するモノは決して交わることはなく。
平和を唱えるすぐ横に戦火が飛び交う。
どこまでいってもそれはつきまとうだろう。
それでも。
光は影を作り、影は光がないと形を留めない。
一方だけはあり得ないのは、何故なのだろう。
陰の未来と完結に告げると織部妹はひっそり微笑んだ。
その横でこの力で東京を護りたいとか、口々に言い出す。
そんなつもりはなかったんだが……。
そして織部妹が参戦することになったらしい。
姉の方は慌てていたが、それでも押し切られていた。案外妹の方が強いのかもしれない。
話し込んでいたせいで外はすでに暗くなっていた。
何故か野郎三人でラーメンという話になっていたが、醍醐が突然会わせたい人がいると言い出してきた。
それもきっと強制なんだろうな……。
どうしてこう人の話を聞いてくれない連中が多いんだろうか。
もう何度目かのむなしい溜め息が零れた。
蓬莱寺の喚く声に顔を上げる。
さっきから静かだと思っていたら、音を上げていたらしい。
醍醐にあっさり軟弱者とか言われている。
俺としてはけろりとしている女性陣のほうが不気味だと思うのだがあえて危険なところへの突っ込みはしないことにする。
その先にある小さな家には、醍醐の師匠、新井龍山という人がいるという。
醍醐が呼びかけるが、姿を現さない。
勝手に上がり込んで待たせて貰うことにしたが、しばらくしてすぐ本人は現れた。
この人もまた、醍醐から鬼について相談を受けていたらしい。
皆揃って色々相談好きだな……。
ここで卑弥呼だの鬼道だのという話が出てきた。
鬼は龍脈の乱れが産んだ異形の者でもあると。
どうしてこうもまあ過去の話を持ち出してくる輩が多いのか。
呆れた気配が伝わったのだろう、眉間に皺を寄せて龍山は理解できぬのは仕方がないと呟いた。
そしてさらに江戸時代の話まで遡る。修行によって力を得た人間が『九角鬼修』であると。
その言葉に醍醐が反応する。
以前に倒した水の鬼が叫んでいたのを思い出したらしい。
『九角』は龍脈を使って世の支配を目論見、外法として使ったのが『鬼道』であり、そいつらが作った組織が『鬼道衆』だったのだと。
だから恐らく敵が九角の血を引く者を頭に据えているのだろうという話だった。
そして拾った珠は五色の摩尼である可能性があるということで、宝珠を持って江戸五色不動を巡れと言われた。
めんどくさい……。
ただでさえ東京の地理には疎いのに、どうしろというのだろう。
あっさり目白不動への行動を決定されている辺り、俺も行かなければいけないのだろうか。
遠い目をしていると、美里が不安じゃないかと声を掛けてくる。
それよりも放って置いてくれというのが心境だ。
夜も遅いということで解散して帰宅することになる。
その後短い平穏は終わりを告げるのだった。
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