何も見えない。何も感じない。
今まではそれが普通だった。
……普通だったはずだった。
まるでテレビの番組が終わった後にノイズの走った画面のような、ひどく荒れていているのにその方向性だけは整然としている、おかしな世界。
元に戻そうにも、その方法などわかるわけもなく……。
第四話 鴉
「あん? 何見てんだ、緋勇」
朝のHRを当然の如く遅刻し、1時限目が始まる前のほんの僅かな空き時間にやってきた人物の声に溜め息が漏れる。少しは放っておいてくれないものだろうか。
「拾った」
あまり色々聞かれるのも面倒で突き放したように答えると、器用にも片眉だけ上げて不審そうな目で見つめてくる。それ以上興味を持たれる前にさっさと手にしていた雑誌をしまう。昨日降りた旧校舎で何故か手に入れたモノだった。中をめくっても新しいようで古く、興味の湧かない記事ばかりでこんなものが手に入った理由の方こそ知りたいことであった。
「ちょっとちょっと!」
授業に必要な教科書とノートを机の上に並べていると、聞き慣れた高い女の子の声が近づいてくる。確か新聞部と言っていた。
「緋勇君、朝の出来事って本当なの?」
まさかとは思ったが、伊達に新聞部を名乗っているわけでもないらしい。人の噂に蓋はできないと言うが、人の少ない時間の事がすでに知られていることは少々問題なような気もした。
こちらに近づいてくる気配の前に、側にいた蓬莱寺が反応する。
「出来事……って何のことだよ?」
「アンタには聞いていないわよ。ねェ緋勇君、正直に答えて頂戴ッ!」
相当の剣幕だったのか、蓬莱寺が動いたせいで隣に立った彼女がバンと机に手を置く。
あからさまに誤魔化すかどうしようかと見上げると、嘘は許さないという強い視線がこちらを見ていた。その横には何がなにやら解らないが、ただ事ではないと息を潜めている蓬莱寺。ふと気を巡らせれば教室の外にも人が結構いるような感じである。
今更ながらにこんな時期の転校生ってのは目立つ以外の何者でもないと舌打ちするが、今後のためにもさっさと終わらせておくことにする。
「何を聞いているのかわからないが……。やったことを真実と認めて欲しいなら事実だな」
「……ッ!」
はっきりきっぱり目を逸らさずに伝えると、流石の彼女も息を飲んだ。
「……おいアン子、何の事だよ、教えろよ」
一瞬固まった遠野を救ったのは誰あろう蓬莱寺であった。ほっとしたように息をつくとキッとこちらを見つめる。
「……朝、下駄箱に入っていた手紙。それを見もせずにゴミ箱に捨てたって……ちょっと酷くない?」
「何ーッ?」
蓬莱寺の驚きに加えて、教室内が騒がしくなる。まあ普通は驚く事だろう。
「緋勇ッ、お前そんな勿体ないことしやがったのかッ!」
倍の五月蠅さで聞かれて少し頭に響く。
「……自分の下駄箱の中に宛名不明差出人不明の手紙が入っていたら捨てても構わないだろう」
「何もいきなり捨てなくてもいいんじゃない?」
答えた内容が世間一般の常識と照らし合わせてまともなものだったせいか、遠野の態度も少し軟化する。後ろで蓬莱寺もそうだそうだと頷いた。
「俺は心が狭い人間なんで、何も書かれていない封筒は開けないで即捨てることにしているんだ。郵便受けにそういうものがあったら普通そうするだろう?」
そう言うと遠野は黙り込んでしまった。間違ったことは言っていないつもりだ。
「普通は家に持って帰るとか……」
うなっていた蓬莱寺がぼそぼそと呟く。
「持って帰っても捨てるならどこで捨てても同じだ」
「いやそれにしたって、まだなんかあるだろ……」
「じゃあ、今度入っていたらお前にやろうか?」
さらに何かを言いたそうにしている蓬莱寺に向き直り、面白そうに言ってやる。
「いるかッ」
案の定、驚いた顔をした後少し怒って答えてくる。そうこうしているうちに始業のベルが鳴り、まだ何か言いたそうにしていた遠野は教室を出ていった。
恐らくこの話は一両日中には広がっていることだろう。
煩わしいものが一つ減って大分楽になることは間違いなさそうで、意図してこれが成功したのは幸いだった。
「よッ、一緒に帰ろうぜ、緋勇」
休み時間色々聞かれるのが嫌で、何かにつけて動き回っていたのだが、放課後になってうっかり気が緩んだらしい。捕まりたくない人物に捕まって少しどころではなく多大に溜め息をつきたくなる。恐らく、聞きたいことが山程あるからなのだろうが、こちらにはまるで用事はない。断ったがあっさり却下を食らった。選択権が最初からないなら訊ねる必要などないだろうに。
うんざりしている気配を察したのか、周りに視線を逸らし丁度居た桜井に声を掛けている。すると彼女はこちらを見て断りを入れてきた。蓬莱寺は大ゲサに驚いていたが当然の態度だ。朝のあの騒動で少しは懲りてくれないとこちらも困る。同じように美里も断ってくる態度をみて、今日はそのまま帰れそうだと身を翻したとき、巨体が前方を遮った。その場を去るタイミングを見誤ったようでさらに脱力する。どうやらやりとりを聞いていたようで、女の子二人の態度が俺に原因があると指摘してくる。彼女達に限ったことでなく、今更な指摘な気もしなくはないがそれを言葉にすることは叶わなかった。
「だったら、なおさらみんなでラーメンを食いに行くべきだな。みんなで飯食って、機嫌直そうぜッ」
何がそんなに嬉しいのか聞いてみたい程の上機嫌な男の腕が首に回され、帰ろうとした身体をあっさり捕らえられる。振り解くことは簡単だったが、一言も発しないまますでに話は全員でラーメン屋に行くことに決定されていた。
俺の意志は無視か……。
突然やってきた遠野と皆が話しているのを遠い目をしながらぼんやり聞いていると、いつの間にかラーメンは彼女の奢りという展開になっていた。むろん今朝の会話が気になっていないわけではないだろうが、それ以上に話したいことがあるのだろう……多分。真面目に聞いていなかったせいで適当な答えしか返していない。
正門前で犬神という先生に出くわしたが、その場にいた者の反応は様々だった。何かを探るかのように行き先を聞かれたが、俺が承諾していない場所なので何とも言えない表情をしていたのを読みとったのかあっさり納得される。何やら裏密と話をしたときに受け取ったらしいモノを渡されるが、一体どこで手に入れたのか聞いてみたいものだ。用事は済んだとばかりに仕事に戻ろうとする犬神先生に、全員が挨拶をして別れを告げる。
その後引きずられて行ったラーメン屋で、どうやら最近鴉がおかしいという話になった。渋谷方面の鴉が殺人に関わっているかもしれないということらしい。それを聞いた全員がどういう行動に出るのかは考えなくとも解った。
放っておけばいいのでは……という呟きは誰にも聞いてもらえなかったらしい。
大体、新宿だけでもゴミゴミしているのに渋谷なんてもっとわからない。
ボーっと大通りにある横断歩道を見つめていたら、信号が青になったのに気がつかなかったようだ。急いで渡るよう促されたが、いつの間にか辺りに見知った気配は消え、代わりに大勢の人混みのせいで女の子にぶつかってしまった。
舌打ちしたい気分だったがしかし放りだして行くわけにもいかず、手を差し出して立たせてやる。
このまま連中を置いて帰ってやろうか。
突然浮かんだそれはとても魅力的な考えで、初めて会った筈の俺に対して名前などを訊ねてくる比良坂という少女の問いを全くと言って良い程聞き流す程だった。
悲しそうな顔で去っていく彼女の後を追って駅に帰ろうと向き直った途端、肩にかかる手によって動きを止められた。
誰かと訊ねるまでもない、この気。
振り返り、冷ややかな目で見つめてやると何故か蓬莱寺は狼狽えた。
「なんだよ、その顔は…」
睨まれたのが余程以外だったのか、みるみるうちに不貞腐れていく。表情の豊かな奴である。
「いや、俺に恨みでもあるのかと思ってな」
「は?」
思わず出たぼやきは蓬莱寺には聞こえなかったらしい。確かに雑然としているこの大通りの騒音では聞き取れないものもあるだろうが、都合良くできている耳だ。
何でもないとかぶりを振ったら眉間に皺が寄った。
「こんなとこで何やってんだよ。まったく……。ガキじゃねェんだから、迷子になるなよなッ」
不機嫌に言われた言葉は想像の範囲外だった。
どう見ても駅前。迷子になりようがないのだが、蓬莱寺の頭の中を本気で疑ってしまった。
「お前、俺を何だと……」
「ほら、行くぜ!!」
文句の一つでも言おうとしたら、いきなり腕を掴まれて引っ張られる。強く握られて振り解くのは無理そうな拘束に、引きずられるようにして横断歩道を渡らせられた。迷子という言葉から人混みではぐれるのを心配しての行動だとは思ったが、野郎が手を繋いで歩くのには普通抵抗とかあるもんじゃないだろうか。周りの女子高生の視線が結構痛い。
ようやく手を放されたと思ったら、目の前に桜井が立ちはだかりはぐれたことに対して説教された。
いやそもそも俺はここに来ることを承諾したわけじゃないんが……。
何が悲しくてこんなに引きずり回されなくてはならないのだろうか。俺がいてもいなくても話は進められるのではないかと、掴まれて手の形に痕が付いている右腕をさすりつつ首を傾げる。戦力だって壁に回復役だっているだろうに。
そうこうしているうちに人通りの少なくなった道の先から女性の悲鳴が聞こえてきた。桜井曰くこういうことには行動が素早いという蓬莱寺の姿があっと言う間に見えなくなる。
半信半疑だった鴉の噂が現実を伴って現れた瞬間だった。
誰もが一瞬目を疑い、そして同時にそれを受け入れることを拒み掛けたが、突然現れた金髪の輩に先導されて女性を襲っている鴉達を追い払うことになった。
所詮は鳥。剄を会得した者達には準備運動にもならなかったはずだ。
そして悲しいかな、この後の展開が解りすぎるほど解ってしまって思わず天を仰いでしまう。
普通の高校生活って何だろうな……。
渋谷に足を運んだりするのはもちろん、そうかもしれないが。
そんなことを考えていたら、金髪頭に突然質問を投げかけられてうっかり頷いてしまった。何を聞いてきたのかあまり意識していなかったが、その後の話しからどうやら代々木公園とやらに行くことを訊ねられたらしい。
俺は同意していなかったんだが。迂闊にも頷いてしまって決定事項になってしまった。
醍醐の名前を出して納得する奴に話はどんどん進んでいく。
おまけにカラスだか何だか変な名前の奴がここのところの猟奇殺人を演出していたらしいことまで判明してくる。一体どこをどうやったらこんな事ができるようになるんだろうか、是非教えて貰いたいモノである。……自分も含めて。
気がつけばお約束通り蓬莱寺が代々木公園に乗り込むと息巻いている。
呆れたような態度を見せたら、『怖じ気づいたのか』などと驚き、醍醐に同意を求めた。恐がりでも何でも好きに思ってくれて構わないから、こういうのは警察等に任せて置いて欲しいものである。
そうこうしているうちに鴉に襲われていた天野というルポライターから鴉の生態を聞かされる。
まあその辺にあるような一般的な話ではあったが、鴉を操っている奴は何かの目的を持っているのではないかという結論に達していた。
目的、ね。
東京を護ると言っている方が余程突飛な事の様な気もするが、ルポライターが去っていってからの唐突な話題転換にも面食らう。
桜井に女癖のことを指摘された蓬莱寺がこちらに話題を振ってきたのだ。今までのシリアスな雰囲気は何だったのだろうか。本当にこいつらの考えはわからない。
結局、蓬莱寺と同じ様な槍を片手に持つ雨紋が加わって、代々木公園に向かうことになった。
途中美里が雨紋について『優しい人だ』という見解をいきなり述べてきたのは驚いたが、俺のように出来る限り事件に関わりたくない人間からすれば間違ってはいないと思ったので同意で返す。むしろ俺の代わりになって欲しい位だ。
横で納得行かないといった顔をした蓬莱寺は無視しておく。
鴉の集まる場所に近づくにつれ、雨紋と今回の首謀者の話などが明らかになっていくが、どう聞いてみても新しい新興宗教のようにしか思えなかった。
「今年になってから、わけのわからねェことが立て続けに怒りやがる。人間をカラスの餌にしたがる奴はいるわ、旧校舎でおかしなコトに巻き込まれるわ……」
先程から不満たらたらといった体でついてきていた蓬莱寺が、ぶつぶつぼやきはじめる。
「変な技をもった男は転校してくるわ……。なァ、緋勇」
そうくるか。
お前らの方が余程変だと冷たくあしらっても『お前も十分普通じゃない』と返されてしまった。俺は別に好きでこんなことしてるわけでもないんだが、話はいつのまにか進んでいる。
鴉を従えた男が『人間は生きる価値がない』等と演説をはじめたが、同じ人間が言っていても全然説得力はない。案の定そこを桜井に指摘されていたが、全く怯む様子がなかった。やっぱり新興宗教か何かに取り憑かれてるんじゃないだろうか。
金髪男の必死の説得にも動じず、何をトチ狂ったのか美里に手を伸ばしてくる。
そういうことに頼むから俺に同意を求めないで欲しい。
聞いたところで結果が変わるわけでも無いだろうに。
唐栖との戦闘はあっけなく終了した。
本人は元よりただの鴉に力などあまりない。
ただ、前の戦闘より力を増していた俺に感づいたのか、蓬莱寺が訝し気な視線を寄越してきていた。戦闘中の為に問い質せない苛立ちがそのまま気に現れ、鴉達に八つ当たりとも取れる急所への一撃を繰り出していた。偶然だろうが、他の面子も一撃で鴉を葬っていたのがいた。気が高揚しているわけでもなかったはずだったが、ラストに俺自身が繰り出した拳ももろに急所に入っていた、気がする。
倒れた唐栖の側でうっそうと呟く雨紋に醍醐が何かを話しかけている。
どうやら今回の件が解決したので引き上げようという事になったらしい。辺りもすでに夕闇に染まりだし、今日の終わりを告げているかのようであった。
桜井が雨紋に折角一緒に戦ったのに等と残念そうに話しかけているのを上の空で聞いていれば、金髪がこちらを見ていきなり話を振ってきた。
いやだから……。俺は特に協力とか求めたわけでもないんだが。
目を細めて見返してやると、雨紋は一瞬黙り込み困ったように頭を掻いた。
えーと。
いつのまにか一緒に戦おうという事になってしまったらしい。
「よろしくな、せ・ん・ぱ・い」
嬉しそうに言う金髪にまたしても蓬莱寺が噛み付いている。
何だか長い一日だった。
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