見えるもの、聞こえるもの、全ての情報は世界に溢れている。
何が大事で何が要らないのかは誰が決められるものでもない。
では。
それは始まりの出来事で。
絶対である。
その先にあるものなど、解ってはいない。
けれども。
たった一つだけ。
それ以外は価値のないことなのだ。
第弐拾話 龍脈
何やら、大それた話になってきたものだ。
十七年前に起きたという、今と同じような中国での事件を龍山が訥々と語る。
それは俺の『本当の父親』である弦麻の戦いの話だった。
《凶星の者》によって二人とも命を落としたらしい。
その二人の願いは、『俺』が平穏な人生を送ることだったらしい。
……その願いは、概ね叶っていたのではないだろうか。
あの事件がなければ。
宿星だとか、天命だとか、そんなものは俺にとってはどうでもいいことだ。
そう、母親が菩薩眼だったことなど、今の俺には……。
楢崎道心という輩に会った方がいい、と言い出されて流石に顔を顰める。
一体いつになったらこの終わりは来るのだろう。
いくら説明を受けたところで何の意味もない。
頷いていればすぐに終わるだろうという考えは見通しが甘かったようだった。
どうせこのお節介な連中に連れられて行くことになるのだろう。
ようやく龍山邸を後にして、空を見上げた。
ここに着いたとき、すでに日は落ちていた。夜空はすっかり暗く街のネオンが仰々しい程飾り立てられて所狭しと輝いている。
帰る時になって、皆まだ歩いていたい気分だと言い出した。
俺は帰りたいんだが……。
仕方なく、蓬莱寺の後に付いていくことにする。そうすれば他の連中は一人ではないということで納得して別れてくれるのはもう判っていた。
しばらく奴が歩く道のりを着いていくと、唐突に話し掛けられた。
「なんか、突然すぎてピンとこなかったな」
それはそうだろう。
いきなりの情報量では、まとめて理解しろという方が無理だ。
「俺は今まで、運命とか宿命とか……、そんなもんはくだらねェとおもってきたけどよ、お前は……本当にその真っ直中にいるんだよな……」
ぽつりぽつりと自問自答しているかのように呟く。
そして改めて俺の方に向き直り、真剣な顔をして言う。
『どこか遠くへ行ってしまうのではないか?』
「そんなことあるわけねェよな?」
……無意味な問いかけだ。
今ここに居る俺は確かに在り続けるのだろうから。
ほっとした蓬莱寺を余所に、暗闇を見据える。その場所に何があるわけでもないのに、目は必ず影を探しているのだ。そんな自分に少々笑いたくなるときもある。
「……雨か」
来たときと同じ様に降り出した雨は、すぐに強くなっていく。
慌てて走り出した蓬莱寺に付き合って走り出す。
闇は水滴によって掻き消されていった。
次の日、道心がいるという新宿中央公園にいつもの面子で向かう。
すでに俺の意志を聞くこともなくなっているな……。
諦めの気分が過ぎる。
あやしい力を纏う霧が立ちこめても、他の連中の後について見渡すだけだ。
蓬莱寺に龍山からいわれたことを確認されたが、俺はお前の方が心配だ。
そんな状態で妖しい男が現れたからといって、うろたえる必要もない。
しばらくして、蓬莱寺がようやくその男の正体を暴きにかかった。
すると途端に大量の物の怪が湧いて出た。
旧校舎で少々鍛えた連中はそれくらいではびくともしない。ただ、どこともなく湧くために、位置が分散しているのが厄介だった。
何故か現れた劉も加えて、戦闘は無難に終結した。
蓬莱寺が劉を問いつめようとしたものの、そのまま走り去っていってしまった。
案外すばしっこいのだな……。
感心していると、霧の中からしわがれた声がした。
素早く戦闘態勢に入った蓬莱寺を醍醐が止める。
どうやら探し人は見つかったらしい。霧の中を歩いていく道心に遅れまいと皆ついていく。
それにしても最近は別の空間を作る事が流行っているのだろうか。
中央公園に結界を張って住んでいたりして……良く分からない連中だな。確かにこの東京は人が溢れ、ものが溢れ、そして無駄に溢れるものが捨てられていく。それを横から拝借したとしても誰も困りはしないのだから、問題はないのだろう。
道心は俺の方を見て『助けて欲しいのか?』と問うた。
龍山もそうだったが、勝手に人の事を決めつけないで欲しいものだ。
首を横に振ると一瞬驚いたが、すぐに人の悪い表情を浮かべて笑い出した。
気でも狂ったか?
そう思ったがそうではなく、どうやら俺の本当の父親とやらに似ているから、らしい。どんな父親だったのだか……。
ともかくも道心は、数日前にルポライターの天野に出会し、東京を守護する力について聞かれたらしい。それは俺達の聞きたいことでもあるのだと。
東京を超自然的に守護する力……それは《言霊》
この地に住まう徳川家を護るために天海という坊主が言霊を使い、江戸の地を京都に見立てて各地に呪を施し守護としていった。
その中でも特に重用視したのが『鬼門』である。
昔から忌み嫌われた方角を封じるために上野寛永寺を置いたが、本来の江戸の鬼門は浅草寺だったらしい。
では、寛永寺は?
それは龍脈の中でも最強の《龍穴》を封じるためにあるらしい。その龍穴は『黄龍の穴』と呼ばれているのだと。
この穴から吹き出す力はたった一人の為にある。
卓越した《力》を持つ者と、菩薩眼の天女の間に生まれた者。
《黄龍の器》
それが、俺自身の宿命なのだと。
……本当に、くだらない。
しかし何故か黄龍の器はもう一人いるらしい。
それによって俺は『陽の器』と呼ばれた。
その眼は節穴だな。
もう一人の『陰の器』と呼ばれる者はすでに覚醒の段階に入っているという。
ならそのままにしておいてやればいいものを……とは口が裂けても言えないな。
十七年前にあったという戦いも、それと同じ様な形ではあったが、覚醒の方法が未完成だったために《凶星の者》の手には収まることはなかったらしい。
それが今回は確実に実行されかけている。
だから、護れと言う。
俺の命に掛けても護りたいものがあるだろう?
そう問われて。
静かに目を閉じた。
今更後には引けない。
戻るところなど、俺には残されてはいないのだから。
頷くと、道心ばかりでなく、後ろにいた者もほっとしたようだった。
突然、辺りに硝子が割れたような音が響き渡る。道心が引いた方陣が破られる音だった。
訝しむ道心も、まずは『客』をどうにかすることを優先させる。
そしてその場所に居たもう一人の存在を呼んだ。
先程の戦闘にもいきなり現れて参戦した、劉だ。どうやら道心のところに居候しているらしい。居候って、この結界の中にだろうか……。
ともかく早速やってきた鬼共に対峙することになる。
今まで戦って来た鬼としては上のレベルに属する奴らじゃないだろうか。
また分散しているのには腹が立つが、各個撃破もできるため楽ではある。つまりは統制のとれた攻撃ならば負けている可能性はある。こちらもただやられるだけではもちろんない。集団で攻撃してくるというのなら、範囲攻撃で応戦するまでだ。
幸いにも蓬莱寺、桜井が範囲攻撃を持ち、少しずつではあるが戦い方を身につけてきている。新しく入った仲間からも技をどう使えば有効的なのか、参考になる部分は多いだろう。
少々の時間を要したが、鬼を退けて一息をついたところで蓬莱寺が唸った。
また鬼道衆が現れたのかもしれない、と。
その可能性を否定したのが劉だった。
鬼道衆は『鬼道』という呪法を使って人間を鬼に変えたのだという。
人間には陽の象徴である魂(こん)と陰の象徴である魄(ぱく)のふたつがあり、それが均等のバランスをもって肉体の中にあるという。鬼道はその魄の部分を肥大化し、魂を追い出して鬼とするものらしい。これは五色の不動が封印されたことでもう使えなくなってはいるらしいのだが。
そこまで判っている劉に、蓬莱寺が木刀を突きつけて正体を問い質す。
すると劉は十七年前にあった戦いの地中国にある客家封龍の村の出身だと言った。そこは龍穴を護るためにできた村で、黄龍の眠りを護るためにあったのだという。
しかしそれはもう、劉一人を残して跡形もない。
《凶星の者》が振るった剣の一撃で村は吹っ飛んだのだ。
その復讐のために、一人で戦うと言い出した。
他ならぬ私怨での戦いでは、確かに見えるものも少なくなるだろう。
単身突っ込んでいって死なれては面倒見切れないので、一緒に戦おうという蓬莱寺達の言葉に頷く。少なくとも指示下に居れば、後はなんとでもなる。
そうして本題に戻った後、劉が真の敵の名を告げた途端、辺りは一変した。
いや、俺だけが先程の場所から『はじき出された』
目の前に居たのは再三言われてきた深紅の学ランを来た男。
柳生宗崇。
完全に先手を取られた時点で俺に打つべき手はない。
まるで金縛りのようなスローモーションの時間の中で。
俺の目の前は奴の紅の服よりも朱に染まったのだった。
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