□太陽の虜3□


 

 今日にしよう。今日がだめなら明日にしよう。
 
 それは逃げにしか過ぎなかった。
 心の奥底では判っていたが頭が理解するのを拒んでいた。
 
 『絶対』など存在しないことを。
 
第弐拾壱話 封土
 
 倒れた龍麻を見て、嫌と言うほど思い知らされた。
 自分がいなくなった時でも、周りの仲間に同じ様な思いを抱かせたのだろうということは、容易に想像がつく。
 今回のはそれ以上に仲間内にショックを与えたし、俺にとっても事実を再認識させられたのだった。
 
 龍麻が目覚めるまでの間、俺自身相当ショックが大きく自分自身を認識できないくらいに憔悴していたと思う。後から思えば笑ってしまう程だった。
 それの意味するところは自分でも良く分かっている。
 だからこそ、逃げていた自分に猛烈に腹が立った上に情けなくなり、動けなくなっていたのだ。
 
 龍麻の瞳が開き、俺を映すそのときまで。
 
 そこからようやく、凍っていた刻が動きだし、次いで龍麻の呟きと表情に驚きさえしたのだ。
『やはり、許されないのか……』
 そう呟いたアイツは一切を諦めたような表情を浮かべていた。
 あまりに小さな呟きだった上に、目覚めたばかりだったので、仲間が喜んでしまって問いつめることはできなかった。
 何が『許されない』のか?
 聞こうと思っても、病室に行く都度必ず誰かが居て聞くことは叶わなかった。龍麻自身も、院長の岩山に驚くべき回復力、と言われているにも関わらず寝ている事が多かったためでもある。こっちはただやることがなくて寝ているだけだとは思うがな。
 そうしてあっと言う間に退院となる日が決まった。
 まさかあれだけの傷が五日で回復するとは誰も思っていなかったから、それは良いことなんだろう。
 しかも、天下のクリスマスイブに回復してきやがるんだから、これはもしかして、と思ってけしかけてみたのだが……。
 
 外の凍えるような寒い気温よりも尚寒い程の冷たさでもって見据えられている。
 言った俺がバカでしたよ……。
 好きな女の子がいるなら呼んできてやるから名前を言って見ろ、と、そう言った瞬間に室内の温度が氷点下まで下がった気がした。
 仕方ないので、退院祝いにラーメンを奢ってやる、と無理矢理な理由を付けてその場から逃げ出す。
 相変わらずおっかねェ……あれはもう少しタイミングが遅かったら殺されかけてたな。そういうことには容赦ない奴だ。
 まぁいつも通りの状態で、ホッとしていた自分がいるのにも事実なので、自業自得かもしれない。
 
 退院できるのは午後なので、学校が終わってからでも十分間に合った。病院に向かうと、ロビーで岩山に捕まっている龍麻を見つける。今入る勇気は俺にはない。
 院長が去った後に、ようやく龍麻に話し掛ける事が出来た。
 怒りは収まったのか、無表情にこちらを見遣る。
 とりあえず約束していたラーメンの話をすると、相変わらず冷たい反応が返ってきた。ったく、俺が珍しく奢ってやるっていってるのに、少しは喜べよな。無理だろうけど。
 とりとめもないことを考えつつ、イルミネーションで飾られた通りを歩いていると、一つのショーウインドウが目に入った。最近流行の戦隊モノの人形やらゲームやらが所狭しと並べられている。
 世話になった礼くらいは、しておかねェとな。
 龍麻にそこにいるように言い置いて、店の中に入った。クリスマスプレゼント向けに飾られた店内は赤か緑ばかりで目がちかちかする。さっさと買い物だけして出ようとレジに向かう途中で、チラリと目に入ったモノがあった。
 一瞬迷ったが、購入する。
 無駄に包装をする時間がかかり、店を出ると龍麻の姿はなかった。
 ちッ、待ってろっていったのに帰りやがったのか?
 アイツならやりかねないため、少々焦る。聞きたいこともあったし、言いたいこともあったのだ。
 ただでさえ多い人混みの中で左右を見渡すと、通りの方から柄の悪い野郎共が数人慌てた調子で人垣をかき分けて出てきた。あまりに急いでいるせいか、カップル等を突き飛ばして文句を言われても怒鳴らずに走っていく。
 ピンときて路地に入り込めば、少し行った先の横道に龍麻の気配があった。
 近寄ると、女の子が飛び出してきた。一体何だ?
 道に入ると龍麻が居てコートの裾を手ではたいていた。
「何か、あったのか?」
 勢いで訊ねてみるが、教えて貰うことはできなかった。当然と言えば当然だが、どうでもいいと思っているから説明も面倒くさいんだろう。
 当たっていそうなだけに追求するのもばからしいのでやめておく。
 それに、大事な事だったら嫌そうにしながらも話してくれるだろうとは今までの経験から想像がついた。言わないということは、それだけ重大なことでもなかったのだろう。
 
 それならば。
 
 そう思って気になっていたことを聞いてみることにする。
 また怒らせることになりそうだったが……。
 気になるやつくらい教えてくれても良いだろうと思って問いかけてみると。
 ふわり、と笑った。
 それはあまりに唐突過ぎて、変化に付いていけずに呆然としてしまう。本当にごくたまに見せる笑みは皮肉めいたものや、意地悪そうなものばかりだったからだ。
「京一」
「へ……?」
 言われた言葉に、思わず間抜けな声を出してしまう。
「きょういち、と言ったんだよ。聞こえなかったのか?」
 優しい笑みもそのままに、ゆっくりと言い直すその言葉に、驚きが広がる。
 今まで名前を呼ぶどころか、苗字すらまともに呼ばないコイツが一体全体どうしちまったんだ。大分前に面白半分で言われたことはあったが……。
「お……俺ェッ!?」
 名前をいきなり呼ばれたことの方が先に理解でき、その後にようやく事の重大さに気が付く。
 龍麻の好きな奴が俺だなんて、それこそ天変地異が起きてもないだろうと思っていたのに……。
 どう言って良いのかわからず自分の考えに沈んでしまった俺は、それに気が付くのが遅れた。
 すっと白い指が近づいてきて額を思いっきり弾かれる。
「痛ッ!」
 ツボに入ってしまったのか、あまりの痛さに頭を抑えて少々涙目になりながら龍麻を見遣ると、先程の柔らかい微笑みは消え、妖艶と言っても良いほどの笑みが浮かんでいた。
「嘘に決まっているだろう、本気にするな」
「な……?」
「いい加減同じ事を聞くのは止めろ蓬莱寺。次は容赦しない」
 ほ、本気だな……。
 顔は笑っていても、目は笑っていない。呼び方もいつも通りに戻っている。
「お前がいうと冗談に聞こえねェんだよ……」
 ちょっと本気にしちゃったじゃねェか。質がわりィ……。
 それにしても。
「なぁ」
「何だ、まだあるのか?」
 呆れたように言われて、うッと詰まる。なんだか気の流れが戦闘態勢になっているんですけど、龍麻さん。
「その、名前なんだけどな。さっきみたいに京一って呼べよ」
 一番最初にも言った気がするのだが見事に無視された覚えがある。
 呼んで貰った時はあったけれども、今回のを聞いてしまうともう駄目だった。
「呼び方など、別に何でも……」
「呼べ。何でもいいっていうんだったら、名前でもいいんだろ?」
 どうでもいいといった風に返事をしかけるのを遮り、強く言い募る。
「それとも、何かいわくでもあるのか?」
 名前を呼ぶことによって効果がある呪文、とかは呪術には良くある話だが、そういうのを気にしている風でもない。
 案の定、龍麻は表情を消して考え込んだ。
「俺以外はそのままでいいから、俺だけそう呼べよ。別に問題ないだろ?」
 自分勝手な言い草だとは判っているが、他の連中の事まで面倒を見てやる義理は無い。
 そういうことには無頓着な奴のことだ、これだけ言えば……。
「……判った」
 溜め息をついて面倒くさそうに答えた。
 表面上に出ないよう注意しながら、内心ガッツポーズを決める。
「へへッ、そうこなくちゃな」
「もう用事がないのなら俺は帰る」
 簡潔な物言いに、そうだな、と返す。
 大怪我して入院して退院直後に喧嘩やらかして、その上この普段以上の混雑。院長に言われる程の驚異的な回復力でも、多少なりとも疲労はあるだろう。
 まだ言いたいことはあったが、このまま立ち話して更に疲れさせてもいけないので帰ることにする。
「お前んちに行ってもいいか?」
 逃げてしまった後ろめたさも手伝って、最近寄ることをしていなかったのだが、今はそれ以上に大事なことがあった。
 ここで断られれば仕方ないが、意地でも行くという意志を込めて強く言えば、少し驚いた後に頷いた。以前はイヤミの一つや二つあったが、段々それも無駄だと思うようになったのか、頷くだけで何も言わないのがいつも通りだった。反応がそのままなのがちょっとだけ嬉しい。
 久しぶりに龍麻のマンションへの道のりを二人で歩く。
 何から話すべきか考え込んでいたせいで途中は全く何もしゃべらずに居た。元々龍麻から話すことなどなかったから、マンションの自動ドアを踏んでようやく我に返る。エレベーターに乗って目的の階についても龍麻は何も言わなかった。駄目なときは雰囲気から拒絶されるので、疲れてはいるのだろうが休んでいたからそれほどでもないのだろう。
 玄関の鍵を開けて中に招き入れられる。オートロックが鍵を掛けた音が辺りに響いた。
「……龍麻」
 龍麻が靴を脱いで廊下に上がってきたのを見計らい、意を決して話し掛ける。
 何事かと顔を上げた龍麻と視線を合わす。
「言いたいことが、あるんだ」
「……何だ」
 少し不機嫌に応えが返る。
 
「俺は、お前のことが好きなんだ」
 
 するとゆっくりと目を大きく開いて驚いた。 
 俺がそんなことを言うとは思っていなかったのだろう、表情だった。
 先に揶揄われたのもあって冗談だと思われないかと一瞬思ったが、そういう点ではその龍麻の状態は理解しているだろうと思われた。
 どれだけの時間が過ぎたのだろう。
「……本気か」
 息をつくかのように言われて、頷く。
「『遊び』じゃなかったのか?」
「わかんねェ、って前言ったよな?」
 訊ねられたのに問い返すと、龍麻は小さく頷いた。
「気が付いたんだ、すげェ時間がかかっちまったけど」
 あの逃げた日。自分という人間を知る人などいない、どことも知れない遠い場所へ行くことだって簡単にできたはずだ。そしてほんの少し離れただけでも、思い浮かべるのはたった一つの事にまつわるものばかりで。逃げた自分と葛藤しながら、目を開いてみれば残った言葉はシンプル極まりないモノだけだったのだ。
 すぐに言いたい気持ちはあったが、逃げてしまった自分が言ってもいいものかと躊躇ってしまった。そんな遠慮など、コイツにしても仕方なかったのに。
 ぐずぐずしている間に、あやうく失うところだった。
「お前だって再三言ってたじゃねェか」
 覚えてるぜ、人に男好きなのか?やら色々酷い事を好き勝手に言ってくれて。片端から否定していたのはしっかり記憶に残っている。
「俺はおねェちゃんが好きだ。それは変わらねェ。でも、それを超えた所でお前のことが……」
 言おうとした言葉を唇に人差し指をあてられて遮られ、思わず言葉を飲み込んでしまう。
「判った、もういい」
「……本当に判ってるのかよ?」
 理解しているのだろうことはわかるが、何故か今の行動が気に掛かった。
「他人の気持ちを変える権利など、俺にはない」
 そう呟いた龍麻はいつも以上に無表情だった。
 こんなことを言えば冷たくあしらわれるか、大仰に呆れられるか、それともけなされるか……どれにせよ相当覚悟を決めてきていたが、あっさり言い切られて拍子抜けする。
「用件はそれで終わりか?」
 改めて訊ねられてはっとする。
 いや、俺の事はそれで終わりなんだが。
「お前はどうなんだ?」
「……俺?」
 聞き返された内容がわからなかったのか、少し間が空いてから呟く。
「俺が、何?」
「だから、俺はお前が好きなんだよ。じゃあ、お前はどうなんだ?」
 自分にも言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。
 そうでもしないと、目の前の黒い瞳に負けそうだったからだ。
「……先刻もいったが」
 冷ややかな態度で静かに話し始める。声に感情の起伏は見られない。
「俺には好きな人はいない。そして、可能ならば」
 視線を逸らし一瞬言葉を切って、吐き捨てるようにそれを呟いた。
「俺は独りのまま、戦っていたかった」
 それが過去形なのは、今の戦況が予断を許さないくらい切羽詰まっているからだ。例え少数精鋭突破を狙っても、弱い美里等に攻撃の刃が向けば負けは確定だ。もちろん、一人で戦いたかったのは最初から判ってはいるが、敵の状況からしてもそれを許して貰える状態ではい。『戦力を見る』と言っていたのは、使えるメンバーを選んで危険な状態の時に保険として呼ぶ為だったのだろう。大概は仲間を呼んで最初の危険を回避してしまえば、後はほとんど楽勝ではあったのだが。
「闘うのは今の俺の役目だ。それは判っている。俺の『こころ』が欲しいというのなら、一刻も早くこの莫迦げた闘いを終わらせろ」
 一息に言い切られて一部の言葉を解釈するのは難しかったが、その内容に目を瞠る。
「それは、つまり、戦いが終わったら考えてくれるってことか?」
「お前の努力次第だな」
 冷たい物言いは変わらないが、それが龍麻だった。
 なんだか色々悩んでいた自分がバカらしくなって思わず笑みが浮かんだ。
「じゃあ、早速努力させて貰おうかな」
「……おいこら」
 文句は聞かないフリをし目の前の腕を掴んで寝室への扉を開ける。その部屋の様子は前と全く変わっていなくて安心する。
 そのまま歩いてきた勢いで龍麻をベッドの上に投げやる。抵抗もないまま龍麻は背中から倒れ込んだ。
「調子に乗るな……んッ……」
 龍麻も流石に文句の一つも言いたくなるだろう。だが、延々と説教じみたやりとりでこの機会をフイにする気はなかった。
 さっさと龍麻の両膝を押し開いてその間に身体を入れると、龍麻の両腕を押さえ込んで接吻を仕掛ける。
 抵抗しないのは了承と受け取って深く唇を探る。ヒトは自分に都合のいい方向に物事を解釈する生き物である。京一は龍麻に関しては遠慮なく自己解釈することにしていた。嫌ならば自分より強い力をもつはずの龍麻が押さえ込まれてくれるはずもないのだから。
「龍麻が誘ってくれたんだぜ?」
「人のせいにするな……」
 久しぶりの感触に溺れかけつつ、龍麻の言っていた言葉の意味を考える。
 『遊び』かどうかをあれ程気に掛けていたかと思えば、それは特に問題でもないらしい。一体何が本当なのか。
 この厄介な相手が一筋縄ではいかないのは、出会ったときから身に染みている。
 どうしたら『心』を向けてくれるのかは判らない。
「手加減、しろよ。京一」
 諦めの混じった声で名前を呼ばれて一瞬身体が震える。それは心臓を掴まれたような感触がした。
 どうしようもなく『乾いて』いる感じ。
 ともかく今は考えることを後回しにして、龍麻を抱くことに専念することにしたのだった。
 
 次の日は二学期の終業式だった。
 持っていくモノも特にないので、龍麻の家から登校することになる。
「……」
 表面的には全くそれは解らなかったが、今日の龍麻の機嫌は底辺を這っていた。その理由は判りすぎるほどわかっているので、下手にフォローをすることができない。
 一言も話せないまま放課後になる。放課後といっても、昼までなので外はまだ明るい。
 美里、醍醐、小蒔に加えてアン子が龍麻を囲んで楽しそうに話している横で机に懐く。どうやらアン子はアルバム制作をしているらしく、身体の調子が悪そうだった。そこを醍醐につかれていたので、ここぞとばかりに会話に加わった。
 ちらっと横目で龍麻を見ると、やはりまだ機嫌はよろしくないようだった。
 帰り際に職員室に挨拶をしにいかないかという美里の言葉にも首を横に振っていた。
 とりあえずラーメンを食いに行くことを提案して、なんとか場を繋ぐ。
 新宿駅西口は、いつもながら人通りが多かった。
 世間話に花を咲かせていると、いきなり周囲の雰囲気が変化した。
 まるで御門達の結界に入ったときと同じ様に人が全くいなくなり、居るのは自分たちだけ。しかも胸クソ悪くなるような悪意を押し込めたような場所だった。
 そこにいたのは、一人の少女だったが凶悪な殺気を放っていた。
 龍麻を知っているようだったが、龍麻自身は否定した。一体どういうことだ? しかも紅い学ランを来た男に関係しているらしい。
 ゆっくり考える間もなく戦闘に突入する。
 敵は強さこそランクがあがっていたが、指揮するモノが悪ければ大してかわりはしない。集まってきたところを集中攻撃し、最後は峰打ち……のはずだった。
 
 少女の悲鳴と共に、世界は砕けた。
 
 そして、龍麻も。
 
 またしても俺達は無力だった。
 何が起きたか解らぬまま目覚めぬ龍麻を桜ヶ丘中央病院に運ぶと、今度は精神的に圧力を掛けられて倒れたのだと言った。
 肉体的には問題はないので、今度ばかりはいつ目覚めるかは龍麻次第だと。
 
 学校はすでに休みだったため、交代で龍麻の看病及び見張りをすることになった。三日間後、俺と交代した美里の時間に目覚めた奴は病室の窓の外を眺めて溜め息をついたという。

 

 そのときすでに暦は次の新しい年に変わろうという日であった。


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